| ナノ


人の夢が順番に終わるものでないと不公平だ。
「だから次はあなたの番だと思う」
「達成するための目標と、お前の言う夢は違う」

鼻で笑うでもなく坦々とした牛島の言いように、なるほど、と思う反面どうしようもなくイラついてしまう。憎たらしい。

晩夏の雨がじっとりと空気を濡らして、とても嫌な天気だった。こういう日は、忘れるなとばかりに脚が痛む。歩きにくくて一旦立ち止まると、牛島は気のない風で振り返って私を見た。置いていくぞ、と言われなくても、彼がそう言おうとしていることが分かった。

「先行ってて」
「痛むのか」

巨体が、見下ろすように目の前に立った。ごまかしたりはぐらかしたりするのを一切許さない厳しい視線を相手に、抵抗する気力もない。

「痛いよ。だから先に行って」

日常生活を送るのには支障がないけれど、もしもこれまでと同じように競技を続けたら今度こそ本当に脚は使えなくなる。そういう怪我だった。私を轢いたバイクは浮かれた2人乗りで、そんな連中に私はこれからの人生に描いていた夢を潰されたのかと思うと、言葉にならなかった。
運が悪かったといえばそれまでだった。
慰謝料や保険や諸々の手続きが済んでしまうと、とたんに私はむなしくなった。面と向かっての謝罪は、結局こちらの意思で受けなかった。本心では相手を責めて騒ぎたかったのだが、弁護士に止められてしまったらもう、そこから何の気力も湧かないような、身体中のエネルギーが損なわれていくような、どうしようもない感触にあがくこともできなくなった。
とにかく私に残ったのは、競技用には使い物にならなくなった片脚と、スポーツ特待から別のクラスに移って残りの日数分の授業料を払ってもおつりが来るような金額の慰謝料等々だった。

「お前、会場の場所を知らないだろう」
「後からついてくよ」

もう二度とあのオレンジの床を、選手として、我が物顔で歩き回ることはない。私にも確かにあったはずの才能や、夢や、そういうものがあの一瞬で消えたことを、牛島は慰めなかった。この運のなさを、残念だったなと下手に同情することがない代わり、彼はひと欠片の容赦もなく私をそこに連れて行こうとしていた。

「遅いのは構わない。名前、歩け」

脚の長さにまったく見合わない、ゆったりとした速度で、彼は私を促して歩き出した。4校合同の練習試合が行なえるほど大きな会場を、私が知らないわけはないのに。
むなしさや疲弊が積もって、気力が枯渇していく一方で、自ら選んで諦めたわけでもない、愛するものへの未練を、この男は見抜いている。


:


ボールが跳ねる音や、聞き馴染んだかけ声といくつもの足音。もう片方の足まですくんで動かなくなりそうだ。考えてもどうしようもないことだと投げやりにして、諦めたつもりになっていたすべてのものが目の前で動いていた。

「お前が目指していたもののことは知っている」

慌ただしくボールカゴが横を通りすぎていく。牛島の、威風堂々とした体格と口ぶりがちっとも高校生らしくないな、と不意に思った。

「別れを惜しまずにやめるなら、それでもいい」

彼の言うように、私はまだお別れも言っていないのだ。けじめをつけるとか清算してしまうとか、そういうことは私が被ったたくさんの不具合に対してであって、それらに心身のほとんどを削られていて、痛まないしこりのような未練をほうっておいてしまっていた。できなくなったものは仕方がないからと思いながら、はっきりと決別するのが怖かった。

「牛島にそんなこと言われるなんて、変な感じ」
「そうか」

夢は順番に終わるものでないと不公平だ。事故の前、私は選手としての絶頂期だった。3年丸々しつこくやりきってから、それからなら潔く退こうと思っていた。人生、なかなか予定通りにはいかないものだ。
この横に立っている牛島に、抱いていた夢を無残に折り取られる誰かもきっといる。だから彼のことは憎たらしくうらめしく思っているし、同時に、その砕けそうにない屈強さを眩しくうらやましく思う。

「牛島はバレー、好きなんだもんね」
「……お前も、好きだったんだろう」

そうだ。好きだ。オレンジのコート、歓声、円陣のとき、ハイタッチの瞬間に見るチームメイトの見慣れた顔、ブロックの真上から振り下ろすスパイク、ボールが白線の内側を叩く音も。

「一応、夢だったの。春高優勝」

それは彼にとって単なる目標のひとつでしかない。けれど今度は、彼は何も言わなかった。顎を引いて見下ろす彼の視線は相変わらず厳しい。
自分に託せというつもりなどないに決まっている、彼は。私の未練に寄り添うつもりもきっとない。

「見ていくだろう」
「試合?」
「ああ」
「どうせ勝つだろうけど、見てく」
「ああ」

長々と出入り口の前に突っ立っていたので、痛む脚がすこし痺れてきていた。2階のベンチ席へ行く階段に足を向けた牛島の背中についていこうとして、私は一度だけコートを振り返った。

自分が望む形ではなくても、きっとそのそばにいることはできる。そう思えるようになると思う。
潔くはむりでも、徐々に、たぶんいつか。


(企画提出作品)
×