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昔からそうだ。
からかうように笑っている彼女の目に、苦しげな微熱が浮いている。彼女に名前を呼ばれて肩がすくむほど緊張するようになったのはいつからだろう。熱のこもった目はいつもそっと何かを憚るように伏せられてしまって真意を読めない。無駄かもしれないのに期待ばかりが育っていく。熱に晒された目が潰れそうだ。彼女は昔からそうだ。僕が手を伸ばした先から、からかうように逃げていく。
それでも彼女は僕を見る。微熱に浮かされた目で見る。
だからまだこうやって諦めきれないままだ。昔からそうだ。彼女に好きだと言えないまま、手を伸ばし損ねている。


そうしてそのまま大人になってしまった、今となっては彼女の眼中に映る僕は主君にうつつを抜かすバカな男だった。



「お姫様と騎士ならいい具合に釣り合い取れるんじゃない?がんばれランスロット」

彼女の他愛ない皮肉な調子がダングレストの街中にあまりに似つかわしいので息が詰まってしまった。からかう目をした彼女は形のいい唇をほんの少し開いて笑う。

「名前、僕をからかってるつもりかい?…君が邪推するような関係じゃないよ、僕とエステリーゼ様は」
「じゃあこれからなるわけだ。ギネヴィア様に手を出すときは慎重にね」
「……名前」
「うん?」
「君は本当に、僕がエステリーゼ様に忠誠心以外のものを持っていると思うのかい」

勘違いをしているよ、とそのままの意味では言えなかった。この意気地のなさが今の事態を招いているのだと分かっているのに舌がかさかさに乾いて言葉が出てこない。彼女はすっかり僕のことを、異国の物語に出てくる騎士と同じだと思っている。仕える相手に本気で恋をする不義を犯していると。
暗い赤色をしたダングレストの空を横目に見上げて、名前は言葉を探すように黙っていた。
昔からそうだ。名前は、僕が彼女以外の女性にしか恋愛感情を持たないと思っている。
そう思ったらむなしいや悲しいより先に、苛立ちが湧いてきて、君をこんなに好きなのにと喚きたくなった。彼女の平然と切り返す声がやけに癇に障る。

「ずいぶんとご執心の様子だったから後押ししてあげたのにその言い方はないでしょ」
「君は、僕の気持ちを聞くのが嫌だから、そうやってはぐらかそうとするのかな。それとも、僕を嫌ってるだけ?」
「昔なじみの幸せと成功を祈ってるつもりだったんだけど」
「…名前。今さら突き放さないでくれないか。…親友、だろう?」
「突き放してなんか」
「いないって?…そうだね、君はそう思うのかもしれないね。前言は撤回する。君は親友じゃない。僕の大切な女性だよ、名前」
「フレン」

放して、と咎めるように言った彼女の声が強張っている。僕はといえば掴んだ彼女の手首の細さに驚いて、名前はこんなにはかなげな身体をしていただろうかと考えていた。
向かい合った視線が泣きそうに揺れている。熱っぽい彼女の目に晒されて、それに浮かされているのは自分だと気付いた。無駄な期待を何度も繰り返して、その分だけ落差に失望して、それでも彼女が誰よりもうつくしく見えることやいとおしく思えることが変わらなくて苦しかった。
もしかしたら君も、と無駄な期待を何百回。

「君にとって僕がどんな存在か知りたいんだ、名前。…答えてくれるかい?」

これからはきっと、君を傷付けた、と後悔を何度でも。





名前は抵抗しようとはしなかった。ただ、唇を重ねても舌をねじ込んでも、彼女はすこし苦しげに僕を見ているだけだった。
心臓の近くを打った名前の拳を掴み取ってほどく。細い指だ。絡めとってからまたそんなことに気付く。

「こんなのはいやだよ、フレン」
「…あのね、名前。僕は、女性の"嫌だ"は逆の意味に聞こえるんだ。そうかと言ってもっと、と言われたら鵜呑みにする。……男っていうのはそういうご都合主義ばかりだよ」
「じゃあ何て言ったらやめる?」
「さあ?」
「フレン」
「ほら、またそうやって。いつまで弟をいさめるようなつもりでいるんだか」
「…大っ嫌い」
「僕は好きだ」

この身体にさわることは叶わないと思っていた。彼女はずっと手が届く場所にいたのに諦めていた。
彼女は昔、自分を拾い育ててくれた養母のような人になると言った。強くて気高い彼女のように。そう言って、言いながら、彼女はそのまま成長した。その人の背中を追う名前は、既に何人もの男を自分のなびく髪や華奢な背に釘付けにしていることを知らないで走っていく。今腕の中で身体をよじる彼女が一度も、そんな中の僕の視線に頓着しなかったことは明白だった。彼女に触れた手に伝わる生々しくて喜ばしい柔らかさは、僕が本当の意味で彼女の背に追い縋った証拠だ。いつの間にか僕やユーリを置き去りにして遠退いた、明敏でしたたかな名前。

彼女は泣いている。押し返そうとした手を丸め、彼女は僕の胸元を引っ掻いた。ちょうど心臓の真上に見当をつけて爪を立てて、喉の奥から絞り出すように、彼女は泣く。
僕には、彼女が泣くことがこの世で何より耐え難いことのひとつだったけれど、それでも毎夜見た夢のように、名前の姿はうつくしかった。
名前が好きだった。彼女が僕を嫌ってもいつか忘れても、僕が彼女を愛して抱いたことだけは、僕が覚えている。愛し続ける自信がある。

「…名前、心から言うよ。君を愛してる」

凶器のように鋭い名前の爪が喉元をかすめた。
彼女はやっぱり泣いていた。泣きながら何度も僕の名前を呼ぶ声がか細い。
ただたった一度でもいいから手に入れてみたかった。それだけなんだ。彼女がそうと知らなくても僕の心だけが捕まっている。彼女がそうと思わないだけで、僕の心だけがずっと彼女のものだった。

「今さらそんなこと言わないでよ」

片手で目元を覆って相変わらず泣きながら彼女が言う。
覆い被さってその身体を抱きしめたまま、僕は動けなくなった。
薄く鋭い猫のような爪が今度は背中を刺した。

「今まで通りでいいってやっと思えたのに」

震えている彼女の上半身を抱き上げて、背けようと躍起になっている顔に顔を寄せた。合わせた唇が震えていたのは僕の方だったかもしれない。
埋み火のようにじりじりと熱が内側にこもって、彼女の濡れた目から目をそらせなくなった。

「好きだったよ。フレンが私のことを考えてないときだってずっと」
「……君だって気付かなかっただろう」

背中の皮にきりきりと名前の爪が食い込んでいく。彼女の唇がまるで遮るように僕の唇を塞いだ。
もしかしたら君も、と期待が何万回。彼女の言葉が今さらのように喉に詰まってうまく呑み込めず、僕まで泣きそうになる。

「もう君のものなんだ。名前。見捨てないでくれよ」

彼女の閉じたまぶたが震えて、開いた。答えの代わりに顔に添えられた彼女の両手に引っ張られるようにもう一度キスをする。
ずっと僕の方だけが君のものだった。でもそれも今夜までだ。

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