幼なじみだとかそういう、なんだか特別に仲のよさそうな関係では決してない。偶然だ。同じ学校、同じ教室で十年。家は、自転車に乗れば近いかもしれない程度の距離で、ご近所じゃない。学校でしか会わないし、その学校でも、別に仲いいわけでもよく話すわけでもない。 「はじめくん」 なのに昔からの習い性で未だに彼をそう呼んでいる。 「これ、さっき落とした」 「おお、悪いな」 大きい手だ。彼のブレザーの袖からこぼれ落ちたボタンが、平らな手のひらに転がる。知った顔ではあるけれど、仲が良いわけではないのだ。それでも、変わらない呼び名で振り返ってくれる彼に、胸が痛くなる。見とれてしまう。無造作で、武骨で、私の中で「男の子」とはずっと彼のことだった。 たぶんずっと好きなのだと思う。なんのきっかけも得られないまま、作れもしないまま、遠巻きに眺めるだけのクラスメイトでいるのが無難で楽だったというだけで私は何もしてこなかった。どうこうなろうなんて考えたこともない。 : 「ごめん」 「謝ることねえよ」 気まずい気持ちで彼の横を通りすぎて自分の自転車に近付く。鍵を差し込む手元がもたついた。すぐそこの裏門を出て行ったさっきの子の後ろ姿はもう見えないのに気まずくて、居心地が悪くて、どきどきしている。 駐輪場で告白なんて、すごい勇気だ。しかもかわいい子だったのに、はじめくんは言葉少ななぶっきらぼうな態度で、断ってしまった。立ち聞きしてしまって申し訳ないことをしたけれど、同じくらいショックだった。私も同時にふられたようなものだ。 「今日、部活ないの?」 自転車を引き出して、同じように自分の自転車に手をかけていた彼に向き直って聞くと、ああ、と生返事が返ってくる。すぐに、何を親しいつもりで話しかけているんだろう、と後悔した。こういう痛々しい期待と葛藤と行動に対する後悔が、たまらなく恥ずかしい。 「なあ、一緒に帰るか」 想定外の一言だったのに、つい欲に負けて「うん」と返事をした。でも、とても間が保つとは思えない。 「変な感じだね」 「そうか?」 「一緒に帰るのなんか初めてじゃないですか」 「昔はたまに一緒に帰ったろ」 「いつの話?」 「小学生くらいか」 それはほぼノーカウントでよくない?と思ったが口に出せなかった。十年ひと昔というが、そのくらい昔の話だった。今は、何をどう話をふったらいいか分からないくらいだというのに。 「あの頃お前もの凄いガキ大将だったよな。田んぼから上がってきた蛇とか手掴みで」 「そうだっけ? いや、大将はあなただったと思うんだけど」 「女子なのにめちゃくちゃたくましいやつだったし」 「そんなことないですし」 そうだろ、と言って彼が笑った。私にとっては、ぶっきらぼうな印象の強い彼が笑うと、一緒になって笑っても胸が苦しかった。確かに小さい頃はもっと気安い関係だったかもしれないけれど、もう思い出せなかった。 「そういやさっきの、どの辺から聞いてた?」 「……岩泉くんのことが、から」 たぶんほぼ最初からだ。さっき、あの告白のとき、はじめくんは驚いたようで、見開くよりも先に目元を険しくした。何を言われているのかよく分からないという顔をして、けれどすぐにそれを飲み込んで、かばんの持ち手を強く握り締めている女の子のことを見て、彼はまたぎゅうっと眉間を寄せた。 ―─付き合うとかは考えられない。でも、ありがとうな かっこいい、と思った。単純に。たったそれしか言わず、ぶっきらぼうな態度だけれど。でも、ふられたとしても、気持ちを伝えて「ありがとう」なんて言われたら本懐を遂げたような気分になってしまう。だからショックでも、盗み聞きしただけで告白する勇気すらなくても、私はあの彼女と同じ気持ちでいる気がした。きっと私が同じことをしても、岩泉一は律儀にまったく同じ対応をしてくれるだろうから。 「モテるんだね」 「どうだかな。及川に言うなよ、うるせーから」 「ああ、うん、うるさそう」 「モテるだなんだってのはまあ、あいつの担当だろ。ムカつくけどな」 「ムカつくんすか」 「ムカつくだろ」 「自分だって今告白されたじゃん」 ぎち、と彼のエナメルバッグの持ち手がねじれる。何で運動部の男子はエナメルの持ち手を縛るとかして尺を省略してしまうんだろう。はじめくんは、急に口調の尖った私の顔を覗きこむようにして首を傾げた。きょとんとした顔が急にあどけなくゆるんで、なんだか隙があった。 「ごめん。今のは及川のモテ自慢がムカつくって話だよね」 「俺は自分が好きだと思ったやつに好かれたい」 彼の言葉は私の涙腺をわずかに刺した。情けない話だった。告白してもないのにとどめを刺されかけている。 でもこういうところが、はじめくんは昔からかっこよかった。ぐうの音も出ないほど男らしい。蛇を手掴みするじゃじゃ馬だった私を茶化しもせず真っ向から「お前すげーな」と認めた当時から彼はずっとそうだ。 「はじめくんのそういうところ好きだよ。男気感じる」 「名前」 はじめくんが立ち止まった。久しぶりに名前を呼ばれたことに驚いて、私も止まる。目が合った。胸が痛くなる。見とれてしまう。私にとって「男の子」とははじめくんのことだった。ずっと。たぶんこれからも彼がその基準だ。 「じゃあ付き合うか」 「は?」 「好きだろ、男気あるところが」 これが、言っているのが及川ならまた別の印象を受けただろう。ただ彼ははじめくんだし、及川のようにへらへらはしていないし、むしろきつく眉間にしわを寄せて恐ろしい仏頂面だった。 「はじめくん、私のこと好きなの」 「そうだよ。避けられてたけどな」 またゆったりと彼が歩き出した。自転車を挟んで、並んで歩く彼の横顔。きりりと持ち上がった眉。一方の私は夢見心地で足元が頼りない。私も、私よりずっと可愛い子と同じように、ふられたはずだ。バレーの妨げになるし、わずらわしいはずだ。 「さっき他の誰かに言われてみて、そういやちゃんと言って試したことねえって思ったんだよ。情けねえけど」 「はじめくん」 「おう」 「かっこいいね」 「……お前それどういう」 「私さっき、自分も一緒にふられたんだと思った」 「だからお前のこと好きなんだよ、俺」 「はじめくんのこと好きだったよ、ずっと」 人のことを勇気があるなあなんて思うのではなくて、勇気を出しておけばよかった。はじめくんの眉間がほどけて、まるでほっと安心したように笑う。 「ねえ、緊張した?」 「するだろ」 「はじめくんでも緊張するんだ」 「人を何だと思ってんだ」 お互いのことは、たぶんあまり知らない。でもこの調子ならきっとうまくいく。これまでが特別なんかじゃなくても。きっとこれからは。 ×
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