log | ナノ
レスビアン表現を含む



「あの子、あの子よ」

「え?なに、あの子がどうしたの?」

「ほら、噂の」

「ああ、あの子?見た目は普通そうなんだけど」

「関わらない方がいいわよ」



ああいう反応には慣れているからもう、問題ない。

これ以上過敏に人へ反応してしまったら薬だけでは留まらない。



一歩狂えば、もう私は精神科病棟へ戻される。真っ白い空間に柔和な笑みを浮かべた人、途切れ途切れに聞こえる悲鳴、訝しげな音に包まれる生活は懲り懲りだ。
移動教室から帰ってきた、昼休みに突入する頃に彼はいつもやってくる。お弁当を出そうとカバンに手をかけたとき、聞きなれた声音が耳に届いて顔を上げると、綺麗な手が私の頬に触れた。


「メシ食いに行こうぜ、俺さっき体育だったから腹減ってんだ」そういって笑った。


顔色悪い私に向かって、気を紛らわせるように言った言葉はこの時間、大きな救いだ。


「そうだね」と言って私はカバンから、朝、自分で作ったお弁当とブレンドしたお茶のボトルを二つ出して立ち上がった。



伊月俊は優しい。


残酷的に優しい、私がどういう奴なのかを承知で接触する。


つまらない冗談やダジャレで笑わせてくれたり、空気が悪い時は自然に私をそこから救い出してくれる。友達だとも言ってくれる、イイ奴だとも言ってくれる。けれど。



だけれども、彼が私を愛してくれるのは私にはとても重たい行為なのだ。



ああ、自分がどれだけ性悪なのかがここではっきりとわかった。


「そんなの…長い時間をかければいい」と言ってくれるけど、私は自分を殺せるほど技量を持ち合わせていないのだ、事実。

ありたっけの想いを伊月は私にぶつけて、そして求める。できるだけ、いいや、自分が無理してでも答える。伊月に失礼のないように、失わないように必死に。だけど結果は見えていた。体は正直すぎた、重ねようとしても感情を押し殺したところで、涙が溢れて、抵抗した。伊月は私が謝ると慰めてくれた、彼は慰める相手を間違っている。

繰り返される私たちの関係は、本当に求めているものが消えて見えなくなってしまった。淘汰されるものじゃないんだ。


階段を駆け上がってたどり着いたのは、私がいつも利用している屋上だった。

夏には珍しい冷たい風が吹く。見晴らしのいい場所を選んで、座って伊月にお茶のボトルを渡すと「サンキュ」と短くお礼を言われた。
お弁当箱を開けて私が一番大好きなきんぴらごぼうから口をつけた。伊月はお茶を飲みながら器用にお弁当袋からお弁当を取り出した。



他愛ない会話が沈黙を薄れさせる、二人が同時に食べ終わったとき、ピルケースから薬を取り出した。怖くなって手先が震えて、プラスチック独特の音を鳴らして地面に転がった。


「ったく、そそっかしいな、ナマエ。ほら」

「ありがとう…あのさ、伊月」

「ん?お茶なら今日のもうまかったぞ」




「なんで、そんなに私を大事にしようとするの?」


泣きそうな声で私は伊月に問いかけた。ケロっとした表情で私を見て、頭を軽く掻きむしった。一つ一つの動きは男の子そのもの。


「好きだからに決まってんじゃん、何度言えば分かんの?」

「伊月、私周りからなんて言われてると思う?」



俯いて、まるで自分を小馬鹿にするような言い方をすると、雰囲気はガラリと変わった。柔らかい雰囲気が今では刺々しい。馬鹿なことをしていると自覚してる。数少ない友達が、私を元気づけようとしているのに、心の底から否定しようとする。


本当は違う、けれど、大事だからこそ、もう傷ついて欲しくない。



長い前髪から覗くように伊月を見ると膨れたような表情を浮かべている。私が見つめ返しているのに気づいた伊月は、不愉快な気分を流すように私が食事前に渡したお茶を口にする。


「…知らねえってそんなの。他人がどう言いようと知ったこっちゃないっつーの」

「化物、だって」

「…」


間髪入れづに言うと、言葉につまる伊月。私がまだ受け取っていない、伊月が握っているピルケースを見つめると、力強く持っている。力を込めすぎてかすかに震えている。震えは私と違って強かに見える。





「女が、女を好きになるなんて、気色悪いバケモンだって」





次につなぐ言葉を忘れて口をパクパクさせていると、ギュッとぬくもりが私を包んだ。


「…俺がいるから、お前は周りに耳を貸すなって」

「伊月、私」



「俺のことを好きになれば、もう言われねぇって」




耐えられなくなって伊月の制服をギュッと掴んだ。震える手で、握ったのであまり力は入っていない。いつ拒絶されても離しそうだ。伊月はそれにも答えてくれるようにもっと力を入れて私を抱きしめた。これが、男の子ってやつなのかな。感傷的になりながら私は口を開いた。




「それでも、私は、女の子が好きなんだよ。根っから」




「それは、お前が今まで出会ってきた男が良くない奴ばっかりだったんだって」



「思い込んでるって言いたいの?」




「そうそ、弾き出した結果俺はそう思ったんだ。分がいいと思ってるよ、自分自身」

「…私は、申し訳ない気持ちで壊れそうだよ」

「はは…。片思い中の奴がレズビアンだってことくらい知ってたよ。けど俺は、それでもいい。お前が俺のことを好きになれば、一件落着だって思ったんだ」

「…っ、ごめ、ごめん」

「お前が伝えられない気持ちを俺は、いつでも答えられるように待ってるしサポートだってする」

「っ、ごめんなさいっ、だって伊月も嫌な気持ちしてるんでしょ!」

「してない、俺はお前がいればもうなんでも我慢できるんだって」

「ごめん、なさい」


泣いたのは私だった。



泣かないだけが強さじゃないんだよと、前、ひどくいじめられた私に伊月は私の目の前に現れて抱きしめながら優しく言ったのを覚えている。


淡いぬくもりが私を許してくれる。



優しさに漬け込んでいる、そう言われても私は否定できないけれど、でも、今だけ、今だけそばにいさせて。

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