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木兎とは二年、三年と連続で同じクラスになった。仲良くなったきっかけはとても小さなことで、たぶん、お腹を空かせた彼に私が飴だか何だかをあげたのが最初だったような気がする。朝練終わりのバレー部と私の登校時間が被っていて、それでまたなんとなく接点が増えたせいもあったと思う。
朝練で身体も温まり、興奮も冷めやらぬ木兎がいつからか同期だけでなく後輩も連れて正面玄関に現れるようになってからも、私と彼はたまに話すクラスメイトという関係だった。
つまりそこからの進展がとてもあっという間のことだったので、赤葦くんと付き合うことになった経緯を詳しく思い出すことができない。木兎と仲良くなったことに大した理由がなかったように、その後輩と付き合い始めたのにも大げさなドラマはなかったのだ。


親しく話すようになるまでは彼のことを、木兎が朝練のあとに連れている後輩、としか思っていなかった。一方の赤葦くんは、閑散としてめったに人のいない、南校舎の最上階にある図書室で、何度も私を見ていたという。書架の列の奥にある、壁際の分厚いソファに座っていつも文庫本を読んでいたでしょう、と。
確かに、放課後の時間帯に、人待ちにそんなことをしていた時期があった。人がいなくて空調が効いていて、沈み込むようなソファがあったからだった。そこで居眠りして、待っていた相手に起こされたこともある。相手の部活が終わる時間まで待っていたわけだから、部活終わりにちょっと寄ったくらいの赤葦くんに見られていたとしてもおかしくない。


「名前さん。前はここで誰を待ってたんですか」

彼はこちらを見下ろして言った。借りる予定のなかった文庫本を閉じる。赤葦くんはバレー部のジャージ姿で、重々しい音でエナメルバッグを自分の足元に下ろした。
私はバレー部の練習が終わるまでの時間をこのソファで過ごすことにしていて、彼の言う「前」のときは、サッカー部の練習が終わるのを待っていた。赤葦くんは、私が閉じた文庫本のページを指先でいじっているのを、憮然とした表情で眺めている。

「それ、聞きたい?」
「だから聞いてます」
「知ってるでしょ」
「知ってますけど」

ひとりで座るには広いソファの幅いっぱいに、制服のスカートが扇状に広がっている。整列した本棚の斜め上から蛍光灯の光が射していて、赤葦くんはまるでそれを遮るように立っていた。書架に納まった本の上にある隙間が、誰かに見られてやしないかと気になる。
間をおいて、赤葦くんがいう。

「かっこわるいのは分かってますけど、……俺のこと見てくれって思っちゃうんですよ」

彼は落ち着かなさそうに自分のうなじを撫でている。
きゅん、なんていうかわいいものじゃなく、ぎゅうっと胸の下辺りから持ち上がってきた少し乱暴な衝撃が、頭のてっぺんにぶつかった。
相手は年下なのに。自分よりも背の高い男の子なのに。私はきっと余裕と冷静さをもって彼に対処しなければいけないのに。

「かわいいね、赤葦くん」

うっかり口をついて出た率直な感想に、赤葦くんは、だから言いたくなかったとばかりに目をそらした。どうして彼の、男のプライドに差し障るようなことしか言えないんだ、と思いながらもかわいい、と思った勢いのままソファから立ち上がって彼の頬にさわる。視線をそらしたままの彼の目元がぴくりと引きつって、耐えがたそうに唇が引き結ばれた。

「妬いたの?」

ちょっと癖のある黒髪に指を絡ませて、耳の輪郭にさわる。彼はほんの一瞬、身をふるわせて、ようやく少しだけ私を見た。

「そう言ってるじゃないですか」
「かわいい」

言い募る私の手にされるがままになって、彼は弱りきったようにまばたきごとに視線を泳がせた。

「年下だと思って、俺のことちょっと舐めてるでしょう」
「そうじゃないよ。ねえ……」
「言わせようとするの、やめてくださいって」


一見して淡白に見える赤葦くんの冷静な表情が不意にほろりと剥がれて、余裕のない年下の男の子になってしまう瞬間が好きだ。
彼の言う通り、妬いたの、なんて確認でしかない。彼があえて口に出したくない気持ちと、私がそこをあえて聞き出したい気持ちとは拮抗している。今さら元カレのことなんか引き合いに出さなくたっていいのに、以前の誰かのことなど私がきれいさっぱり忘れてもはや彼のことしか見なくなっていることを、まったく遺憾なことに彼は知らないのだ。だから未だに私が何がしかの思い出を引きずっていると思うのだろう。

「ね、こっち見て」

ぎゅ、となおさら意固地に唇を結んだ彼の内心の恥じらいを思うと息が苦しいほどだった。ささやくようにかすかな声で赤葦くんが名前さん、と私の名前を呼んだ。

「赤葦くんのこと好きだよ。それじゃだめ?」
「……俺の方が好きですよ」

彼の目がはっきりと私を見た。隠しきれない屈託で苦々しく眉根にシワを寄せて、でもこれだけはと絞るように差し出された一言が、また乱暴に私の胸から頭までを貫いた。
───私が図書館で時間をつぶしている理由を知らなかった頃の彼は、私のことをどんな目で見ていたのだろう。
それを考えただけで、この関係にドラマがなかったなんて言えなくなる。

赤葦くんが距離を詰めようと進んだたった一歩で、ソファのふちに膝裏が当たって私は座面にへたりこんだ。肩を素通りして背もたれを掴んだ彼がもう何も言わないので、私は広がったスカートをくしゃくしゃに握って、不慣れな感じのする赤葦くんのキスを受け取った。



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