| ナノ


1年の頃、クラスにヤンキーがいた。リーゼントで、教室では周りを威圧していて、担任に怒鳴り散らしたりして。でも登下校に使っているらしい原付に乗るときはちゃんとヘルメットを被ってるときがあったりする。口も態度も悪いのにそういう律儀なところもあって、変な人だな、と思ったのだ。たぶん。
彼が何をそんなに気に入らなくて荒れているのかさっぱり知らなかったし、この先も知ることはないだろうと思っていた。

うちの高校は校舎の屋上が開放されているのに、いつも閑散としていた。人が来たがらない理由には前述のヤンキーが関わっている。
彼がたったひとり、フェンス越しにグラウンドを眺めているだけで、みんなここへ来るのをおそれるようになってしまったのだ。
気付けば1年も半ば。グレにグレていた荒北は、いつのまにか自転車競技部に入部。髪を切り、誰彼かまわず噛みつく癖は鳴りを潜め、部活にのめり込んでいった。遠目にも他者とは一線を画していた彼のシルエットが急に丸まって、そして前髪は切りすぎていた。
彼を遠巻きに見て「本物のリーゼントはじめて見た」などと言っていたはずの私が、荒北と絡むようになったのはこの頃だったように思う。

「荒北くん、前髪めっちゃ短いね」
半年同じ教室にいて、これが私から話しかけた最初の一言だった。
「……部屋に鏡ねェから。まあこうなるわなァ」
荒北はそう言って、短い髪をかきむしった。
彼はその荒っぽい感じに似つかわしく、髪は自分で切ったのだった。


9月下旬の屋上は日が当たってほのかに暑く、けれど風は涼しくなり始めていた。
私たちが3年になった今も、屋上は人が少ない。目つきとガラの悪い3年の男子が、縄張りを守る野犬さながらにフェンスの前に陣取っているせいだろう。フェンスの基礎にどっかりと大股に座った荒北がいるだけで、みんな怖がってしまう。

グラウンドには、来たる学園祭のため校門に置くゲートとオブジェ、横断幕の準備をする生徒会や学園祭実行委員の姿がある。他の生徒は各教室や廊下やどこかしら開けた場所に散って、クラスそれぞれの企画に即した準備が進んでいるはずだ。

うちのクラスは初めから賛成多数必至の状態でお化け屋敷に決まっていて、そして隣の隣と階下にある教室2つもお化け屋敷だ。高校最後の年のせいか競合の多さのせいなのかクラスの学祭委員はやたらに張り切っていて、クラス内の温度はきれいに二分された。
買い出し小道具作り仕掛けの相談諸々に精をだすといったエンジョイ勢とは裏腹の冷感グループは、教室の隅でだらだらと会話する片手間に段ボールを切り出す作業をする程度のやる気しかなく、私はそのひとりだった。そしてそれすら面倒になって抜け駆けしてきてしまった。

かったるい気分のまま人の少ない場所を求めてたどり着いたのが、番犬の曰く付きの屋上だったのである。私が来たときにはもう先住民ヅラの荒北が、定位置に座ってぼーっとしていた。
荒北はちらっと私を見て、
「オレもたりィから抜けてきたトコ」と言った。


「さぼったの初めて」
「苗字はまじめチャンだもんなァ」

荒北が鼻先で笑う。元ヤンから見たらそうでしょうね。横目でジロッと睨むと、荒北は全然効いてない風で肩をすくめた。
日向に伸ばした足をぶらぶら揺らしながら、私は黙っていた。荒北は言い返されないことで気勢を削がれたのか、ベプシのボトルのふたを閉め、脇に置いた。

夏の名残の日差しが肌を焼く。遠くの方で、じゃれあう女子の歓声のような悲鳴が上がり、男子のやたらに大きい笑い声がする。……イベントの空気にかこつけて何組のだれとだれがくっついた、という話題が増えるのは毎年のことだ。
一方で、彼らの立てる物音も騒ぐ声も何もかも他人事の屋上で、気怠さだけが共通点の私と荒北の間に何かが起こるような感じはあんまりない。

「チャリ部って3年はもう引退なの?」
「アー…まあレギュラーからは外れっけどォ、一応まだ色々参加はすんだよネ」
「ふーん…今年なにすんの?」

部活所属だとクラスより部活優先で出し物をやる人が多く、荒北のいるチャリ部もそうだ。毎年派手なことをするような印象がある。
荒北は、アーとかウーなどとうめいて言いよどんでいる。黙ってその先を待っていると、彼は割合いあっさりと観念した。

「ウゼェことに東堂が張り切っててェ…執事喫茶やるぞーとかつって」
「……着るの?執事」
「着るかよバァカ!つか笑ってんじゃねぇかバァカ!」

うつむいて忍び笑いをしていた私の肩に、バシッと強めのツッコミが入る。人のことをバカバカ言って失礼な男だが、そういう彼もちょっと笑っていた。

「いいじゃん、着なよ。モテちゃうよ」
「アァ?いーんだよ別にィ、モテるとかは」

ぶっきらぼうな口調は、あながち強がりというわけでもなさそうだった。
確かに、この時期にわざわざ面倒ごとを増やしてどうする、という感じはする。3年の9月。大学受験の現実が目の前まで来ていた。

でもそれにしたって、何かしら起きないかと期待しているのは私だけと思い知る一言だった。なんとなくしょげた気分になって、伸ばしていた脚を折りたたむ。

「部活ばっかだし寮暮らしの人も多いし、チャリ部って彼女できてもすぐフラれてるイメージある」
「まあ結局3年間、ロードやってばっかだったしィ?いるヤツはいたみてぇだけど」
「荒北って彼女にも悪態ついてそう」
「ンだそれ、お前こそ本人目の前にして悪口言うなよなァ」
「ていうか彼女いたことあんの」
「いたことあるように見えるゥ?」
「ない。ごめん」
「謝られる方が傷つくわ、お前ホントさっきからナンだよ」
「非行少年時代に何もなかったの」
「アー……なァんもなかったとは言わねえケドォ?」
「濁すってことは、さてはドーテーだな」

荒北は大股に座った脚の間に手を組んで、じろりと私を睨んだ。……口の悪い荒北相手とはいえ今のはちょっと下品だった。認めよう。調子に乗っていた。元から目つきの悪い荒北が斜め下から睨み上げてくる眼光は、刃物同然におそろしい。私は慌てて両手を上げて降参した。

「ごめんって、許してよ。……あ、おっぱい触る?」
「アァ??!ンでそうなんだよ!!」
「いやだって童貞っぽいし……どうせ触ったことなさそうだし」
「ッセ!!テメエこそ処女だろうが!」
「……それは、どうでしょう」
「ハ!?」

私の含みのある反応を見て、荒北の表情が変わる。眉間にシワを寄せた不機嫌顔のまま、瞳孔だけが開いていくような気がする。ヤバいなと思った時にはもう遅かった。

「……マジで触っからな」

変に静かな声で言って、荒北は私の手を取ると、自分の脚の間に座るように誘導してくる。
抵抗しようと思えばできたはずだけれど、ドキドキしてできなかった。蜘蛛みたいに指の長い手が、折り込んだスカートのウエストから制服のブラウスを引っ張り出す。

「ねえまさかなんだけど直で触る気?」
「たりめーじゃん」
「えぇ……」
「何だよそのリアクション」
「いやぁ……まあいっか」

別に減るもんじゃないし。そう思って、私は背中を倒して体重をかけた。ぴったりと体に沿っていたインナーと生の肌の間に、荒北の指が入り込んでくる。
首筋にかかる息がくすぐったくて身を捩る。彼はそんなことお構いなしに、ブラから露出している胸の上側に手を這わせた。そのまま、ふに、と私の肉に荒北の指が食い込む。

「手、熱いね」
「名前チャンさァ、そういうの、どういうつもりで言ってんのォ?」
「どうって?……んっ」

急に名前で呼ばれて動揺してしまっていることも、吐いた息が震えていることも、恥ずかしくてたまらない。
動揺をごまかそうと目を閉じていたら、今度は首筋に生暖かいものが触れた。

「ちょ、……っと、荒北さーん」

驚いて振り返ると、荒北の顔があった。唇の端っこしか見えないけど、間違いなくキスされたのだ。しかも舌先で舐められた感触がある。

「ねえ……」
「何だよ文句あんのかヨ」
「ないけどぉ……ぁ、ちょっと待ってそれ、やだ」

また同じところをべろんと舐められて鳥肌が立つ。そのまま軽く歯を立てられて、「ひゃあっ」情けない声が出た。耳の裏あたりに鼻先を押し付けられたまま喋られるとくすぐったいし、熱い息がかかるたび身体の奥の方がぞわりとする。

「……どこが一番イイの?」
「……わかんないそんなの。てかもう胸いいんだったら手どけてくれる」
「ダメェ」

語尾を伸ばし気味にして言うと、荒北は脚をクロスして、その間に座っている私の動きを封じてくる。背中には荒北の薄くて硬い、壁みたいな胸が当たっている。

「ね、もういいでしょ?」
「アー無理ィ。オレ今動かねぇ方がいいかもォ」
「なんでよ」
「勃っちゃいそ……」
「……は?」

聞き間違いだろうか。信じられなくて、もう一度訊き返す。しかし荒北は黙り込んでしまう。黙られる方が怖い。

「あー……えー、やっぱ童貞くんにはちょっと刺激が強すぎたんじゃないですかね」

私がインナーとブラウスの裾をまとめて掴んで胴回りに押し込もうとすると、荒北は首を横に振った。そして私の肩口に額を乗せる。

「違ぇし。……つかコレ別に生理現象ってだけじゃねえからァ」
「……なに」
「好きな子に触っていいってなったらこうなるくらい普通じゃん?フツーだって」
「すっ、えっ……」

荒北は私のウエストから腕を引き抜いて、後ろから抱き締めてくる。それから私の頬に自分のそれをくっつけて、甘えるように擦り寄せてくる。

「マジ……?」
「マジ」
「……ね、荒北」
「なァにィ」
「このブラ、ホック前についてるやつなんだけど……」
「……」
「……外してみる?」
「……ウン」

返事をするなり、荒北は私の腰に回していた手で器用にホックを外す。解放された胸がふるんと揺れて、彼の指先をかすめてしまう。

「んっ……!」

思わず漏れた声に自分でもびっくりして、私は慌てて口を押さえた。

「オイ、なに今のカワイイ」
「うっさいそういうのいい」
「あっそう」

荒北のぞんざいな返事が首筋をくすぐる。そのまま、ぢゅっと音を立てて吸われた。

「ね、だめだってば、あとついちゃう」
「ハイハイごめんネェ」

全然悪いと思っていない口調で謝って、荒北は私の胸を下から持ち上げるように揉み始める。

「はー……やわらけ……やば」

やわやわと揉まれ、ゆらされて、足元から浮くような身体の奥がうずうずするような感覚になってくる。
止めないと本当に屋上で青空初体験なんてことになりかねない。

「あのさ、これってどう終わるのが正解?……私はちょっと軽ーくからかっただけのつもりだったんだけど」
「知んね。でもここで終わりにすんのは殺生だわ」

そう言って荒北は再び首元に顔を埋めてきた。今度は舌ではなく唇全体で、首筋を食むようにしてキスしてくる。
身体が震える。絶対にだめだ。さすがに。

「はい、もうだめ。触っていいよって言ったけどそれ以上はだめでーす」
「ハァ?ひっでぇマジで」

素っ頓狂な声と一緒に顔を上げた荒北の隙をついて、私は彼の腕の中からするっと抜け出した。

「これ以上やったら怒るから。ほらもう教室帰るよ」

彼に背を向けて、乱れた服装を手早く整える。

「ヤダ!!」

子どもみたいに駄々をこねる荒北を置いて、屋上の出口に向かう。ドアを開ける前に振り返ると、彼はまだうつむきがちにそこに座っていた。

「早く来なって」

私が手招きすると、前のめり気味に渋々近づいてくる。

「……怒った?」

彼はご機嫌伺い丸出しで長身を屈めて、私の顔を覗き込んだ。

「怒ってないよ」
「じゃあチューしたい」
「だめ」
「なんでだよォ」

拗ねて口を尖らせてみせる荒北に笑いかける。

「続きはまた今度ね」
「言ったな?それ本気にすっからナァ?覚えとけよ?」

荒北が私を見下ろすその目は獲物を見つけた獣のようにギラついているけれど、気づかなかったふりをしてまた笑って見せた。

「はいはい、本気にしといて」

荒北は急に満足そうににんまり笑って、私の頭を撫でた。
それから「行くかァ」とかったるそうに言って先に階段の方へ歩き出す。

…………そういえばまだ私から彼に好きとは言えていない気がしたけれど、まあ、それも今度でいいだろう。

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