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そっと触れてみると冷たさが指先から伝わる。亡骸を触った時の冷たさでもなければ、包丁の先を触った時の冷たさでもない。この冷たい感覚をどう表せばいいんだろうか。側面ではなく、中央部分をなぞるように指をたどわせていく。埃ひとつもついていない道具に私は小さく微笑んだ。几帳面なところが顕著に現れている。一つだけ、持ってみようかな。好奇心から生まれた行動は見境なかった。

親指と人差し指で挟んで持ち上げる、途端に誰かが私の手首を掴んだ。


「なにしてるの、ナマエ」

「イワン、さん」

「それに触らないで」

「すみません、すぐに戻します」

「触るなっ」


大声でイワンさんは私の行動を静止させた。さっと心臓が凍ったような感覚が全身に走った。床に落ちている商売道具にイワンさんは一瞥し、私の方へどんどん近づいてくる。暴力で解決するタイプじゃないことはわかっているけど、怖くて私は彼の方を見れなかった。

彼がこの家を紹介しているとき、私に「この部屋だけは入らないで」と言っていた。それは彼の仕事には欠かせない道具がたくさんあるからだった。なかにも危険なものだってある、それに。

彼は一度も私にヒーローだと言わなかった。

知られたくないからか、それとも教えなくてもいいと思ったかはわからない。


「ナマエ」


イワンさんは目の前にいた。視線を合わせないように顔を上げる。どんな表情をしているか、はっきりとはわからない。怒っているのだけは雰囲気だけで分かった、好奇心で動いてしまったこと、謝らなきゃという気持ちはソレによって踏み出させない。


「ナマエ、僕は居間で待っててって言ったよね。どうしてここにいるの?ここの部屋には入らないでって初めて僕の家に来たとき言ったよね、どうしてわかってくれないの?」

「あ、の」

「こっちに来て」


キッと睨まれて私は萎縮し、イワンさんに言わるがまま動いた。ドキドキと心臓がうるさい、震える指先が気持ち悪い。一緒に部屋から出て行き、私は小さく安堵のため息をつく。さっきのイワンさんすごく怖かったなぁ、できれば彼を怒らせないようにしなきゃ。保身的なことを考えて下を向きながら歩いていると、ドンと前を歩いていた彼にぶつかってしまった。咄嗟に顔を上げると、無表情の彼が見える。こんなタイミングに…。夢現だった私が悪いのは確定、即座に頭を下げて謝る。


「す、すみません」

「…僕が怖い?ため息つくほど怖い?一緒に喋ってるのも嫌?」

「そんなことありません」

「だったら僕の言うこと聞いて。ちゃんと僕に返事をして、僕の見える範囲に必ずいて」


私の両肩にイワンさんは両手を置いて力を込める。ギリギリと痛いと悲鳴を上げる、鈍く頭に伝わる信号は涙に変わり、表情に出させようとしていた。グッとまた力を込めて私の両肩を握る。アメジスト色の瞳は私を捉えて離さない、睨みつける姿はわがままなお姫様のように見える。ううん、わがままというよりは、怯えているように見える。何も返事をしない私にしびれを切らしたのか、パッと肩から手を離して背中を見せ前に歩く。ズカズカと歩く、追いかけるように私も駆け出す。
彼がその私の行動にゆっくりと口端を釣り上げたのは永遠に知ることはない。

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