| ナノ ※学パロ

友達だった。
ただそうだったというだけで、それは私があいつを強く拒む理由にはならなかった。
つまり友達だからってキスもセックスもできないわけじゃないと理解したのは高校2年目の夏。意識してそう見たことがなかっただけで私たちはお互いにちゃんとした男に女だった。身体だけは。


人のまばらな教室で何を思ったのか伊達がキスをしてきたのが最初だ。たぶんそう。
何の脈絡も筋道もなく唐突に。でも何でいきなりこんなことをとそのときは思わなかった。それよりも、夏休み明けの文化祭の準備にだらだら取り組んでいた周りのクラスメイトの視線が気になった。瞬く間に噂が広がって面白おかしく色々な人の間で口さがなくぺちゃくちゃやられるのかと思うと腹立たしかった。

二度目は文化祭当日。男子トイレ。引っ張り込まれてそのまま。9月はまだ暑くて、クラス全員お揃いのポロシャツの背中にじっとりと汗をかいてしまった。伊達の手がいやにさらりとして乾いていたことだけ覚えている。
人が入ってきたのでキス以上には至らずにうやむやになった。私は人がいなくなったあとで口を噤んで教室に戻ったし伊達も何も言わなかった。
教室に戻ったら戻ったでみんな訳知り顔をして、私がどこへ行っていたかなんて聞かなかった。もうすっかり私と伊達は付き合っていることにされていて、私は当番をサボった1時間半、伊達とセックスをしていたことにされたみたいだった。誰も根掘り葉掘り聞かないのが逆に不気味でうすら寒かった。


三度目から数えるのも覚えておくのもやめた。
私は案外安い女だったんだな、と思いながら伊達がしたいようにやらせていた。どこで覚えてくるのか知らないが伊達の手管は異様に発達していた。というより発達していった。初めはあんなに乱暴で粗雑だったものが次第に労りを覚えたように優しくなりそれから驚くほどいやらしくなった。私も私でこいつにだいぶ開発されたなあと思うことがある。たとえば他の男とそういうことになっても不意に伊達の手つきを思い出したりする。でもそうすると開発されたというよりも教え込まれているようで気分が悪い。いつかこのままあいつから離れられないと思う日が来たらどうしよう。あいつ以外の男と寝られない身体になったら。


「俺といりゃいいだろ。簡単な話だ」

あれから4年。私たちはキスもセックスもとっくに越して、でも相変わらず友達のまま。少なくとも私がそう思ったまま、伊達からはっきりと何かそういった類いの言葉を聞かないまま、4年が経った。
気だるそうにうなだれていた腕が私の裸の肩を引き寄せる。
伊達の部屋の暖房がぶっ壊れてなければこんな風にひっつくこともないのに。ベッドの下に散乱した衣類をかき集める元気が出なくて、仕方なく伊達の背中に腕を回した。日付を跨いで間もない今日は土曜で、実家住まいの私は週末を独り暮らしの友人の家で過ごすと言ってある。概ね間違っていない。ただ、両親が字面から想像するような女友達でないことだけが問題だ。
こんなふしだらな娘に育ってごめんなさい。
額と両方のまぶたに、順を追って触れる男の唇のやわらかさに目を閉じる。このまま寝よう。両親に申し訳ない気持ちは両親の顔を見てから思い出そう。



夜が明けると寝室に伊達の姿はなかった。もう今さら驚くことでもない。ドアが開いて閉まる音で目を覚ましたのだから、伊達がでかけたらしいことは分かっていた。しかしそのことよりも、香ばしい朝食のにおいが鼻腔を刺激する。
散らばっている衣類を適当に拾い上げて身に付けて、リビングに出る。テーブルの上にまだ湯気を立てる朝食の皿が載っていた。
席についてみると皿の横に走り書きのメモがあった。合鍵は置いて行かないから、家から一歩も出るなと書かれた切れ端を指先でつまみ上げてふたつ折りにし、テーブルに伏せた。
きっちりドリップされたコーヒーがサーバーに用意されていて思わず笑ってしまう。

「結構、尽くすタイプ」

あいつが、私に料理を振る舞うのが嫌いじゃないというのは知っていた。マメなところがあるのも。
付き合っているわけでもないのにこんなことを知っているのが自分でも不思議になる。友達のままだと思っているくせに、身体を知っていて些細な癖を知っていて、時々変にときめいたりするのはやっぱりどこかおかしい。
こんな気持ちになるのは私だけなのか。
私の好みに合わせて作られたとしか思えない朝食は目が覚めるほど美味しかった。



昼頃になって帰ってきた伊達は、私をひとりにした言い訳か何かみたいに喋り出した。

「猿飛の奴、急にバイトのシフト代われとか言い出しやがって、今度酒奢らすことにしたからお前も来いよ。タダ酒だ」

部屋の本棚にあったミステリー小説を閉じて見上げると、ソファのふちからはみ出した私の頭を伊達がやんわりと撫でた。こんなに優しげな手と仕草が、いっそう奴の真意を分かりにくくする。

「伊達、猿飛とそんなに仲良かったっけ?」
「……そうでもねえがな」
「含みのある言い方だね」
「まあ、あれだ、お互い大人になったってことだ」

高校時代の伊達と猿飛は険悪だったなあと思い返していたら、急に伊達が羽織っていたジャケットを脱いで私の顔面に落とした。ぐえっ、とか潰されたような声が出る。それを聞いて笑った伊達は、恨めしく隙間から見上げる私の額をまたそっと撫でて、俺まだ昼飯食ってねーんだよ、と言った。

「お前もどうせ食ってねえんだろ?」
「うん。作って」
「しょうがねえ奴」

伊達は笑った。優しくされて舞い上がっているのはきっと私だけだ。俺といればいい。そう言われれば嬉しいし、そうしたいとも思う。本当に。
朝食のときの食器は洗っておいた。キッチンに消えていった伊達がそれに気付いて何か言うのがうっすらと聞こえて、私は適当にうん、だとか返事をした。確かに私たちは友達だが、こんなに平和なら少しくらい男女の関係でいてもいい気がした。でも気がするだけで、そういうわけにもいかないことだって分かっている。どんなに他愛ない調子でやりとりしても、本当は悪いものは悪いわけだから。
許してね。
誰に乞わなきゃいけないことかは私も分かっている。たとえば、伊達を好きだと言った可愛い可愛い後輩だとか、私の男だとかに。

罪悪感を持つのも、三度目からは数えるのをやめた。どうしてこんなに長い間こんな風に付き合いを続けてこられたのか、今もよく分からない。なんとなくうやむやのまま私たちの関係は延長されて、結局それでいいと思えてしまえている。

「伊達」

呼ぶと彼は振り返って、片目を細めて笑った。オニオンスープのいいにおいがする。私は吸い寄せられるように、意外と姿勢のいい背中に額をつけて抱き締めた。
――許してね
自分の幸福と一緒に誰かの不幸を育てる罪悪感と、何度目かの恋人みたいなキスで眩暈がした。

友達だ。もう二度とあの夏の前のようにはいかなくても、それでも私たちは恋人ではない。





きみはそう、したり顔をして
まんなかを抜いていくのだね




×