荒北靖友は私の知る限りでは、元ヤンキーで現在インターハイメンバーの一員である。それ以外は何も知らない、ああ、ちょっと聞いたことがあるのは、猫が好きってことくらい。この情報は同じクラスにいる東堂君の、大声の会話からだ。東堂君はいつも大声で話すから何でも筒抜けだ。荒北君がそのたびに咎めている姿はもう見慣れたものだ。
荒北靖友と関わらず、このまま生活するだろうと踏んでいた私。というか、それすらも眼中になかったかもしれない、私にとって彼の存在は天と地に離れていた。優等生ぶって、地味な生活を送る私と、派手に自由奔放に生きている荒北靖友と接点なんてないから。
「いっ」
ぼけっと帰り道に考えているときに、目が一瞬だけ痛みを訴える。コンタクトレンズの不具合で目が痛むのはしょっちゅうだった。ドライアイだから仕方がない話。顔を俯かせて鞄から目薬を取り出そうとした時だった、ドンと体におおきな衝撃。そのあとはあんまり覚えていない。体が地面にたたきつけられて頭と左半身が鈍く傷む。周りから声が聞こえるけれど、そんなの構ってはいられなかった。
「おい、っおい!聞こえてるか!!」
酷く焦った声だ。だんだん意識が遠のく、その声の持ち主は誰かなんて解き明かす暇なんてなかった。最後にわかったのは私を抱き上げて喧騒の中風が当たったくらい。
「おーい、起きろ」
ぼんやりとした視界に飛び込んできたのはあの荒北靖友だった。切れ長の目に、通った鼻筋、薄いのになぜか色気のある唇、ドキっとして上半身を起こしたとき、荒北靖友に頭突きをしてしまった。痛い。けど、頭突き以外の痛みもあった。ふと、自分の額を触ると包帯に触れた。荒北靖友は申し訳なさそうに私をもう一度覗き込んだ。
「あーその、ごめんネェ」
「…なにが、あったの?」
「覚えてねぇの?チャリで平坦、あー。手短に言うとお前を轢いた」
自分の生命力に感謝だ。それと、意識を失う時誰かが運んでくれた、きっと荒北くんだ。
「ありがとう」
「ハァ?もしかして自殺志願者?」
自殺志願者とは変な言いがかり…違う、今までの私の言い方が悪いようだ。私の言い回しだと、轢かれたことに対してお礼を言っているようだ。違う違う。
「え、ああ、語弊があったね、運んでくれたの荒北君でしょ」
「おう、轢いて悪かったな。引いた後すぐに顧問トコ行って病院に運んでもらったんだヨ。一日だけ安静にしていればいいって、あと」
荒北君は矢次に言う。緊張を隠しているようにしか見えなかった。私は「ねえ、荒北君」と声をかけた。荒北君は「ン?」と首を横に倒す。
「私の名前、知ってたの?」
「当ったり前ダロ、東堂と同じクラスの、いっつも窓側で本読んでる今時珍しい文学少女」
やっぱり。荒北君もそうしか認識してなかったんだ。いまどき珍しい文学少女なんて仮面なのに。でも、よくそれだけで私の名前を知ってるなぁと感心してしまった。
「あれ、嘘っぱちなんだろ」
荒北君が笑っているのが聞こえる。顔を上げると荒北君の体には私の血がついている薄っぺらい自転車競技用の服が目にとびこんだ。
「もっと誰かと喋りたいって、雰囲気だったからナ。仕方ねぇから俺がお友達になってやるヨ、これからよろしくな」
目の前に出されたのは彼の右手。右手は初めましてとか、あいさつを意味する。角ばった手は男性を表していた。今まで、ずっと荒北靖友とはかかわりのない存在にあると思っていたのに。不覚にも私は荒北靖友と友達になり、初恋の相手となったのだ。
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