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本丸の刀剣男士たちには、刀剣男士専用の花街へ通うことを許している。男の身には溜まるものもあろうし、戦場での昂りがどうのともよく聞くし、それを解消する術が他にないなら、と。
提示された福利厚生で上手く遊ぶ者が大半、中にはそういった俗な欲とは無縁な者もある。
その辺りの事情にはあまり首を突っ込まないようにして、手形や履歴の管理はこんのすけ任せにしてしまっている。彼らも主に女との交歓についてまで知られては居心地が悪いだろう。これもまた配慮。



執務机の上へ放り出された手形を、私は見つめた。花街への直結ゲートの通行証、見世の会員証を兼ねた軽い木形だ。うちの男士たちは、これが私の目に入らぬよう細心の注意を払ってくれる律儀ものばかりである。

「見ず知らずの女より、君の慈悲を賜りたいと切望するものもあるだろうに」

上っ面だけの穏やかな口ぶりで、そびやかした肩からは威迫を振りまいている。山鳥毛のこの、何気なく他人を見下ろす角度が苦手だ。

「廓の人々も私と同じ女。磨いている分あちらの方が上等ですよ」
「まさか意を汲んでも下さらないとは」

……思えばはじめから様子のおかしい刀だった。
ポイントを溜めてもらえる例の応援キャンペーンで下賜された政府産で、私とは主従であるという意識が薄いのか、なぜだか私のことをやたらに口説く。それはもう熱心に。しかもどうやら、お世辞やおためごかしではない。本気で口説いてきているようなので対応に困る。押しが強いのも困りものだ。歳を重ねている分だけ図々しい。
元来、一門の長としての立場への責任感やら年長者としての振る舞いを心掛けるばかりに私心を押し込める傾向にある刀であるという。それがどうして。

「手形はお返しする」
「いいえ、なりません。山鳥毛。あなたが政府所蔵の時分にどうお過ごしだったか存じませんけれど、まさか清童でもないでしょう。身を持て余すくらいならさっさと行ってすっきりなさったら?」

私の返答を聞いて、山鳥毛が軽く目を瞠った。
男所帯では色々と持て余して大変だろうから。ついでに言うなら私自身の貞操も守りたいから。……口説かれるだけなら気分もいいけれど、身体を開くことまで要求されてはたまらない。山鳥毛のことは嫌いじゃないけどそれとこれとは別。
私がきっぱりと明け透けに拒絶を示すのは初めてだったので彼は面食らったようだった。しばらく黙って見返してきて、やがてふいと視線を逸らすように俯いた。

山鳥毛の立ち去ったあと、執務室の隣室の襖がこそりと開く。

「奴め、すっかり君に岡惚れだな」

出てきたのは一文字則宗。我が本丸でも随一の遊び人。
この一文字刀派の御隠居殿には私などはまるで孫娘のように見えていて何かと言うと可愛がってくれる。一文字の祖たる御前に粗雑な扱いをすると日光一文字あたりの胃に穴を空けそうだが、私はこのご隠居とは案外に気安い仲だった。
彼も政府産であるのに、山鳥毛との違いはなんなのだろう。特命調査を通して、彼が本丸付の刀になる前から多少の信用信頼を築いたからだろうか。それとも私の初期刀加州清光と彼に所縁があったから、そのためだろうか。
ともかく先ほどの山鳥毛とのやり取りは彼に筒抜けだった。
机上に取り残された手形をもう一度見る。

「好かれる理由に心当たりがないの」

はぁ、とため息が出る。どうしてそこまで彼が私に対して熱心になるのか解せない。
則宗はしたり顔で笑って、私の隣に座布団を引っ張ってきてどっかり腰掛けた。

「惚れた腫れたに理由がないことなど人間の君の方がよくよく承知しているんじゃないかね」
そう言って、花街の手形に手を伸ばす。
「しかしまあ、こいつは僕から山鳥毛に返しておくとしよう」
則宗は、指先で弾いたそれを手のひらの上に落とした。
「想いが昂じた上に欲求不満の身でいたら、如何な山鳥毛とて大切な主に無体を強いかねん。そうなってはいよいよ一文字の名折れというやつだろう」
「御前から言い含めて下さるなら、お任せします」
「うん、任された」

広げた扇子に、にこりと深めた笑みを閉じ込めて彼は請け負う。

「なかなかどうして酷な女だ、お前さんは」
「主たれ、将たれと戒められて育ちました。その私を女と、殊更に言い立てる方が悪いのです」

一文字の祖は肩をすくめてみせる。

「お前さんのような跳ねっ返りに惚れ込んでしまうなんてあれも運がなかったかなぁ……」
「愛のない言い種ですこと」

それから少し、近頃あったあれこれの世間話に興じて、ついでにご隠居に少し仕事を手伝わせた。
あまりにも休み休み手を動かす一文字則宗は、審神者の業務の手伝いよりよっぽど私との雑談をしたがっているような節があった。

「お前さん、まさか男を知らぬわけでもあるまいになあ」

不肖の跡目のために何かしらこの女の口から引き出してやれ、という意図を明け透けにして、彼が言う。

「なまじ知っているからこそ、極上の男を味わっては戦争などしたくなくなるでしょう」
「おいおい。そんな口説き文句は僕じゃなく欲している男にくれてやれよ」

私は彼の軽口を笑って受け流した。取って食われたくないばかりに、彼に内証事として打ち明けているのだ。
……結局、山鳥毛への同情も手形の返却も、則宗に丸投げするかたちになってしまった。

理由のない好意をおそれている。訓戒に身を守られ、虚勢を張ってようやく本丸の主人として立っているのに、横合いから突き崩されてはたまらない。
自ら求めて手に入れた刀の付喪神から、まるでただの男がするように愛をささやかれて、そんなことで動揺している自分のことも嫌でたまらない。
神に仕えるものの浄さと、戦に臨む将器を問われてきた。俗な肉欲などからすっかり切り離されて、それでずっとうまくやってきたのに。




それから数日の間を置いてのこと。第二部隊が出陣から帰還したときのことである。
苛烈な戦場だったせいだろうか。皆おそろしく昂ってしまって収拾がつかない状態だった。刀剣、刀装の破壊なし、本丸に戻れば状態はすべて出陣時と同様に回復する。戦闘、負傷で蒙ったストレスによって興奮状態に覚醒した心身を持て余し、そのことが最も悪い形で彼らに作用した結果、と私は推測を建てた。
いつもなら帰還後に出迎えに行くところだけれどその日ばかりは身の危険さえ感じたのもあって執務室に篭っていた。
身を清めたあとの彼らが連れ立って花街へ出かけていってからようやく、私は立て篭もっていた巣から抜け出した。

こんのすけに質すと、部隊の全員が確かに花街へ、そして各々が馴染みのあるいは初めての見世へ入ったという。……山鳥毛もその内のひとりとして、確かに。
これで私が手籠めにされる可能性はぐっと下がったといえよう。一文字則宗の計らいに感謝しなくては。





同日の夜半、山鳥毛が訪ねてきた。障り戸越しに入室を請いもせず、「小鳥」と静かに呼ばわる。
「なにか」
応えたが、廊下に佇む気配は動かない。こちらから戸を開けて迎え入れてはいけないように思えて、じっと息を詰める。

「女を抱いてきた。色事に関しては何もかもよく心得た、いい女だった」

急にむっとした。これを語っているのが誰だったとしても心は同じ動きをしただろう。一緒に生活している仲間が、よそで致してきた直後の猥談など聞きたくもない。わざとらしく吐き出したため息が冷たいのを感じる。山鳥毛だから腹を立てているのか。他の男だったらここまで不快にならないのかもわからない。

「この女を乱すように君を抱いたらどんなにか快いだろうと夢想だにせずにはおれなかった。……小鳥。我が主。私のことを好いてほしいとは言わない。どうか私を憎まないでくれないか」

言葉とともに障子の影が揺れ動く。

ただ嫌いになれたらどれだけ楽だろう。
私に執着してくる彼の存在が煩わしく、疎ましいのに、なぜ私のような小娘相手に心を尽くすのか不可解で気になる。雄偉と美と神性を備えた彼がこんな弱々しい有様になる、その理由を知りたい気持ちはある。
でも。

「もう休みます。お引き取りを」
「…………承知した。夜分にすまなかった」

障子に映った大きな影が消え、板張りの廊下を渡る足音が遠ざかっていく。私はまだしばらくその場を動かず耳を澄ませていたがやがて聞こえなくなった頃に立ち上がった。


寝室に入り、灯を落としても寝付けなかった。布団に横たわっていてすら背中に視線を感じるような気がして寝返りを何度も打つ。まんじりともできないうちに、山鳥毛のことを思った。
憎まないでくれと乞う切実な声には、その実、私が彼に対して強い感情を抱いていると信じて疑わない傲慢があった。彼の言動や表情の端々に見え隠れするその自信に思い至るとひどくやるせない心地になり、布団の中で身を縮める。
色事にはずいぶん無沙汰をして、女としてはすっかり冷えて凝り固まってしまった自分の身体を抱いて丸くなる。山鳥毛が、この欲を忘れかけている女を燃やそうとしているように思えて怖かった。胸の底から立ち上る疼痛に慄いている。
恋しいという情動は人型を得た神にとって危険極まりない。改めて痛感した。美しさと圧倒的な雄性とで、ちっぽけな人間のことなどあっという間に取り込んでしまう。
まだ、ここならまだ踏みとどまれる。彼に女をあてがって、ぶつけられる好意をすげなく無視して、いずれ通り過ぎる山の雨とでも思っておかなければ。





「だいたい、女抱いてきたって報告するのもどうなの。聞きたかないわよ男士の猥談なんか」
「一文字の愚痴はその祖にでも言ってよ」
「お身内に聞かせられる話じゃないなと思って。それに加州なら忌憚ない意見をくれるでしょ」

それはまあ、とまんざらでもなさそうな顔をして、加州は湯呑を卓上に置いた。私の初期刀。最も信頼し重用するこの刀は、人も付喪神も関係なく心の機微に敏い。臣下としての心裡を推し量れというならばいざ知らず、男心などには造詣の浅い私にとって、その理解の深さは何物にも代えがたく頼もしかった。

「山鳥毛さんがわざわざ花街で遊んだ申告したのはさ、普通に主への意趣返しだと思うよ。だって好いてる人からよその女でも抱いてこいってきっついお断りされてさ。言う通りにしたのはお前を好いてるからだぞ〜って恨み節のひとつも聞かせたかったんだよ、たぶん」

清光が言うと、なるほどそういうものかと納得できる。確かに私が山鳥毛に強いたことは、色恋においては非道なことだったかもしれない、と。
彼らの心身をよりよく保つための行為に駆り出して、山鳥毛が示してくる理由のない好意を踏み躙った。

恨みがましい調子だったかどうか、私はあの夜の彼のことを思い出してみる。障子越しの揺れる影。抱いた女を「いい女」だと言った口で、私に「憎まないでくれ」と懇願した彼のこと。……私の仕打ちで山鳥毛が傷ついていたとして、彼が求めるものを差し出せない以上、私にはどうしようもない。

私が長考に入りかけると、清光がぱしりと柏手を叩いてそれを中断させた。

「はい、休憩終わり。主はお仕事戻ってね。俺は厨の手伝いあるから。今の近侍、長義だっけ?呼び戻しとくよ」
「ありがとう。助かる」




近侍の山姥切長義が執務室へ戻ってくるまでの間に、今日の戦績を確認して次の編成を考えた。先月と比べて敵の強度が上がっていて、此方との戦力差が大きくなってきているから部隊の練度を上げないといけなかったし、近々連隊戦が組まれる時期で、その兼ね合いもある。
第一部隊を除いて他の部隊は再編。練度の底上げ、資材の回収、定期的な各時代の索敵を名目に、一文字刀派に属するものどもは全員第四部隊にひとまとめにして、長期遠征に出すこととした。
不興を買った自覚はあるのだろうから、甘んじて受けてくれることだろう。しばらく距離を置いたほうがお互いのためだ。

ともかく今は仕事だ。
月課の消化率をもう少し上げておきたい。日課の鍛刀、今日の分はそろそろ終わっている頃合いだろうか。あとで鍛冶場の炉の様子を見に行かないと……
考え事をしている内に長義が戻ってきた。経費計算やら作戦立案やら煩雑な仕事に戻ると、譲渡記録のことも、ごく個人的な悩み事のことも次第に頭から追い出されていった。


その日の夕餉の席の後のことだった。

「お前さんにも思うところはおありだろうが、なに、見送りくらい来てくれたって罰は当たらんだろう」

一文字則宗はからかい気味にそう言って、私の行く手を塞いだ。遠征の下知を出した以上、一文字刀派の中から一振りくらいは具申に来るかと身構えてはいたものの、よりによってこんな時分に訪ねてくるとは想定外だった。
山鳥毛を隊長に据えた部隊の出立予定まではまだ間がある。私にはまだ今日中に処理しておかなければならない業務もあったし、それが終わったら部屋に戻るつもりだった。予定が狂った。
内心の動揺を押し隠しながら立ち止まり、振り返ると、案に相違して彼は少しばかり神妙な顔をしていた。いつも通り軽薄そうな口調で、反面その顔に浮かぶ表情のせいで、真面目くさった様子が目についてしまう。

「何を企んでいらっしゃるんです?御前」

私の警戒を察したらしい則宗が、両手を挙げて降参の態度を示す。それから苦笑しつつ首を振ってみせた。

「何も悪いことなど考えちゃいないさ。僕ぁこれでも気のいい好々爺でな」

とぼけたような言い草だが、その裏にあるものがわからないほど私も察しは悪くない。つまり、山鳥毛の気持ちを知りながら、彼を遠ざけようとしている私へのあてつけをしようとしているのだ。この刀ときたらどこまでも身内贔屓なのだから。

「恋しい女と離れる時間はほんの一刻だって身に堪えるもんさ。最後に一目、無事を祈る一言くらいほしいだろうに」
「恋仲でもない女にそれを求めるのは傲慢でなくて?」
「お前さんは潔癖が過ぎる。恩賞が乏しくて心を砕く兵などいまい?……情をくれてやってうまいこと操りゃあいいものを、そいつはばつが悪くて突き放す。そんなふうだからあの坊はお前さんを諦めきれんのだ」
「……見送りに出れば満足ですか?」
「僕は初めからそう言っているが?」

私は苛々と声を荒げたが、則宗はそれを涼しげに受け流した。この刀と話をしている時はいつもこうだ。口先で煙に巻かれてはぐらかされる。今も、ほれ早く、と急かす視線は有無を言わせない圧力を帯びているから始末に負えない。
こうなったら仕方ない。私が腹を決めるしかないようだった。諦めと辟易をないまぜにした気分になって、私は大きく溜息をつく。
「わかりました。明朝、皆様の見送りに出ますから」

則宗と分かれて自室へ戻ろうと回廊を渡りはじめたところで、「小鳥」と声をかけられた。振り向くまでもない。一文字の頭領以外に、私を部領の名称で呼ぶものはない。私は歩調を緩めず無視して、角を曲がろうとした。

「小鳥、お願いだ」

懇願する響きを帯びた声音につい足を止めてしまい、後悔しながら振り返って、山鳥毛の姿を視界に入れる。
堂々たる体躯、穏やかな態度の下の威迫。白い影のように、山鳥毛は色濃い気配の軌跡を道々に残して近づいてきた。歩み寄りざま、ごく自然に差し伸べられた手には手袋がない。素肌の手のひらと、甲に広がる黒い刺青の対比が鮮やかに映る。思わず、目を背けてしまった。目に毒。
彼は私の様子を窺うように黙り込んだ。私はうつむいて足元を見下ろし、彼の視線が首筋あたりに突き立てられる居心地の悪さに耐えていた。
やがて、山鳥毛がもう一度同じことを言った。

「頼む」

一度は思い留まったらしい手が伸びてきて肩に触れ、指が顎をとらえる。おそるおそる視線を合わせると、眉根を寄せ、悲痛にも思える表情をした彼に怯んでしまう。
山鳥毛は私の手を恭しく取り上げて引き寄せ、そして自分の胸にあてた。厚い胸板の奥から、鼓動が伝わってくる。

「小鳥。君が命じるからこそ粛々と戦に出、内向きの仕事をし、女を抱いた。その見返りが長期遠征ではあまりに寂しい。そば近く仕えることも許してはくれないのか?」

余裕があって鷹揚で、どんなことも一度は私の意志に委ねてくれる。そういう態度を、山鳥毛は望まれるままにとれる刀だった。それが今や見る影もないほど、私に向かって心を差し出している。その一途な激しさに目が眩んでしまいそうになるけれど、同時に痛々しいとも思う。
手のひらの下で、男の心臓が早鐘を打っていた。私はそれを愛でるように軽く押して、手を離そうと試みる。

「あなたを軽んじているわけでは……」

私の声が聞こえたかどうかは定かではない。胸に置いた私の手を握りしめた彼が、身体を折って屈み込んでくる。
則宗に焚き付けられたのかもしれないし、彼自身の強い願望のためだったのかもしれない。
いずれにしても私を腕の中に抱きしめた山鳥毛は「離れたくない」と低くうめくように呟いた。その声のあまりの弱々しさに驚いて身動きができないうちに、唇を塞がれた。一瞬のことだった。私は目を閉じることさえできなかった。至近距離で、赤い双眸が熱っぽく揺れる。

反射だった。咄嗟に、空いた方の手で彼の頬を張った。乾いた音が回廊に響く。痛みなど感じていない様子で、山鳥毛はゆっくりと瞬きをした。口元にかすかに不穏な笑みさえある。

「御前に何か唆されていただろう」
彼は私の片方の手首を捉えたまま、静かに問い質した。
「…………」
「言えぬことか」
低い囁きは睦言のように甘やかで、けれど底に苛立ちと不満を孕んでいる。
「明朝の見送りをお約束しただけです」
「案外なお節介を焼くものだ、あの方も」

山鳥毛は苦々しく言ってから、掴んだままの私の手に顔を近づけて、手のひらの内側に強く吸い付いた。鈍い疼きが広がる感覚に身をすくめる間もなく、指の間を舌先が舐める。背骨をなぞるような官能をやり過ごしながら、私は彼のなめらかな額を見つめた。
理知的で私心を抑えがちであるはずの山鳥毛が、私に対して執着と獣性を見せつける度、彼の恋が切実であることを思い知らされるようだった。

「せめて見送りには来てくれると聞いて安心した。ご隠居には感謝せねば」

彼が不意に機嫌よく言って、私はようやく彼から自分の手を取り返した。指の間への執拗な接吻に息を乱している私に気付いた山鳥毛は未練がましく手を伸ばしかけて、すぐに引っ込める。
何も言わずとも雄弁に、ぐらぐらと私の心が揺れていることを見て取ったに違いなかった。

「では、また明朝」

逃げるように身を翻してその場を離れる。背に投げかけられる視線を感じながら、私は振り向かなかった。追いかけてくる気配はない。追ってこられたら、きっと差し出してしまう。




則宗に伴われて母屋を出た私は、門前まで行って足を止めた。隙なく武装した一文字刀派の面々が既に揃っていた。
進発の準備は万端整い、後は門を出るだけ。部隊長を任せた山鳥毛が進み出て私に向かい合った。まるで見送る側のように私の隣から動かない一文字則宗を一瞥し、すぐに視線を戻す。

「では、行ってくるよ」
「はい。ご無事のお戻りを」

彼が佩いた太刀の拵頭に手を添えると、山鳥毛は目を伏せ、うっとりと微笑んだ。
刀剣男士らは、人間の手に本性の柄を握られることに無上の喜びを見出すものらしかった。驚くほどに奮起するのだという彼らの言葉を信じるなら、この慣例とも呼べない儀式にもささやかながら意味はあるのだろう。
無防備に差し出した私の手の上に山鳥毛は片手を重ね、それから名残惜しそうに指先を握り、放した。離れたくないと駄々をこねた昨日のことが嘘のように晴れがましく落ち着き払って、山鳥毛は悠然と踵を返した。
部隊長以下一振り、二振りと順番に門の向こうへ姿を消していく。
隣に立っていた一文字則宗がそれに続かんと歩みだし、私を追い抜きざま、ぽん、と肩に手を置いていく。

「やれやれ、別れの挨拶があれっきりではな。あやつが拗ねるのも道理か」
「拗ねている男の顔でしたか、あれが」

一文字則宗は、おや、と眉を上げたかと思うと、ほくそ笑んだ顔を隠すように扇子を広げた。

「さっさと行ってください」
「なんだ、可愛いお前さんとひと月も離れるのは僕も同じだぞ。隠居を引っ張り出したくせにひどい主だ」
「はいはい。お気をつけて」

のんびりと牛歩の彼の背を門の方へ押しやる。
肩越しに振り返った一文字の祖は、軽やかな調子で「ではな」と言い残して、ようやく行った。

ひと月あまり。離れていられるのはそれだけだ。観念して山鳥毛を受け入れるにしても変わらず拒むにしても、きっと彼らの遠征終わりが契機になってしまう。



pixiv投稿分再掲

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