大所帯から数振りいなくなったからといって、本丸の日々には変化がない。通常の業務が連綿と続き、出陣もあれば内番もある。資材食材その他物資のやりくりからも逃げられないし、演練も会議もそれらに伴う報告書の作成もある。 他に何を思い煩うこともなく仕事にだけ頭を悩ます日々に埋もれて、私はこの猶予のひと月を使い潰した。 第四部隊帰還の先触れがあったのは、彼らの帰還予定日の三日前のことだった。 山鳥毛が帰ってきてしまう。 戦績の書類と陣形データを映したタブレットを一緒くたに持った手が震えた。いろいろな仕事の予定に紛れてすっかり失念していた。むしろ、積極的に忘れようと努めてさえいた。 もう一度拒絶の牙城を積み上げておくこともしていない、かといって彼に身を任す覚悟が定まってもいない。何もかもが中途半端だった。 第四部隊帰還の前夜、私は一人自室で酒を飲んでいた。酔えば少しはこの身を切り崩すことを考えられると思ったのだけれど、いくら舐めたところで酒精も焼け石に水だった。いっそ眠ってしまった方が早いかもしれないと思いながらも杯を重ねる。 無為に時間を過ごすうち酔いが回ってきて暑くて、部屋の障子を開けた。 離れの庭先はすっかり夜闇に沈んでいる。満月の近い晩、夜目もそこそこ利くはずだったのだが妙に暗い。いつの間にやら雲が出ている。風が凪いで、あたりはしんと静かで、草も木もしっとりと湿っていて。……何か、良くないことが起ころうとしている予感に胸騒ぎがした時、それは現れた。 ぬっと暗闇から伸び出た影があった。眦に、燃え上がる焔のような紅い紋様。山鳥毛。 「いつもそのようにしどけない姿でいるのか」 酒精の熱に、は、と息をつく。彼は音もなく歩み寄り、私のすぐ傍らに座った。畳の上を移動する衣擦れが耳の奥で聞こえるようだった。山鳥毛の指が伸びてきて髪を一筋絡め取る。 「遠征部隊の帰還は明日のはずですが……」 「君に会いたいばかりに夜駆けした。隊は御前が率いて戻るだろう」 うまく口が動かなかった。唇も喉の震えも酒精に浸って鈍くなって、思考まで濁って、まともに働かない。 「このひと月あまり、どれほど焦がれたかわかるまい」 私の頬に山鳥毛の手が触れ、輪郭をなぞるように滑り降りて顎を掴んだ。私は抗えない。彼の纏う空気は重く澱んでいて、触れ合う箇所だけが燃えるように熱い。 山鳥毛の手のひらは大きくて厚く、それでいて冷たいのに。氷が肌に押し当てられているような気がして身体が勝手に慄える。それでも振りほどこうという気持ちになれない。 「怯えることはない」 山鳥毛は低く呟いた。 「私も同じだ」 ……同じ。この雄偉かつ優美な男が、怯えるほどの何が、この私にあるというのだろう。 そんなことをぼんやり思った瞬間、ぐいと肩を引かれて組み敷かれた。仰向けに倒れ込む。覆い被さってくる山鳥毛の顔に陰が落ちる。視界を暗く遮る。男の赤い目が熱く潤んで、私だけを見ている。 鼻先が触れる。互いの吐く呼吸を感じるほどの距離で、男の瞳孔の中に浮かぶ金色の星が見えた。見惚れて、目を閉じる。 山鳥毛は私の下肢に跨がると着物の裾を割って太腿を撫で上げた。ぞわぞわしたかゆいような感覚と、それからどうしようもない飢餓感。 山鳥毛の唇が重なり、首の後ろに手が回される。冷たい手に項をなぞられ、舌先を強く吸われて、それだけで背筋を悪寒に似た快感が流れた。腰に響く甘い疼きは、じくじくとした痛みを伴って体幹へと伝わっていく。思わず漏らした喘ぎ声を吸い取るように口付けられて、息継ぎも上手くできず苦しいはずなのに何故かもっと、と思ってしまう自分を止められない。 ようやく解放され、唾液にまみれた唇がすうすう冷たくて寂しい。山鳥毛は手袋の片方を口に含み、脱いだ手を私に見せつけた。手指の甲にまで広がる刺青の、赤い色が、闇の中でもなお一層濃く鮮やかに浮かび上がって見える。それがどういう意味を持つのか理解して、私は慌てて視線を引き剥がした。 「小鳥よ」 私を見下ろす男はどこまでも真摯な声で囁く。愛おしさと慈しみに満ちた眼差し。しかしどこかに狂おしく燃え盛る情欲の焔が見え隠れしているように思えてならない。私は身震いして顔を逸らし、どうにか逃げ出そうとするけれども身体は石のように重かった。 「どうか、君に触れることを許してほしい」 半身を折り、山鳥毛は私の両手首を床に押しつけるようにして拘束してくる。手首から伝わる硬い骨の感触に慄く間にも、彼は私の顔やら鎖骨やらに唇を押しつけ、耳殻を噛んだ。 息を呑み、逃れようとする意思とは裏腹に、彼の望みを受け入れてしまいたいという衝動がいよいよ抑えがたく震えだす。 なにもかも彼の誘惑と、ひとりで呑んでいた酒のせいにして。だから今夜だけ。ほんの少し、火遊びをするだけのことだ。 「いま、今だけです」 答えた途端に抱きすくめられ、再び深く接吻けられた。今度は優しく宥めるような動きで舌先が触れてくる。山鳥毛の手が夜着を脱がせようと肩口を這い回る。甘やかな陶酔に身を任せる内、いつしか私の手は自らの意思を離れ、男の身体をまさぐり始めていた。 「ぁ……っ」 胸に顔を埋めた男が乳首にしゃぶりつく。ざらついた熱い舌で、敏感すぎる突起の先だけを何度も丹念に、しつこく、なぶるように苛まれて、堪えきれない声が次から次にこぼれ落ちた。 冷えて固まり、溶け出す機会もなく放置されていた、私の中のおんなを、引き摺り出されようとしている。そんな気がした。……むしろそれこそ私の願望なのかもしれない。 乳房に頬ずりする山鳥毛の髪に指を差し入れる。いつも高いところにあって威圧的な角度で見下ろしてくる男の頭が、私の腕の中にあると思うと不思議だった。 感慨に耽る間も、胸への攻めは執拗さを増していく。膨れた先端が更に固くしこって痛みさえ感じているにもかかわらず、もう一方を爪の先で弄ばれる。 自分の身体の熱に耐えきれなくなって敷布に顔を埋めると、彼は一旦行為を中断して上体を起こした。その仕草には余裕めいた気配があって腹立たしい。 「ああ、すまない。つい夢中になってしまった」 そう言う山鳥毛の瞳には、凶暴な炎が宿っていた。 唇と歯で執拗に責め立てられた右の先端はすでに痛々しく真っ赤になり、空気に触れるだけで疼いて仕方がない。そしてそれとは対照的に左手が包み込んでいる方は逆に、男の舌遣いによって唾液が塗り込められていて、こちらもまたむず痒い。 私は無意識のうちに両方の頂へそれぞれ手のひらを当て、慰めようとしていた。 それを見た山鳥毛が身を伏せ、胸元へと顔を近づけてくる。はやく、と言わなくとも、彼は私の望みを知っていた。 山鳥毛の舌先が赤く熟れて張り詰めた先端に触れ、軽く押し潰されただけで、びくりと全身が跳ね上がった。そのまま強く吸い上げられれば腰がくねり上がりそうになるほど強い刺激に翻弄されて、もう声を抑えることもできなくなる。 口の中に溜まった唾をごくりと音を立てて嚥下した山鳥毛は私を一度見上げると再び目を閉じ、今度は歯で扱くように、硬くなった突起を引っ張ったり転がしたりしてみせた。 やがて反対側も同じように舌の洗礼を受け、飽くことなく繰り返されるうちに私の呼吸は乱れ、思考は徐々にぼやけてくる。 ……あたまがおかしくなりそうだ。 胸への快感はそのままに、足の付け根あたりにじわじわ痺れるような感覚が生じてきて、それが何とも言えず恐ろしかった。 しかし私の様子を逐一確認していた山鳥毛はその隙を見計らったかのように、胸から手を離すとそっと下肢に触れた。 股の間を探るようにして擦り上げられると身体中が痺れたように震え、膝を割ろうとする手に抵抗しようにもままならない。 布地の上端から指を差し入れられて秘処を直接触れられた途端、ついに私は小さく悲鳴を上げた。 「やめて」と言うつもりの声が掠れてしまうのは、恐怖からではないことを知っている。私を見下ろす男は薄く微笑し、「大丈夫だ」と言いながら指を動かしはじめる。 湿った水音が耳に届いて、それでもまだどこかで「本当に?」と不安が拭えない。本当に、このまま許してしまっていいのだろうか。 既に了承してしまって、私を恋うている男からこの行為を取り上げることはもうきっとできないのに、不安でたまらなかった。 山鳥毛の手に下着を取り払われると、彼の目前に全てが晒される形となった。慌てて太腿を閉じるが当然そんなものは無意味で、山鳥毛は私の両足首を掴み、ぐいと大きく広げた。 「あっ……うそ……」 彼は自らの唇で、舌先で粘液で溢れる花芽を刺激した。 これまで一度も触れさせたことのない箇所に突如としてもたらされた、想像を絶する快楽から逃れようと私は頭を振ったが、かえってそれはさらなる昂りを生むことになった。舌先が敏感な部分を往復し、唇がそこを覆ってちゅう、と強く吸う度に、私の喉からは甘やかな吐息ばかりが出てくるようになる。 「ぁ、山鳥毛、もっと……胸にした、みたいに、して」 理性のかけらもない哀願を聞いて、彼はすぐに私の望みを叶えた。私の両足を肩にかけ、更に深く顔を埋めてくる男の長い前髪が私の腹をくすぐる。ぬめった舌が陰核全体を舐り、小刻みに弾かれる。 片手で膣の入り口を掻き混ぜるようにされると堪らず背が反り、結果私の弱点をよりいっそう彼に差し出してしまう。男の太い親指がずぷりとぬかるみに沈む。敏感すぎる粒を優しく潰され、じゅぷ、と下品に音を立てて吸い上げてくる。 ひっきりなしに収縮を繰り返す内部を指先で探られるたび、ひん剥かれたクリトリスをその形に沿ってぐるりと撫でるように舐められるたび、その行為がもたらす強烈な官能に私の視界は白濁したように眩んだ。 「んんッ、あっ、 さ、山鳥毛……も、いっ……」 腰の奥が甘く疼き、耐えられない。私はもうほとんど泣いているのに、山鳥毛はそれをも意に介さずに更に執拗に、私の身体に火をつけようとする。 「い、いくっ……んぁ、ああ……――!」 痙攣が止まらない。頭は痺れていて何も考えられなかった。ただ山鳥毛の指だけが鮮明に感じられた。いつの間にか二本、抜き差しを繰り返しながら弱い箇所を何度も押し込まれる。 男の肩を押し返そうとしたけれど力が入らずに、むしろすがりつく形になるだけだった。山鳥毛が口を離せば糸を引いて雫が落ちていくのが見えた。山鳥毛は濡れた口の周りを手の甲で拭い取り、身を起こす。 私をどろどろにしてしまってから、山鳥毛はやっと自分の衣服に手をかけた。 上着を脱ぎ捨て、ベストの前を開く。ネクタイはすでにゆるめられ、ワイシャツのボタンが上からふたつ外れている。胸元から鎖骨にかけて、未だ墨色をした刺青模様がのぞいていた。その肌がひどく生々しい。 全てを脱ぎ去り、引き締まった身体を露わにした彼が、すでに固く勃ち上がっている自身の陰茎へ手を伸ばし、握り込んだ。そのまま上下に扱くのを見て、私はごくりと生唾を飲み込む。 「挿れても、いいな?」 言って私を見下ろす目は、熱にどろりと沈んで、常のような理知的な輝きを失っている。 指先で下腹をとんとん、と叩かれる。「ここに入りたいのだ」というように優しく触れられて、羞恥など消え去って早くひとつになりたい気持ちが勝って、私はゆっくりと脚を左右に開いた。男を迎え入れるように。 じくじくと口淫の快感の残滓を貪っている女陰に、先端があてがわれる。 ……くる。きてしまう。 そう思って身を強張らせた次の瞬間、ずぶりと怒涛のような熱量が私の中に突き立てられ、目の前に火花が散る。 「ひっ……」 情けない悲鳴を上げて腰を引く私を追い掛け、逃すまいとさらに深く挿入され、奥の行き止まりまでみっちりと埋められる。内臓ごと圧迫されるような苦しさと、それを上回るほどの悦楽。 ふー、ふーっと獣のように息をしながら山鳥毛が腰を動かす度、接合部から、ぱちゅ、ぐち、ぐちゃ、と粘ついた水音がする。内壁は山鳥毛の形に押し開かれ、私の意思とは関係なく子宮の入り口がひくついている。 「い、いや、山鳥毛、あっ……!」 腰の動きに合わせて漏れ出る私の甘い声に耳を傾けているらしい彼は律動を止めた。 「嫌、と?」 問いかけながら、焦らすようにゆっくりと粘膜を擦り立てる。ずるり、と入口ぎりぎりまで引き抜かれたかと思うと再び最奥を叩かれる。 「ぁ、あ……っ」 「いまだけは、許して下さるのではなかったかな、小鳥?」 背を反らし喘ぐ私の喉元に彼が顔を寄せ、歯を立てて、唸るように言う。首筋にかかる熱い吐息にさえ肌は震え、強く吸いつかれた痛みにも、びく、と身体が跳ねた。唇を噛みしめ耐えようとする私の顔をじっと見下ろしながら、山鳥毛はなおも問う。 「言を左右にするわけはあるまい?君はたしかに約したというのに」 ゆるやかな抽送を繰り返しながらも時折深く押し込まれるたびに膣内は痙攣し、彼の楔を絞り上げた。 「う、ごか、な……で……おかしくなっちゃ、ぁ……っ」 切れぎれに訴えても、山鳥毛は動きを止めるどころか私の両膝を掬って持ち上げ、まるで上から串刺しにするかのように体重をかけてきた。 ごつ、と一番奥を強く、重たく突かれる。 目を見開いて身体を引き攣らせることしかできないでいる私の頬を撫ぜながら山鳥毛が微笑んだ。汗ばんでいるせいか、普段よりも濃い色をした髪の束が、ひと房はらりと私の胸の上に落ちる。彼は身体を倒して密着させ、聞き分け悪くなおも私の奥深くを抉った。 「ああ……娼妓と、恋しい人を抱くのとでは、やはり違うな」 囁きかける声の甘く蕩けた、穏やかでさえある響きに、心まで震えた。どうしてこんな男が、私なんかのことを好きになってしまったのか。 理由のない好意を退けて、男の心身をよりよく保つための行為をと女まであてがって、それなのにどうして私は山鳥毛に身体を開いてしまったのだろう。 揺さぶられ掻き抱かれて、快楽の波が徐々に高まっていっているのがわかるけれど、どうしようもないほどに追い詰められているのは、むしろ彼ではないかという気さえしてくる。 それほどに切羽詰まった、じりじりとひりつく余裕のない表情だった。 この男は、本気で私を。 深く実感してはじめて、私は自分から手を伸ばして彼の顔に触れた。眦の焼けるように赤い刺青に指を這わせ、輪郭をたどり顎先をなぞると、熱望するかのようなまなざしがこちらに向いた。 「君を好いている、と何度も言っているはずなんだが……」 山鳥毛は眉間にかすかにしわを寄せる。私が触れたことの意味するところを読み取れないというように。 親指の腹で戸惑う男の唇を撫でつけ、そのまま自分の方へ引き寄せてみる。すると彼は逆らうことをせず、我がものにせんとばかりに穿っていた抽挿すら忘れたように、従順に顔を近づけてくる。触れるだけの接吻を何度か繰り返し、その唇を啄んでやれば山鳥毛は、はあ、と熱の籠ったため息をついた。 「今夜まで、君は私の望むものは何もくれなかった。……それが突然これではな」 山鳥毛の、野を焼く火のような目が揺れる。私を見下ろす眼差しはどこか子供っぽく見えてしまうくらい必死な、そして切実なものを湛えていた。 「今夜だけ、なにもかも許します。ほしいまま与えます。だから……」 言葉の途中で唇を重ねられた。ぬるりと滑りこんできた舌先と舌を擦り合わせる内、腰を抱え直された。再び突き上げられ、子宮口を捏ねるようにして攻め立てられる。身体がぶつかる乾いた音と粘膜のこすれ合う水音が響くたび息は乱れていった。 「一夜の夢に豪儀なことだ。小鳥」 よがって身じろぐ度ぎゅっと抱きしめられるのが苦しかったけれど、振り払うには力が弱すぎて、それとも心地よかったのだろうか、抵抗できなかった。ただ身を預けて与えられるものを貪る。許しているのも与えているのも、私ではなく彼の方だった。 ぐう、と押し付けられた山鳥毛の熱いものが私のなかで脈打っている。山鳥毛がその体を腹の底から震わせた。 「なか、ぁ、出て……っ」 どくりどくりと断続的に吐精される間も腰を動かされて、敏感な肉ひだはその度に震えて彼のものに吸い付く。 やがて一滴残らず注ぎ込まれ、山鳥毛は荒い息を整えながら、名残り惜しそうにゆっくり自身を抜いた。ずるりと抜かれた後を追うようにして吐き出されたものも一緒にこぼれ出る感覚があって思わず太腿を締めたが、彼は構わずまた奥深くへと潜り込んでくる。 「んぅ…ふ、あっ……いまは、ぁ、だめ……!」 「今夜だけ何もかも許し、与えると言ったばかりだ、君は」 山鳥毛は私の耳元に口づけて、一段と低い声でささやく。彼の表情を見たくて顔を横に向けようとしたが肩を押さえつけられた。ぐり、とねじこまれたものの先端で行き止まりの壁を突かれ、ひゅ、と短く喉が鳴る。 「だめ、も、もう無理ぃ……!」 涙ながらの懇願を、山鳥毛は一笑に付した。 「夜が明けるまで、まだ時間はたっぷりとある」 与えたものに比して、奪われたものがあまりに多かったのではないかという気がする。 あまりに色濃く塗り込められて、彼の気配はごまかしようもないほど身体じゅうにこびりついていた。 着せかけられた浴衣の前をかき合わせ、私は今さら身を守るように背を丸めた。 「少しやりすぎた。……すまなかったね、小鳥」 はらわたの奥から引きずり出された白濁を、丹念に拭き取ってくれた指が離れていった。気だるい体を男の腕に抱き込まれ、私は力無く目を閉じる。 「……こんなことになってから言うことではないかもしれませんけど、私、あなたに好かれる心当たりがないんです」 「おや、それは悲しいな」 山鳥毛が穏やかな笑い声を立てる。髪を撫ぜられれば胸の奥から湧いて来る安堵がなんともむず痒く感じた。彼を拒むどころか受け入れてしまったことで、私の中で決してしまったものがあるのは事実だった。 「凛として張りつめた君の気高さが好きだ。きっと本来は感情豊かな性質だろうに、努めて清く冷淡であろうとするところも、存外洒脱な皮肉を言うところも、もちろん心根の芯の強かさもまた格別だ。君を愛している。……どうしたら伝わるのかな」 「わかりました。いいです、そこまで言わなくて……」 恥ずかしさに負けて山鳥毛の唇に手を当てると、「照れる君を見るのは愉快で仕方がない」と言って山鳥毛は笑う。本当に憎らしい。 「君の方から踏み込んで聞いてくれるのは初めてだな」 私の手を取り、恭しく甲へ接吻を落とした彼は目を細める。彼はその表情に、すっかりいつも通りの余裕を取り戻していた。つい先ほどまでのどこか焦燥に駆られた雰囲気はどこにもない。 「あなたのそういうところ嫌いです」 「小鳥のつれない囀りも心地良いな」 山鳥毛の唇が手のひらをなぞる。戯れにしてはいやらしく触れる舌の感触がくすぐったくて、私は手を引っ込める。山鳥毛は気にする様子もなく、そのまま手を繋ぎ、絡め、口付けてきた。見つめてくる彼の瞳は熱を帯び、切なく潤んでいる。 「一度抱いたら意のままにできるとお思いですか」 「そんなことは、思ってはいないさ」 山鳥毛の声音には拗ねるような響きがある。唇が唇をなぞり、食まれ、深く重ね合わされる。 「……むしろ」 続く言葉を吐息と共に漏らしたきり、黙り込んだ彼に首を傾げると、布団の中で山鳥毛の脚が私の脚を絡め取った。腰を強く引き寄せられると下腹が密着して思わず息が詰まった。硬くそそり立ったものを押し付けるようにして腰を揺すられて思わず身を引く。 山鳥毛は私が退こうとした分だけ身を寄せ、腕の中に抱き込みながら、頬を寄せたり鼻を摺り合わせたりと猫の子のように甘えてくる。 「明けやらぬ内に君を骨抜きにするにはどうすればよいかと考えているんだ」 山鳥毛の手がそろりと私の脇腹を辿って背骨を辿る。うなじを撫で上げられ、ぞくりと肌がわなないた瞬間を見計らったように、また口付けられた。柔らかく触れた唇の温もりと湿り気を味わった瞬間、再び背筋を痺れさせる快楽の予感が駆け上がる。 「山鳥毛……今夜限りだと申し上げたことを?」 「承知の上で、君の堅い決意を翻しにかかっている。……小鳥」 そう言って耳の裏に舌を這わせながら首の付根から腰までゆっくりと撫で下ろし、内腿のあたりを何度も揉み込むようにしてくる山鳥毛の手つきはあまりに官能的だった。思わず身震いし、声を上げてしまう。 「ぁっ……」 「愛しいひと。もう一度、……許してくれるか?」 「ん、ぅ……」 つい甘えたような声が出たのを聞くや否や唇を重ねてきた彼はぐったりとした体を労わる素振りを見せるが、その実はより深く交われそうな角度を探すかのように体をまさぐる。 「今こうして肌を合わせることができただけでも、私にとっては天運だ。君に選ばれるためなら何でもしよう、何でも捧げよう。だから、どうか」 山鳥毛の指先が胸元を探る。心臓の上を軽く押すようにしてからかりっと引っ掻くような仕草に体が跳ね、喉の奥からは勝手にあえかな音が漏れ出る。 「君にもこの想いを知ってほしい。私が君を求めてやまないことを、どうか」 夜明けが迫っている。彼に約束した一晩が終わる。それを惜しく思う気持ちに気がついていた。この一夜の先を望んでいるのは彼ばかりではないということを知らしめられて動揺する自分にも。 「もう充分、思い知りました。今だけ、一夜だけと許してしまった時点で、私……」 言いかけた口を封じられる。熱い舌先に口蓋の内側をぞろりとなぞられて体に震えが走る。唇を離すと、山鳥毛はその端正な面立ちに蕩けきった笑みを浮かべた。 「ならば尚更だ。小鳥。私は後朝の別れなど御免被りたいし、君と朝寝と洒落込んで、本丸中に君との仲を認めさせたい」 低く甘い声で呼ばれただけで体の奥底がざわめく。まるで蜜が滴るように、男の言霊は染み入ってきて私の心を侵す。 堅持してきた壁を突き崩されて、確かにあった冷たい牙城をとろかされて、けれど抗うことはもはや叶わないこともわかっていた。 障子越しに差し込む朝日は既に高くなり、開け放された窓から風が吹き込んでくる。昨夜のまま寝乱れた敷布の上で、私は山鳥毛の腕の中、半ば呆然としながらまどろんでいた。彼の唇が肌を辿る感触や舌が立てる濡れた音を夢現に聞いていたが、意識がはっきりするにつれ自分の体の感覚も戻ってきた。背中にぴったりと沿わされる大きな体は、呼吸に合わせて緩やかに脈打っている。 「小鳥」 耳に注ぎ込まれる彼の吐息はかすかに熱を帯びて、まだ昨夜の名残を引きずっていることを教えてくれた。 重い瞼を押し上げるとすぐそこに山鳥毛の端整な面差しがあった。穏やかに澄んだ表情の、その美しさに一瞬息を詰めると、彼がふと笑う。 「そんな顔をしないでくれ。またほしくなってしまう」 額に口付けられ、目を閉じる。おそれていた怠惰と色欲が、たまらない幸福に私の体を浸している。 いつまでもこうしていたいけれど、そうはいかない。 男の分厚い体に腕を回してひとしきり抱きしめ、そっと身を起こした。 本丸の門あるいは母屋の方角から、第四部隊の帰還を告げる声が聞こえる。部隊長の任を山鳥毛から押し付けられた隠居の御仁が、きっと文句を言いにこの離れへ来るだろう。 それまでに、身嗜みのひとつも整えなければ。 pixiv投稿分再掲 ×
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