log | ナノ
「外に出たい?」と、イワンさんが私に聞いてきた。朝食後に私がテレビを見ていると、囁くような小さな声で私に聞き、皿を洗ったあとのふんわりとした匂いと冷たい手を横に払いながら歩いてくる。そういえば、私がこの物語の世界にトリップしてから一ヶ月外に出たことがない。初めてこの世界に来た時は病院だったがそれをノーカウントするなら、一度も出たことがない。
「でたい」と返事をする前に、彼は私を抱きしめた。いいや、抱き寄せたといったほうがいいかもしれない、肩を掴んで彼の方へと寄せられされるがまま私は倒れ込んだ。ジャケット姿じゃなくて、タンクトップ越しの硬い胸板にドキっと胸が高鳴った。


そういえばこの世界に来たとき、目の前にいたのはイワンさんだった。
ぼんやりとした、視界に映るものはきっと変わらない日常だと思っていた。あるいは、病院の天井と学校の先生とか?考えは裏切られてトリップという奇怪現象に巻き込まれていたのだ。

体は重たくて、頭はぼんやりしていてうまく思考が働かない。目の奥が鉛のように重たい、腰のあたりが溶けるように重たい、この感触は枕とベッド。真新しそうな固さのベッドに顔を歪め、ゆっくりとまぶたを上げると霞んで、はっきりとは見えない天井。白さからして家ではないことがわかった。ズキンと頭の奥が痛い。寝すぎの時に起きる症状、でも何故?そんなに寝ていたのか、私。
寝疲れた首を動かすと左隣に絹のように柔らかそうなプラチナブロンドの髪の毛の人が寝ていた。首が疲れそうな体勢で寝ていたので、起こしてあげようと左手を動かそうとするがしびれて動かない。右手を動かそうとするけど、点滴が繋がっていて動けない。

ぴくりと寝ている人の指先が動いた、私はすかさず声をかける。


「あの、起きてください」


カラカラに乾いた声で話しかけると、寝ている人は顔を上げて私を見る。
アメジスト色の瞳と私の黒い瞳がかち合ったような気がした。中性的な顔つき、けれど彫りの深さと色の白さといい外国人だと確信。
どうして、私の隣で寝ていたんだろうか?一方的に彼が私のことを知っているのかそれとも私がかれの存在をどこかで欠落させてしまったのか。


「っど、どこか痛くないですか!?」

「え」

「すみません、僕がもっと早く助けに来ていれば君はこんなにも傷つかなくてよかったのに」


なぜ猛スピードで私に謝るのかはっきり言ってわからない。状況がつかめていない私を誰か察して誤訳をしてくれ。よく見ると、ここは設備の良い病院に見える。しかも一人部屋だ。余っているスペースには二人が座れる程度のソファーが向い合せで二つ並んでいる。
こんな場所に私はどうしているんだ?頭にハテナを四つくらい抱えながら首を横に倒すと、謝っている人は目を丸くして「覚えてないの?」と聞いてきた。


「覚えてない、ってなにをですか?」


そうすると、目の前にいる人はうつむき加減で私の状況を伝えた。

裏組織に根強く蔓延おった組織の研究チームが長期間、テロを起こしていた。やっとのことで組織の研究チームの居場所を突き止め、ねずみ一匹残らず捕まえたらしい。一件落着と思った時だった、研究チームの一人が脱走したのだ。すぐに捕まえ直すことができたが、脱走者の逃げた先には水槽の中に入った私がいたらしい。
保険のための人質かと思ったら、脱走者の話によると私は突如天井を突き破って降りてきて一ヶ月も目を覚まさなかったらしく、研究チームのみんなで最強のネクストを開発しようと思って水槽にぶち込んでいたみたいだ。幸い、体に影響が出る薬は使われていなかったので、目が覚めるまで病院で保護をしていたらしい。


「と、いうことなんだけどやっぱり何も覚えてない?」

「はい」

「自分の名前とか、住んでいる場所とか思い出せるかな?」

「…」


ここで私は「あ」っと声を出しそうになった。話しかけられている途中で、背の高い男性二人が入ってきたのだ。アニメで見たことのあるシルエット。やっぱりこれは夢じゃない。話しかけているのはパチモノじゃない、そう思っていくうちに冷や汗と不安がずしりと伸し掛ってくる。

私がいるべき場所はここじゃない。
帰らなくちゃ。

ここに座るべき人間じゃない。
逃げなくちゃ。


「目が覚めたんですね、具合はどうなんですか」

「よ、お嬢ちゃん。元気になったか?」

「バーナービーさん、タイガーさんあの…」

「ん?どうしたんだよ、イワン。そんなに慌てて」


金髪のくるりとくせっ毛のあるメガネをかけた男性と、顎鬚を蓄えたひょろりと背が高く、帽子をかぶった男性はイワンと呼ばれた男性が背中を押して病室を出た。
パタンと扉を閉じられたと同じくらいのタイミングに私は立ち上がって乱雑に点滴を抜いた。つんとくる痛みに顔をしかめながらも周りを見渡し、どこから逃げるのが最善か考えた。チクチクと突き刺さるような痛みに変わって腹が立つ。携帯とかあったハズなのに、私がこの病院に来る工程で捨てられたか落とされたんだろう。
スリッパも履かずに私は病室の中をうろつき、ガラリと扉を開けた。誰もいないと再度改めて見渡し、音を立てないように扉をしめる。

けど、神様は私に療養しなさいと言わんばかりに運を悪くさせた。なぜって?そりゃ「なにしてるの」と、背後から彼は話しかけたからだ。

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