幼なじみ同士が恋愛に発展することは、実はとても少ないらしい。一緒にいすぎて異性に見えなくなるとか、子どものころに比べて次第に疎遠になるとか色々な理由でそうなるというのだ。異性の幼なじみがいるクラスメイトが、全然そういう風に見たことなかったな、と言ったのも覚えている。 でも私は黒尾のことが好きだった。小学校に上がった頃から徐々に友だちになっていった彼のことを幼なじみと言っていいのかもいまいちわからないけれど、ともかく私は初恋を捨てられない執念深い女なのだった。 一方で、恋愛の成就を切に願っているかと言えばそうでもない。窓辺に置いたサボテンに時々水をやって眺めるくらいのもので、どうしても自分のものにしたいと、彼でなければ絶対に嫌だと思うほど燃え上がってもいない。……そのはず。 「俺のこと好きなの?」 「え」 いっそ冗談めかして笑ってほしかったのに、次の授業なんだっけと聞くようなさりげない口調で言われてしまったらごまかしようがない。不意を突かれてまごついた私の反応を見て、黒尾は無感動に「ふーん」と鼻を鳴らした。 「そういえばお前あれは?俺に貸してくれるって言ってたCD」 「忘れてた。明日持ってくるけど、夜なんか一言催促して。また忘れる」 「最近物忘れ多くね?老化?」 「は?」 「こえー」 しょうもないやりとりのあとで、「え、それだけ?」と言いたいのをぐっと堪えてしまったことを後悔している。人の好意を確信しといてふーんで済ませるってどういうことなの。あとからじわじわと疑問が湧いてきて、次第に、つまり私から好かれてるってわかっても特に感想もない?そういうこと?、とネガティブな発想が育ち始める。 友だち同士の恋愛相談はもっぱら相談役の隣にいる聞き役で、自分からこの手の話を振った試しがない。幼なじみどうこうの話なんかも結局雑談の流れの中でのことで、自分がまさにその立場ですなどとは言えずじまいだった。だから誰にこの戸惑いを、鬱憤をぶつけていいやらわからない。 連絡してとは言いつつ、帰ってすぐに学校用のカバンに約束のCDを放り入れた。ちょっと前に友達と行ったテーマパークのショップバッグに入れはしたものの、貸して戻ってくる頃にはその袋がくしゃくしゃになっているのがわかりきっていたので、CD屋のものに替えた。女の子に貸すのと違って楽なものだ。 その日の夜は風呂上がりに丹念に手指のケアをして、速乾のベースコートを二度塗りしながら黒尾から連絡が入るのをじっと待った。 部活終わりに忘れてなかったらな、と彼は軽く請け合った。まあマメなところのある男なので、忘れてなかったらなんて言うくせに本当にうっかり忘れたなんてことはあまりないのだった。実を言うと、黒尾からの着信だけ、シャキーンみたいな尖った音にしている。聞こえたら一発でわかるように。成就を切に願わなくても、結果的に叶っても叶わなくても、この長い片思いはすっかり私の一部として血が通い肉を持っていた。 時々通学路に現れて、なんとなく触らせてくれる野良猫みたいな、黒尾はそういうやつだった。会えたらいいなとか今日は触らせてくれるかなと胸をときめかせるけど、大体はつれなくフラれる。 今日のことだって同じだ。いい加減、黒尾鉄朗のただの友達でいるのに慣れたい。 “シャキーン”が聞こえてきて、即座にスマホを手に取る。 表示されたポップアップに、きちゃった──なんてふざけているとしか思えない文字が浮かんでいた。きちゃった、ってなに。語尾にハートつけてなんなの。こんな悪ふざけみたいなハートの絵文字一個で嬉しかったり混乱したり興奮したりして、片思いはややこしい。たぶんこの先もなかなか諦めがつかずに、よその大きな猫に懸想しながら自分の家の黒猫を撫でるだろうけど、今はそれでもよかった。 部屋の窓からそっと顔を出すと、マンションの廊下に黒尾が立っていた。いかにも部活終わりの、真っ赤なジャージ姿の長身は迫力がある。 「こんばんは」 黒尾の第一声は、近所ですれ違う奥様に挨拶するみたいな澄ました口調だった。 「なに来ちゃってんの」 「いや、近所だし。直接もらったら楽かなァと思いまして」 それもそうか。納得ついでに通学カバンからCD屋の袋に入れたコンピレーションアルバムを取り、窓辺から渡そうと網戸に手をかける。 「え、窓から?」 「だめ?楽じゃん」 「いいから出てきなさい」 楽かなァ、で家まで来たくせに、動機を付けたり剥がしたりしてどうしたのか。口先ではしょうがないなとぼやきながら、私は家人に声もかけず玄関先でサンダルに足を突っかけて外に出た。少し浮かれている。昼間の「俺のこと好きなの?」からの「ふーん」を忘れたわけではないけれど、好きな人が部活終わりの時間を割いて家まで来るなんていうのは嬉しいことではあったから。 「はいこれ」 「おー、ありがと」 渡して受け取って、じゃあねとあっさり引っ込むのももったいなくて、私は黒尾が袋の中身を改めている姿をぼんやりと眺めた。彼の長い指と、短く切り揃えられた爪がいかにもスポーツマンらしくて好きだ。 「苗字」 「ん?」 「昼間のあれ、別にスルーしたわけじゃねーから」 目が合う。身長差約20cmの頭上から降りてくる視線が意味深な感じがして、急に動悸がしてくる。動揺しているのをごまかしたくてパーカーのポケットに両手を入れたけれど、よけいに居心地が悪い気がするだけだった。 「お前が俺のこと好きだったら、俺は正直付き合ってほしいと思ってんのね」 「………ふつうに言うじゃん」 「茶化すなっつの」 拍子抜けしてしまって逆に冷静な頭を、平べったいプラスチックのケースで叩かれる。それ私のなんですけど。ついでにその「しょうがねーな」の延長線上に実は余裕なさそうな声もやめてほしい。惚れ惚れしてしまう。かわいい、と思ってしまう。こんなでかくてごつくて目つきの悪い男を。 「で、お返事は?」 「ずるくない、なんか」 「なにが」 「ふーんで終わらせたくせに」 「だから別にスルーしたわけじゃねーって」 「じゃあなに」 「……聞きたがり」 「かっこつけ」 しょうもない悪口をぶつけ合っている内に、じれったそうにしていた黒尾が私の手首をつかんだ。ポケットから強引に引っ張り出された手が熱い。なに、と抗議の声もむなしく私は幼なじみの大股に付き合って非常階段へのドアをくぐった。 「黒尾さ、なんで今なの」 「え、だめだった?」 「いや、なんでかなって」 知っていたなら今までいくらでも確認するタイミングはあったはずなのに、無駄に私の片思いを泳がせた理由を問い質したいと思うのは当たり前だ。 閉め切られた非常階段は物音がよく響くので、反響を気にすると自然にしゃべる声が低くなる。それを黒尾は私が怒っていると解釈したのか、不意に虚を突かれたような困ったような顔をした。うちの猫もこんな顔をする。開いたドアの隙間に滑り込もうとした途端、閉め出されたときとか。 「春高行けるの決まったんだわ」 「知ってる。おめでと」 「ハイ、ありがと。で、高校現役の最後だし、色々思うところもありまして」 掴んだ手首より上へ、にじり寄るように黒尾の指がじれったく滑っていく。ずっと知っている人間相手に、その経年変化に立ち会ってきた自分が平常心でいられないなんて由々しいことだった。むしろ、というかそもそも。おさななじみのくろおてつろう、という独立した生き物として捉えてきたはずの男に、図らずも恋をしてしまっただけでも既に相当に由々しい。 「差し当たり私生活方面も一個けじめをつけてから試合に臨みたくてですね……聞いてます?名前さん」 「聞いてる」 「付き合ってくれる?」 黒尾の指が触れている肌の下で、心臓がそこにあるみたいに血管が波打っている。 「試合の応援、行ってもいい? 黒尾くんの彼女でーすって」 「それはむしろ来てくださいよ」 人でごった返し、各校の応援団の声と吹奏楽部の演奏が飛び交う体育館で、全国の舞台で、活躍する黒尾鉄朗を応援する。彼女として。……応援だけじゃない、手を繋いでキスをして他愛ない話をして、っていう、そういう相手に。 「好き、黒尾」 「……ん、俺も」 黒尾が落ち着かなさそうにまばたきをする。 もどかしさもやるせなさもなしでフラれるかもなんていう心配もせずに反射的に、かわいい、好き、と思った。 相手がくろおてつろうである限り繰り返し、反復してやってくるこの気持ちを、これからは自分だけのものにしなくていい。黒尾に、全部もらってもらうから。 ×
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