リクエスト | ナノ

部活が終わって、レギュラーと、準レギュラーだけが残る。個々のメニューが残っているからだ。珍しく、今日は真波も出席していた。俺は別に真波に負けたからって意地悪する気はない。というか、今日はそんなことを考えるほど余裕がない。頭の中は先輩のことでいっぱいだった。俺はむしゃむしゃしながらもローラーを回す。隣の自称山神の先輩の視線が熱いが、知らんぷりした。俺は絶対悪くない。


トレーニングが終わって、更衣室に戻ると先輩が音楽を聴きながら部活日誌を書いている。纏っている雰囲気は恐ろしいが、俺は知ったこっちゃない。たぶん、周りの(葦木場を抜いて)みんなは気づいていると思うけど、俺はスルーした。真っ先に自分のロッカーに手をかけると、後ろでベンチに腰掛ける音が聞こえた。


「なんか、今日の黒田とお前、変だな」

「変ってどういう意味よ、東堂」

「その、だなぁ…」


濁した言い回しをした東堂さんがしまった、と言わんばかりの顔をしているのが目に浮かぶ。後ろから突き刺さる視線に耐えられなくなって俺は先輩に近づいた。案の定、先輩は不機嫌そうで、すっと俺から視線をそらして部活日誌の続きを書き始める。


「先輩」

「…私自身、もう意見を曲げるつもりはないわ。もう関係ない」

「っそんなの勝手じゃないっスか!俺のことまた二番手って考えて」


俺が発狂し始めた、その途端に額に衝撃が走った。あ、やっばい。これってきっと先輩の頭突きだ。くらくらしてきて俺は尻餅をついた。暴れる先輩を抑える音が聞こえる。俺を起こしてくれたのは東堂さんで、先輩を抑えていたのは福富さんと新開さんだ、うっわ、あの人やっぱり中身はマウンテンゴリラだ。


「落ち着け、暴れるんじゃない!」

「福富君、そこ退いて。こいつは私がシメる」


有無を言わせない、福富さんの深い谷底から這い上がるような声と、ゆらゆらと陽炎までもが襲い掛かってきそうな声の先輩。ピリピリした空気の中、水をかけたように落ち着かせてくれた人物がいた。


「おーす、って何してんだよ!!」


そう、荒北さんだった。


「やっちゃん!!」


油を注いだのは先輩だった。俺は東堂さんを振り切って先輩を床に押し倒した。後ろから真波が「いやだー黒田さんハレンチ」なんて言ってる。新開さんに限っては「お、なんだ!?」と嬉しそうにしている。この人たちってどうして常識外れなんだ、ほんと。


「あんたがっ」


ぽかんとしている先輩が憎たらしい。愛おしいほど憎い。


「あんたが、俺の、俺が、俺が彼氏なのにっ、なんで、こんな」

「ユキちゃん泣いてるの?」

「泣いてねぇ!!」

「いや、泣いてる泣いてる」


どうして、いつもぎゃんぎゃんうるさい先輩より、今日は周囲がうるさいのかわからない。先輩は俺が泣いていることにぎょっとしていて、焦っている。この人は一歳年上だからって余裕ぶってるけど、そんなギャップも可愛く見えた。

俺を引き起こしたのは荒北さんと東堂さんで、先輩を引きずり上げたのは福富さんだった。そして、俺と先輩は隣同士仲良く正座して、福富さんたちは俺たちを見下ろしている。


「で、どうしてこうなったんだ。お前から言うべきじゃないか」


鋭い視線の先には俺ではなく、先輩だった。先輩はうっと詰まったような顔をしたけれどすぐに、弁解し始めた。その姿はまるでどこかの議員の様だった。


「…黒田が、しつこかったから」

「ほら!でたっ!!」


俺が大声をあげて、立ち上がって先輩を指さした。東堂さんや新開さんみたいにふざけたものじゃなくて、ちゃんと、主張するように。


「先輩いっつも、いっつも俺のことは黒田って呼んで、従兄の荒北さんについてはやっちゃん呼び!!どう考えたっておかしいじゃないスか!!この俺が、アンタに何年片想いしてたと思ってるんスか!!俺とアンタは付き合って何年たってるんスか!それなのにどーしてアンタはそういうところ無頓着なんスかぁああ!!」


俺はそのまま床に崩れ落ちて涙をこぼした。そうすると周りは呆れたような、ほっとしたような空気に包まれた。先輩からは「え、え?」と、戸惑っている声が聞こえる。そんな姿を妄想しながら俺は涙を掬い取ってスキっと床に書き残した。


「それはどう考えたってお前が悪い」

「名前で呼んであげるんダヨー。ハイじゃあまた明日〜」

「俺たちは着替えるしな、そうそう、日誌は俺が書いておくぜ」


先輩の荷物をもって外へと誘導する足音が聞こえる。あ、待って。俺と一緒に帰るんだから。


「なーんだ、ただの痴話喧嘩か〜」

「痴話喧嘩ってなに??」

「もうあいつらの関係には首を突っ込まないように。解散」


福富さんの一言によって普段の和やかなムードになり、くだらない話へと移し返された。俺はゆるゆると、脱力したボクサーのように立ち上がって自分のロッカーに手をかける。先輩を一人にして寮へ帰すなんてだめだ。涙をぬぐって服に着替えようとした。


「黒田ァ、お前、ちゃんと床。きれいにしてから帰れヨ」