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*注意、レズビアン表現を含む
顔が、近い。腕が、かすかに当たる。
ひと粒ひと粒、音が呼吸のように重なる。ふんわりと揺れる桃色の髪の毛に緊張が奪われてしまう。モヤモヤと考えていると、どこまで弾いたのかわからなくなって手が止まった。譜面はあるのに、焦りで解読できない。
先輩の手だけが動いて独奏し続けて、合わせることはままならなくなってしまった。下手に動いてしまえば、先輩の手にぶつかってしまう。沈黙し続けた結果、先輩は手を止めて不思議そうに私の顔を覗き込んだ。二つの綺麗な瞳は私を写す。
「あ、えっと」
「テンポ、速すぎましたか?」
「っ、」
ここで、私が肯定すると先輩を失望させてしまう。せっかく、連弾をしてもらったのに何してたんだろう。返答に困っていると、首をかしげてこちらを覗き込んでいる先輩は、唐突に何かをひらめかせたのか、鍵盤の上で冷え固まった手を取ってギュッと握り締める。
その行為に私は顔を赤らめて、反射的に先輩の顔を見た。花が咲いたようにふんわり笑って、口を開いた。
「緊張しなくても、大丈夫。失敗なんて私もしょっちゅうですから」
「けどっ、失敗は」
「失敗は成功の母と言いますし、無理な背伸びなんてしなくていいです」
指先がかすかに震えているのがようやっとわかった。私のような不格好で、無骨な指が先輩のように細くて長くて、白い指先を重なり自分は先輩と全く違うんだと思い知らされた。
どくん、と心臓が反応する。この反応は憧れの先輩への緊張なのか、それとも。
「ありがとう、ございます。先輩」
そんな、緊張の意味を知らなくたっていい。先輩へ安心したかのような笑顔をぎこちなく見せると、まだ心配そうだった。コミュニケーション能力に乏しい私はひと時の安らぎすら生み出せない。「どういたしまして」という言葉が聞こえたけどあとに続く言葉が見つからない。二人のあいだに、生暖かい風が通っていった。
「…もしよければこれからお茶にしませんか?」
「え」
「休息も必要ですし」
「待って、ください。もう一度やりましょう。今度こそ成功しますから」なんていう暇すら与えてくれない先輩はちょっとだけ頑固。ピアノ用の黒い椅子から立ち上がって、先輩は部屋の扉の奥へと消えてしまった。風で飛ばされそうになった薄っぺらい楽譜を、近くにあったピンク色のかわいいクリップで止める。おしゃれなものを持っていない私に、別世界の人だともうひとりの私が囁く。
徐に立ち上がりピアノを片付けるため、傍らに置いてあるカバーを手に取る。
握られた手が、まだ暖かいような気がした。
「美味しいです」
運ばれてきたのは、カラフルなマカロン。食べたことがなかったので新鮮だった。桃色のマカロンをひとつ口に含むと、さくっとして甘い口どけ。ふわふわしていて美味しい。
先ほどの私のような緊張した面持ちでじっと見つめる先輩に、正直な感想を口ずさんだとたん、マカロンより甘い笑顔を見せた。
「よかった、マカロンは初めて作ったのでお口に合わなかったらと思うと」
「そ、そんなことありません。先輩、料理上手ですから」
「ありがとうございます。身近な人に褒められるとくすぐったいですね」
「く、くすぐったい?」
「はい。嬉しいけどちょっとむずがゆいような感じがします」
ピアノの連弾の時に感じた焦りと緊張は何気ない先輩の気遣いで消える、これが年の差ってことかな。
努力しても、手を伸ばしても経験の差は埋まらない。
七海先輩は付けたままのエプロンを脱ごうと、腰の後ろあたりを紐解こうとするけど、顔を赤らめて力強く引っ張っても解ける気配がない。私が声をかける前に先輩は申し訳なさげにまゆを下げてお願いをする。
「す、すみません…お願いがあるんですが。
エプロンのひも、解いてくれませんか。ちょっときつくしすぎたみたいで」
「わかりました、後ろ向いてください」
くるんと後ろを向いて、私に見える景色は先輩の背中。目的を果たそうと私はかがんで、エプロンの紐に手をかけた。
ドキドキと緊張じゃない拍動が止まらない。
きつく結ばれたリボンに力を込めて紐解こうとする。
だめだ、集中できない。先輩の目の前じゃなんか、おかしくなる。ほかの先輩方の前じゃない、この緊張は。
「先輩、次は私もお菓子作り参加してもいいですか?」
「もちろんです!美味しいお菓子一緒に作りましょう」
紐が解けたら、きっと私は機嫌がいいだろう。
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