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カーテンを引く音で目が覚めた。誰か枕元に立っている気配にも気付いていた。誰だろう。起きる気は少しも無かったので、身じろぎもしないでじっとしていることにした。さながら死体のように。


「先輩、サボりっスか」
「体調不良です」


見た目だけは完璧に眠っていたはずの私に、ひそりと話しかけてきた彼のことはよく知っている。級友の部活の後輩だ。


「君こそ、体育じゃなかったの?」
「そうっス。渋沢キャプテンはいるのに先輩がいなかったんで、ここかと思って」


毎週水曜日は第一第二の隣り合わせのグラウンドで体育がある。3年の3クラスと二年の3クラス、男子も女子も一緒になってやる数少ない授業だ。ここぞとばかりに男子も女子も気合いを入れて望むある意味痛々しい時間でもある。共学にも関わらずフェンスで敷地を割られていることが、そういう男女のフラストレーションを生むらしい。あんまり興味無いから誰が誰と付き合ってて気があって、なんていうのはよく知らないが、でもやっぱりみんながギラついてるのはひしひしと感じる。怖いの何の。苦手だからたまにこうして仮病でサボるわけであって。
まさか3年女子内での注目度1、2位を争う藤代誠二がそのサボりの現場に来るなんて思わない。いくらちょっと交流があるからって。
そう、彼のサッカー部の先輩にあたる渋沢と私は同じクラスだ。
確かにそこそこに仲はいいつもりだ。でもあのだだっ広いグラウンドで渋沢を見つけてその上私ひとりいない程度の変化に気付くなんて彼は相変わらず妙なところで目ざとい。


「早めに戻りなよ」
「足どうにかするまではいます」
「は?」


保健室の安いパイプベッドがぎしりと音を立てた。上半身を起こした私に見えやすいように、藤代くんは左足を持ち上げて、ほら、とまだ赤々と生々しい傷口を見せつける。手当てしてもらうつもりで来たんですけど、保健の先生いなかったんで。彼はハハハと何でもないような顔で笑うが、こんな傷放っておいたら後々面倒になる。化膿とか。うちの学校の期待のエースの健脚をこのままにするのもどうだろう、と思ってしまった私は素早くベッドから起き上がってシワの寄っている制服のスカートを正し、藤代くんに向かってそこに座りなさいと居丈高に命じた。藤代くんは素直にそばのソファに寄っていき、怪我をしている方の足を伸ばして座った。私は消毒液やらガーゼやらを勝手にガチャガチャ出してきて彼の前に膝を突く。私もそそっかしいのでこの手の擦り傷の処置は慣れている。染みるからね、と前置きした私に、藤代くんは、えええ、と嫌そうに抗議するような声を上げたけど結局私は無視して消毒液に浸した脱脂綿を彼の傷口に押し当てた。


「………超、染みる」
「そう言ったし」
「なんか優しさが足んなくないスか」
「仕様です」
「勘弁してくださいよー」


彼はへらへらと邪気なくむしろ人懐こく笑う。染みるだの痛いだのと言う割には彼はよくこらえている。眉が下がり気味になっているのがちょっと可愛い。
消毒をする合間に見上げると、藤代くんはちょっと遠くの方を見て唇を引き結んでいた。下から見るアングルだと、まだ14のくせにやたらシャープな彼の顎の線に目が吸い寄せられる。育ち盛りの伸び盛りで、藤代くんの身長はもう176あるとかないとかいう話を聞いた。サバ読んでんじゃないかと私は疑っているが、彼があまりにも得意気に話すので、渋沢抜かして出直せと言ってやったことが記憶に新しい。
消毒し終わった傷口に大きめの絆創膏を貼り付けて、終わったよ、と声をかける。藤代くんはようやく目線を下げて、脚の間にしゃがんだ私を見た。そしてとたんに逸らした。ちょっと顔が赤い。こいつ何かやらしい想像したな、と思ったが触れないでおくことにした。


「そういえば選抜決まったんだって?」
「あ、はい」
「もっと自慢気にするかと思ったけど普通だね」
「いやだってほら、俺呼ばないとかありえないっスもん」


ちらっと横目で私を見下ろして今度こそ自慢気に、彼は口角をちょっと上げて笑った。すぐ調子に乗る。


「はいはい。さすがだね、すごいね」
「………俺、先輩に褒められたの初めてな気が」
「そう?あ、あの美人ってやっぱり選抜の偉い人?」


私は喋りながら手の中で丸めた絆創膏のゴミに、消毒に使った脱脂綿をくるんでゴミ箱に投げる。ふちに当たってぽろっとゴールイン。ナイスシュート、と言って藤代くんはにかっと笑う。
それから藤代くんは自分の膝に肘を置いて、しゃがんだままの私にぐっと顔を寄せてきた。首をすくめてやや避ける。近いよ、と言う前に文字通り目の前で藤代くんが口を開いた。


「心配しなくても俺は先輩一筋っスよ」
「何の話だろう」
「俺、選抜でも絶対エース張るんで。したら惚れます?」
「その勇姿を間近で見るわけじゃないから別に」
「見たら惚れてくれるんスか」
「……君が楽しければ何よりだよ」


嘘は言っていないつもりだったのに藤代くんは面白くなさそうに口をへの字に曲げた。
確かに、はぐらかしているところがあるのは認める。彼が割と積極的に私に話しかけてくれる理由を知っていて、知らないふりを決め込んでいた。
なんたって彼はサッカーに熱中しているときが一番カッコついてるし、本人もサッカーは好きで今は思い切り熱中したいだろうし、そして何より彼は振り向かない女を追いかけるのにはすぐに飽きるだろうと思っていたからだ。ちょっとアテは外れたけど。


「惚れてくださいよ」
「…藤代くん」
「言っときますけど俺、本気ですよ」


首の角度をやや修正して傾けたあと、私の顔をしげしげと覗き込んでから彼はいとも簡単に唇を掠め取っていった。
うっかり手を放した消毒液のボトルがスカートの上を滑り降りて床に落ちた。
やめてほしいようなほしくないような微妙な気持ちで、剥き出しになっている藤代くんの膝に手を置く。そしたら彼の手がそれに重なった。調子に乗ったみたいに首の後ろに別の方の手が這ってくる。やっぱりやめてほしくない。

もしもまさに今入ってくるような最高に空気の読めない奴がいたとしても、たぶんお互いにやめられないと思う。
指を絡めてくる藤代くんの意外にも大きくて厚い手を、私から精一杯の力で握りしめる。舌の上で、ぬるかった息が次第に熱くなった。一旦離れてお互いの顔を覗き込むと、今まで涼しい顔をしていた藤代くんの目元は歪んでいた。余裕皆無。そういう顔だ。


「ねえ先輩、選抜もそうっスけど俺、大会でも活躍するんで」
「…うん、見に行く」
「マジ?…やり!」


無邪気に笑った藤代くんはたくましい腕で私の肩を丸ごと引き寄せて、ついにソファを膝から下りるとその腕に力を入れた。密着した藤代くんの胸で圧迫された私の胸が、間でふにゃりと潰れる。
彼の肩越しに壁掛けの時計が見えた。授業が終わるまでまだあと20分。
あと20分の間にもう惚れてるんだけど、なんて言える気がしないまま、私から藤代くんにキスをした。



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