| ナノ ※大学生パロ


きみが髪を切った。自慢の黒髪が風になびくのが一等気に入っていたようだったのに、それはあっさりと。すっきりした、とまるで切り落としたのが別のものみたいに笑って、きみは言った。

どうして、と俺からは聞けなかった。








今どこ、のメールにごくごく端的に5階、という返信が来るまでまるまる30分。今送られてきたってことは今行けば多分ちゃんとそこにいるだろう。彼女のたった2文字の言う通りに。


うちの大学で5階まである校舎といったらひとつしかない。彼女が騒々しさから逃げるのにうってつけな、4限の授業中の空き教室。


校舎にはエレベーターがあるにはあったけど彼女が行った名残かエレベーターは5階で停まっていて、待つくらいならさっさと自分の足で彼女のところに行ってしまいたかった。
途中、3階の階段を登っているときにスペースでダンスサークルの連中が騒いでいた。なるほど、こいつらがいなかったら彼女はここにいただろうな。

登りきった5階はしんと静かだった。廊下を風が通っていてなかなか気持ちがいい。
手前の教室を覗くと、彼女はいた。電気のついていない教室の中は傾き出した西日が差し込んでいる。開いた窓辺のカーテンが風にあおられてひらひらと広がったり萎んだりして、その度、彼女の短い黒髪も揺れている。

彼女が髪を切った、その理由を俺は知らない。
さあ、なんでだろうねとか言ってはぐらかした彼女はとんでもない悪党だ。俺が追及しないと知ってる。
きみが、めったなことでは自慢の黒髪を切り落としたりしないと俺が知っているから、だから俺にはきっとその理由を教えてくれないんだろうきみは。……ひでえ女。俺の優しさに報いてくれるつもりならもっと、優しいやり方があったろうに。


彼女は窓際の最後列に座って机に突っ伏している。近付いて顔を覗き込むとすっかり寝ているようだった。さっき俺にメール送ってきたばっかりでもうこんなぐっすり寝れるなんて器用な子だよ本当。

視線を、握ったままの携帯に落とすと一言、5階、とだけ書かれたメール画面のままだ。らしくもなく気持ちが急くからってせっかくのエレベーターに乗らなかったり階段を2段飛ばしで駆け上がったりなんか、この俺様が、恋でもしてなきゃそんなことするもんか。
秋風に遊ばれている彼女の髪を指先で掬って梳いてみる。やわらかい髪だった。調子に乗っていじっても彼女は微動だにせずに眠っているので、うっかりよからぬ何かにけしかけられるまま彼女の顔にかかる前髪をかき分けて瞼にキスをした。ぴくりともしないその頬骨の上にも。
もし今彼女が起きて、俺がどうにも言い逃れなんかできそうもなくなったら。彼女の中で世話焼きの友達ポジションで固定の俺様もどうにか意識してもらえんのかななんて思うわけで。……まあ拒否られたり嫌がられたりしたらそれなりに辛いものがあるんだけども。

彼女が座っている席の前の列の椅子を引いて座る。彼女の手元に横たわったiPodは彼女お気に入りのアルバムを再生し続ける。
開いた窓から人の笑う声とかやたらに大きい話し声とか、教室の中が静かな分よく聞こえて、平和だなあ、とかしみじみする。
毎日こんなに平和なのに、彼女からのメールの返信が遅いだけで事故ってんじゃないかとか死んでんじゃないかとか疑う俺はどうかしている。彼女のか俺のか分からないけどどちらかのケータイがやたらにポンコツで、メールをしたのに届いてないとか遅れて届いたとかがよくあって、俺は3時間も遅延してようやく届いたメールを開いたこともある。メールの受信時間の表示だけはやたら正確なのも腹が立つわけで。
あんなに心配した俺の心労はどこで報いてもらえんのかなとか無益な考え事に興じたりして、たぶんそういうのが本当に平和ってことなんだろうが。

例えばきみが単純に俺のメールを意図的に無視したんだとしても、俺はケータイの不具合かな、くらいにしか思わなくて、何でも煙に巻くところのあるきみに直接問い質すことだってできない。嫌われようが煙たがられようが俺は気付けないんじゃないか。
そんな気がして喉の奥が冷えるのも、これも平和なんだろうか。
……たぶんそうなんだろう。色恋に浮かれてる間は。


「……佐助、遅い」


髪に絡めた指の間を、絹糸みたいなその黒髪が滑らかにすり抜けていく。不機嫌そうに眉をしかめた彼女が自分の耳からイヤホンを抜いた。彼女がわずらわしげに前髪を払って顔を上げると、いつもと同じ、化粧っ気ゼロの目元と視線がぶつかる。
彼女は遅い、と繰り返した。


「メールもらってからすぐ駆け付けたんだけど、俺様」
「30分以上かかって?」


ちゃんと場所言わなかったのは悪かったけど、と彼女はふてくされて言う。場所なんか詳細に言われなくたってちゃんと分かったし、きみがメールを面倒がって言葉足らずになることなんか茶飯事だ。そう思ったけど何も言えなかった。30分、彼女がこの部屋で俺のメールかもしくは俺を、待ってたのかと思うと無性に胸を引っ掻き回されるような気持ちになった。行くかどうかなんて言ってない俺がどうせ来るって分かってるからって遅い、とぶすくれた彼女と、彼女の思惑通りに階段2段飛ばしで走ってきた俺様は、別に付き合ってなんかない。

ただこの俺様が、彼女に、こっぱずかしくも恋なんかしているだけで。


「メール返ってこないし、もう普通に来ないと思ってた」


机の上に組んだ腕の間にまた顔を埋めて彼女がぼやく。
その短くなった髪に気兼ねなく指を差し入れて撫でたり梳いたりしていても彼女が咎めないので、彼女が髪を切ったことの理由なんて聞かなくていいような気になってきて、俺様はとりあえずこの間ピアスホールが塞がったばかりの彼女の耳元で、来たじゃん、と我ながら偉そうに囁いた。
そう、きみがその自慢のアジアンビューティーを切る理由に俺がなれなくたって、俺がきみの傍にいることには違いない。

風が吹いた。それが一際、夕方に染まるアイボリーのカーテンをたなびかせる。
俺が彼女に触る手に、彼女が自分の手を重ねて言った。


「失恋覚悟で髪切ったのになあ。期待しちゃうからやめてよ」


彼女のちょっと切なげな笑顔が、俺様の眉間の真ん中から頭の後ろまで一直線に撃ち抜いた。手が指先からじんわりどんどん熱くなってくる。左手でさわった彼女の顔も、少し熱いような気がした。


「好きだよ、名前ちゃん」


浮かされたような声の出た俺を見て彼女ははにかんで笑う。それから、私も、とたった一言。


……それにしたってちょっとくらいその気があるって匂わせてくれりゃあ良かったのに、そこに関しちゃ「様子見してたの」ときたもんだから、まったく、ひでえ女だよ。






「ね、名前。また髪伸ばすの?」
「長い方が好き?」
「いいや、そのまんまがいいかな。せっかく俺様のために髪切ってくれたのにもったいない」




ぼくはきみの理由になりたい


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