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これの続き




ユーリはあれから前以上に足しげくうちに来るようになった。
ギルドの仕事があるから忙しいんじゃなかったの、だとか、そうやって追い返そうとしてもあいつはちょっと笑うだけで言い返さない。私にだって罪悪感がある。同じ意味で好きだと言えないくせに拒否しきれていない私も悪かった。

けど、毎日毎日、その日生きるのにも懸命なもんだから私はその内ユーリが訪ねてくることに自然と気を配らなくなり、そうしていつの間にか慣れてしまった。ユーリはあれからまるっきりそういう話には持っていかなくなったし、何もかもいつも通りになっていった。ユーリがこんなに頻繁に家へ来ることもいつの間にか「いつものこと」で済むようになって、いよいよ私はユーリからの告白なんかやっぱり何か変な夢でも見たんじゃないかと思い始めている。
第一、家に上げるのが駄目とか話すのを拒否するとか、そんなのは無理だ。どう考えたって。何年来の友人だと思ってるんだ。今さら私が妙に意識したら、それは自意識過剰ってものだ。

なんたってユーリのやつ、本当に何でもない顔をして現れる。
私だけ構えたってどうにもならない。






「よっ、邪魔するぜ名前」
「ユーリさぁ…暇なの?」


今まさに部屋を出るところだったのに声をかけられたので私は立ち止まった。首を向けると、相も変わらずユーリは窓の木枠に足をかけて、ちょうど部屋に侵入してくるところだ。


「暇なわけねえだろ。今、依頼の帰りなんだよ」
「わざわざ寄ったの?ずいぶんな寄り道だね」
「まあな。茶の一杯でも飲もうと思ったんで来たんだが、お前、出かけんのか?」
「そうだよ。だからまっすぐ帰ったら?」
「つれねーの」
「別に留守中いても構わないけどさ」
「……お優しいこって」


らしくもなくへらへら笑ったユーリは、その場で不意に力なくうなだれた。ハァアーとかガラにもなく深い深いため息を吐き出して、それからすたすたと部屋を横断し、私のそばに立つ。
ユーリは眉間にぐっと力を入れて、不機嫌そうな不安そうな顔を作った。フレンがお小言を言う前の顔にちょっと似ている。これは長くなりそうだ。直感が告げた。今日はギルドの連中と一緒には、依頼主の所に顔を出せそうにない。
ユーリが私の手をドアノブから外させる。ゆっくりとした、でも抗いがたいその挙動を見つめながら、今日ばかりはボスに怒られるのを覚悟した。

正直、ユーリが私に構ってくれることや心配してくれることには感謝している。いつの間にか日常的になってしまった一連の応酬のお陰で、失恋の痛手なんかバカらしいと思えることも増えた。
それが私にとってどれくらい大きなことなのか、本当はユーリに言いそびれている。


「なあ名前、お前さ、こんな簡単に部屋に男上げんのやめろよ。勘違いした輩に押し倒されんぞ」
「わざわざ上がり込むような図々しいのは生憎ふたりしかいないんでね。安心して」


ひとりは当然ユーリだ。もうひとりのことは、この何ヵ月かの間に私やユーリが触れずに置いておいた爆弾だった。
フレンなんかフラれちまえとか思ってる私は最高に可愛くない最低の女だった。フレンはめったに下町へ出て来なくなったし、仕事が忙しいんだろう。私は顔すら見ていない。でも絶対に暇を見つけては彼女だっていう女の子とイチャイチャしてやがるかと思うと悲しいしさみしかった。当たり前に蚊帳の外にいるのがこんなに切ないこととは知らなかったのだ。
でも、フレンなんかフラれちまえ、と今はもうそんな風に思えない。むしろそうやって被害者面をしている自分を見つめ直すのが最高に辛かった。幸せを祈るような殊勝なことはできないにしても、フレンに不幸になれと念じる方がよほど難しいと気付いてしまった。……そもそもそう気付けたのだって、横でユーリが無理やりにでも日常を展開してくれたからだ。私はそこから離れられないし、いつまでも不毛な恋に泣き濡れるわけにはいかない。
私にも分かり始めている。


「その片方がお前に恋してるってのは、もう忘れてしまわれたんですかね、名前さん」
「ユーリ」
「………俺はこの際、勘違いしちまいてえよ、正直」

掴まれたままの手が反射的に、ユーリの手を強く握り返す。
うなだれたユーリの長髪がさらりと流れた。開け放したままの窓の外から、子供のはしゃぐ声が聞こえる。
差し出すような格好になっている彼の額に、私はそっと自分の額を合わせた。……子どものころは、彼は私にこうされるのが嫌いだった。私が自分の母にそうしてもらったのをそのまま真似て友人を慰めるのを、犬や猫じゃねーんだぞと言ったのはユーリだった。


「お前に、話したいことがあった。フレンと例の彼女の話とか、な……でもできるわけねえ」


骨を伝わった音はやけにくぐもって聞こえた。ユーリの絞り出すような声に、私まで息が苦しくなる。低い声だった。彼はまるで懺悔しているみたいだと、そう感じたのはただ私が後ろめたく思っているからなのかもしれない。彼に甘えていた。そう思う気恥ずかしさで、とっさに唇をきつく噛んだ。急に忘れるなとばかりに見せ付けられた好意に、後ろめたいだとか思うのは申し訳なくて、顔を上げられなくなっていた。そんなつもりはなくてもユーリからの好意を利用していたのだ。ひどく恥ずかしかった。


「お前に泣かれたら元も子もねえんだよ、名前。頼むから、そんな顔すんな」


実際、今私はどんな顔をしているのだろう。動けなかった。ユーリ。彼の名前を呼ぶひ弱な自分の声が、うららかな午後の日が差し込む室内に沈む。


「俺がいるって気付け。いい加減こっち見ろ」
「………利用されてるって思わないのかよ、バカユーリ」
「利用すりゃいい。いくらでも都合のいい男になってやる。………でも最後には俺のもんになれよ。じゃなきゃ許さねえ」


ユーリは私が握り返していた手を引っ張ると、あっさり私を抱き締めた。呆れるほど優しい両腕だった。心臓の音がする。額に感じるユーリの心音がまるで全力疾走したあとみたいに速い。
私にも分かり始めている。もうフレンとその彼女の行く末に悪態をつくような気持ちにはなれない。
そばにいて構ってくれて心配してくれて甘やかしてくれる奴が、現金な私の頭からその辺のものをまとめて洗い浚ってしまったからだ。
もう私にも分かっている。この男に、女として愛されるその意味が。


「ユーリのバカ」
「かもな」
「利用するつもりなかった。結果的にそうなっちゃったけど」
「…だな」
「でも誰のお陰でこんな立ち直ったのかとか、私まだ言えてない」


ずっと回すのをためらっていた腕をユーリの背中に回す。そうすると、ユーリの顎だか頬だかが私のこめかみにすり寄ってくる。


「都合のいい男なんかじゃなくて、私のものになって」


語尾につけた、お願い、の一言が自分でびっくりするほど震えた。泣きじゃくりながら何て横柄なことを言ったんだと思う反面、それ以上言葉が出ていかなかった。
ユーリが、指先で私の髪をいじりながらため息をつく。


「……何で俺が口説かれてんだよ。逆じゃねえの?」


よしよし、だとか言いながらユーリは私の頭を撫でた。時々髪を梳くその手が、私の顔をさらりとした動作で上げさせる。
覗き込んでくるユーリの目が、光の加減でちらちらと紫に翳って見えてきれいだった。
ユーリ。彼の名前を呼んだ自分の声はやっぱり思ったよりずっと弱い。


「そう何度も呼ばなくても逃げやしねえよ。てかお前が逃げんな」


もう一度、逃げんなよ、と念を押してから初めて、ユーリは私とキスをした。




君に花を贈ろう
ステルンベルギア。この恋にふさわしい花を。


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