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降谷さんが身体を起こして、セミダブルのベッドから出ていった。
丹念に仕上げられた石の彫刻のような裸体から毛布が滑り落ちる。ぺたぺたと無防備な足音がキッチンに消えていき、さほど間を置かずに買い置きのミネラルウォーターのボトルを手に戻ってくる。
……パンツくらい履いてほしい。

壁際に寄ってしまっていた掛け布団を毛布の上に被せると、降谷さんは自分を重石にするように更にその上へ座り込んだ。布団の内側からネイビーのボクサーパンツを探し当てて、何も言わずに履く。

降谷さんが訪ねてきたのが15時頃。スマホ画面を確認すると、今は18:00を過ぎたところだ。日が短い冬の夕方はすっかり暮れていて、もう真夜中のように暗い。

「一口飲んだ方がいい」

差し出されたボトルを受け取る。促されるまま水を飲んだ。シーツを撫でつけて、洗わなきゃ、とぼんやり考える。
すぐそばには、これまで夢想だにしなかったほど現実味のない降谷さんの美しい背中があって、一瞬目の奥がちかちかした。没頭するあまりに互いの肉に溺れるようだったのに、彼はもうすっかり潔癖な横顔をしている。
今の今まで抱き合っていたはずの身体に白々しく裏切られるような、やることをやったあとの男の冷淡さというものが心から嫌いだ。
私の底のぬかるみごと浚っていってしまったさっきの男と、この男はまるで別人みたいによそよそしい。

「時間、大丈夫なんですか?」

水を飲んだのにまだ喉がかさつく。冷静に、という意識が、白けた横顔を責めたい気持ちの表面を上滑りしていく。

「今日は午前上がりで、明日は1日休みをとった」

布団を上から押さえつけて置かれた手が、ぐうっとマットレスに沈み込む。
大柄な体躯が身を乗り出すと、ベッドが苦しそうに軋んだ。甘い金色の髪が私の肩口にしな垂れかかる。

「そんなに僕を追い払いたいのか?」

掠れた声が耳朶に触れる。
彼は時々、別の誰かが混ざり込んだみたいに挑発的な表情をすることがあって、責めるような口調の中に私を試す響きが聞こえるのは、まさにその毒が滲み出しているせいだ。

「ちょっと受け取り方がひねくれてませんか」
「落ち着いた途端に冷めた言い方をするからだ。弄ばれたかと思うだろ」

肌をなぞるような柔いキスが降ってきて、抵抗を未然に防ごうとしている。
拗ねた口ぶりも、弄ばれる心配をしていることも意外だ。そもそも立場が逆だと思う。

「……? 弄ばれる心配をしてるのは私の方なんですが」

降谷さんは急に「えっ」と言って固まった。毒杯を差し出すようだった真顔が崩れて、色っぽい垂れ目がきょとんと開かれる。
………え?

黙って見つめ合ったのはほんの少しの間だった。厚みのある胸板がのしかかってきて、私は彼の鎖骨の浅いくぼみを見た。

「そうか……そうかぁ……」

声もなく下敷きになった私の上で、布団の綿に埋もれてくぐもった声が繰り返している。
簀巻きにされた体勢が苦しくて布団の中でもぞもぞと身動ぎすると、降谷さんはさっと上体を起こした。目が合う。深みにはまるようなフォグブルーの目が潤いを持って光っている。

「お互いに少し誤解があったようだから、回りくどいことはなしにする」
「つまり?」
「好きだよ、名前。信じてくれ」

嘘だ、などという隙もなく口が塞がれる。指先が首筋を流れて耳の裏に回った。がっちりと頭の位置を固定されてどうしようもなく、じたばたすることもできなかった。

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長めのお昼寝から覚めたハロが、散歩の時間が近付いてきたことをアピールしている。降谷さんが穏やかな声音で「わかってるよ」と言って小さな頭を撫でた。服を探しに彼が隣の部屋へ消えていく。どこに脱ぎ散らかしたのだったか定かではない。

自分の部屋をほぼ裸の男がうろついているのがよく考えてみると物珍しくて、私はじろじろと彼の後ろ姿を目で追った。
素っ裸でいる間は降谷さんのパンツ一丁を責められない。私も服が着たかった。
ぼうっとしていると、降谷さんが訪ねてきたときと同じきちんとした格好で現れた。

「ハロの散歩行ってくる。逃げるなよ」
「逃げるって……ここ私の家です」
「行方を眩まされたら困るって意味だ」

フッと鼻先で笑ったような声と唇のやさしい湾曲が、もはやアルカイックと言っていいほど様になる。
こうやって誰でも惑わされるのだ。たぶん。

「あ、降谷さん」
「なに?」

出ていきかけて、振り返った降谷さんの甘い表情に、ぐっと胸の奥が狭くなる。なし崩しにこんなことになってしまって本当に大丈夫だったんだろうか。

「そこの丸いクッション、ハロちゃんが気に入ってたみたいなのでよければ持って帰ってあげてください」

何かをねだるときの高い声でハロが一声鳴く。降谷さんはリードにじゃれつく子犬を抱き上げて構いながら、ベッドから動こうともしない私の方へつかつかと近付いてきた。

「クッションのことはわかった、持ち帰ろう。……一旦ハロの散歩に行くけどまだ帰るとは言っていないし、君が望むなら今からもう1ラウンド交えてもいいが?」

露出した肩を撫でる褐色の手がそのまま、布団の中へ潜り込んでいく。まるで自分の身体の延長のように私の身体を扱う彼の巧みさが、持ち前の毒をまたほのかに漂わせ始めている。
無邪気な犬が腕の中で暴れているのに、この男は微動だにしない。

「……勘弁してください」
「じゃあ、戻るまでに服は着ておいてくれ」

なだめるようなスマートなキスと共に手が退いていく。
圧倒的な恋人の態度を示されて、何も言えなかった。降参だ。もう逃げも隠れもしないし誤魔化すこともできない。


pixiv投稿分再掲
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