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出かけたあの日を境にますますイワンさんがべたべたくっつくようになり、過保護になった。私が記憶喪失設定になっていることに気づいたのかもしれない。だったら、何かしら私からも嘘を吐かなければならない。真実を伝えたとしてもこんなことは信じてくれない。別の世界から来たんです、なんて口を滑らしたとたん舌を千切られそうだ。

黒く染まった空を見上げて、きらきら輝く星を数えていた。縁側に出て、温かいお茶を飲み、イワンさんにかけられた羽織をぎゅっと握る。もしも、私が記憶喪失じゃなかったら、もしも、私が一方的に彼らの真実を握っていたとしたら殺されちゃうのかな。不安になってうつむいていると、唐突に背中にぬくもりが感じた。


「ナマエはどのお菓子がいいと思う?」


背中合わせで、イワンさんは話を吹っ掛けた。
どうしたんだろう、お菓子の話を持ち出すなんて。でも、彼が言うお菓子っていうのは和菓子のことだと思う。私とイワンさんの横に置いてある和菓子のパンフレットが見えた。ぼんやりしている間にここへ運んできたんだろう。適当に一冊、和菓子のサンプル雑誌を取ると女性に人気、という文字が飛び込んだ。誰かに和菓子をプレゼントするんだろうか、まあ、仮にもイワンさんはヒーローの前に普通の男の子、彼女がいてもおかしくない。


「誰かに贈り物でもするんですか?」

「え、いや…今度、一緒にっ君と一緒に食べようと思って」


イワンさんが突然、ありえないことを言うので私は驚いて振り返りそうになったが、今私が振り返ったら焦りにあせった表情を見せてしまう。

私は雑誌を持っていない方の手で自分の口元を抑えて、飛び出しそうな言葉を必死にこらえた。ドキドキと爆発しそうなくらい動いている心臓の音と、歓喜でたまらない呼吸が背中合わせに聞こえそうで堪らない。


「なにが、いいかな」


消えてしまいそうなくらい、小さな声が聞こえる。答えを催促しているイワンさんに私は、自分を落ち着かせてから口を開いた。


「ナマエのほうが和菓子について知ってるでしょ、好きなもの言ってよ」

「…なら、牡丹餅がいいです」

「どうして、そう思ったの?てっきり、女の子に人気のくずきりとかかと思っちゃった」

「牡丹餅の意味を知らないんですか?」

「ん?意味ってなに?」

「春なら牡丹餅、秋ならお萩、けれど、牡丹餅はあんこだけですけどお萩ならきな粉だったりごまだったり青のりだってつけます」


空を見上げながら、牡丹餅についてしゃべっていると自分の母を思い出した。

元居た世界では、春や秋になると家族みんなに作ってお茶を嗜んだ。急に口の中が寂しくなり、先ほどまで飲んでいたお茶に手を伸ばすが、湯呑の中身は空っぽ。背中の一点しか合わせてなかったのに、突然イワンさんは私の背中に体重をかけてきた。吃驚して、床に手をついてこらえたがすぐに均衡は崩れ「イワン、さっ」と、言った途端に重みは消える。


「まるで七変化だね、日本人ってやっぱり知らないところで活躍してる」


イワンさんは私が床に衝立の上に、手を重ねる。温かい掌が重なって私は反射的に手をひっこめようとしたけど、ぎゅっとつかまれて逃げることができなかった。トラブルなんて一つも起きていないような素振りで話をしているイワンさんに反抗して私も、ひょうひょうとした態度をとる。


「…それでも気づかないイワンさんもすごいと思います」

「え、どういうこと?七変化してるし、あ」

「どうかしましたか?」

「う、ううん、なんでもないよ、気にしないで」


一体何を思い出したんだろう?首をかしげながら私はまた空を見上げた。イワンさんはそう、言い切って立ち上がり私の肩を後ろから掴んで耳元に一言囁いた。


「いろんな種類があった方イイよね、一コを半分にして分け合おうよ」

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