うちの隊長が女性に告白し、なんと承諾の返事を頂戴した。……という奇特な場面にうっかり居合わせて、正直、困りはてた。 俺の持ったタブレット端末を隣から覗き込んでいた同期の、まなじりまで裂けるような瞠目。すう、と呑み込んだ息を最後に止まってしまった軽口。たじろぐように揺れた華奢な肩の動き。そういう諸々に気を取られて、うちのおっとりした狙撃手ではないが、思わず 「あらら」と間の抜けた場つなぎの声を発してしまう。 苗字名前がうちの隊長に関することで常々「好きとかじゃなく憧れであって」云々と言い訳に長広舌を振るっていたのはつまるところ、臆病風に吹かれた結果だったと。その反応を見る限りはそういうことになるのだろうか。知りたくもない。 俺たちが自販機コーナーの手前に突っ立ったまま動けずにいるうち、どでかい観葉植物の鉢ふたつを隔てた向こうで大学生たちが何ともなし崩しな感じに次に会う日の約束を取り付けている。図らずも盗み聞きした形となった。 嬉し恥ずかしの彼らはプランターの陰から出てきて、間の悪い後輩らを見つけたとたん「あっ」と素っ頓狂な声を上げる。 「えー……このように、誰が聞いとるかわかれへんということで、以後は周囲確認徹底お願いします」 小言をぼやいた俺にイコさんが「ごめんね」と手を合わせる。本当にわかってるんだろうか。 隣の苗字はというと俺の体を盾にして、イコさんと連れ立って去っていくオペの制服の女性と遠慮がちな会釈を交わしている。気まずい場面を見られた先輩方よりよほど肩身狭そうに。 ふたりきりに戻ってしまってから、タブレットの真っ暗な画面に目を落とす。 おそらく失恋したであろう女に対する身の処し方がわからない。……うちの隊の面々が扱う処世術──隠岐のぼんやり穏やか矛先逸らし論法で口説いとんのかばりにこの女を褒めそやせばいいのか、海の如く「そんなことより聞いてくださいよ!」のはちゃめちゃ話題逸らしで笑かしてしまえばいいのか、一番まともだが決して自分のスタンスではないマリオの謹聴と叱咤激励を真似るか──をひとつずつ試して、それでもだめならどう考えても向いていない我流でいこうと意を決した矢先だ。 「ねえ、さっきのところ見逃した。巻き戻して」 何事もなかったような口ぶりで、この女はログの続きなど見ようとしている。 「それは別にええねんけど」 けど、のあとにこちらが出しあぐねた言葉を相手はきちんと汲んだ。血色のいい唇がかすかに皮肉っぽく曲がる。 「心配してくれてんの?夜から雨降りそう」 「なんや、甲斐のないやっちゃな」 本当に、一瞬でもどう声をかけよう、などと頭を回した自分が愚かだった。 タブレットを点けると、横合いから細い指先が伸びてきて勝手に画面をスワイプし、ログを70秒ほど巻き戻す。 画面上に目を伏せた横顔にわだかまるものを探してしまうのは、ともすると俺の方がそのつまらない一事にこだわっているせいなのかもしれなかった。 「なに?」 視線を感じたのか、相手は目も上げずに訊く。 「案外けろっとしとんな」 「多少ショックだけど。まあ小夜嵐を恨むまいって感じ」 「……コメントしづら」 ふうん、と気のない生返事をした彼女の右肩が二の腕にぶつかる。ようやくこちらを見た目に、どことなく他人事のような冷めた色がある。 「コメントしてくれる気があったんだ」 「そらまあ……」 言いかけて口をつぐむ。みなまで言うのは癪だった。 「珍しく何か葛藤してるなーと思ったらまさか慰めてくれようとしていたとはね、水上くん」 「ログ覗き見しといてこの上慰められようとかど厚かましいわ」 今度はたぶん意図的にぶつかってきた肩がかすかに揺れている。泣いているわけもない。ちらりと盗み見ると忍び笑いをしている。 「なに笑てん」 完全にもたれかかり始めた苗字の肩にこちらからも体重をかけた。「重い」という抗議の声には構わず、そのままの姿勢でタブレットの電源を落とす。 「ていうかそんなへこんでないよ」 「嘘つけ」 「だからさ、憧れってだけで生駒さんのこと好きなわけじゃないんだってば」 事もなげに言って、妙にすっきりした顔をされると今度はこちらの収まりがつかない。 「そういうことならもっと早く言えや」 「ずーっとそう言ってますー」 「……アホくさ」 そういうことなら、どうにか慰めようなどとへどもどすることも、今さら思い知ることもなかった。 同期で、ふつうにまあ友達で、つるみやすいからなんとなく一緒にいるだけで、どうせこいつはイコさんが好きで、と。のめり込みたくないばかりにくだくだと言い訳を並べてあれこれ勘繰ってすっかり逃げ腰になっていたのは、要するに自分の方だったのだ。 「紛らわしい顔せんといてもらえます?おろおろしてもうたやん」 「だって推しのスポーツ選手に熱愛発覚したくらいのショックではあったから」 「いやそこの尺度は知らんわ」 もたれ合っていた体が離れた拍子、揺れた髪から甘い匂いがした。やたらに美味そうな、けれど腹が減るばかりで満たしてはくれない。本人そのままのような人工的なにおい。 彼女はいつもの人を食ったような微笑で首を傾げた。 「本当のこと言うとさ」 「おー」 「私のせいで水上が動揺してるのは嬉しかったりして」 「はー……アホらし。ほんまいい性格しとんな」 まんまと振り回されてアホらしいついでに、彼女の頬に手を伸ばす。輪郭にかかった髪を掻き分けて耳にかけると、相手は猫のように目を細めた。 「……水上ってたまに距離感おかしいよね」 「お前がいろいろ油断しすぎなんちゃう」 指先に力を込めてやわい頬の肉をつねる。「いたい」と小さく悲鳴を上げるくせをして、それでも逃げる気配はない。 この無防備さに腹を立てても諸々もう手遅れだ。まどろっこしく往生際悪く、まだ好きにはなってない、などと自分に言い聞かせている場合ではなくなった。 |