log | ナノ
あれから、たった数年でこれほど近い存在になるなんて、昔の俺が聞いたら馬鹿にするように笑うだろうな。けど、これは虚を突いたわけじゃないんだ。


鳥のさえずりと、ささやかなお天道様の導きに俺は顔をしかめた。もう朝か、たっぷり寝た気分はしないので、寝返りを打つがなかなか寝付けない。口元を歪めて布団をかき集めるように、腕を動かすとふんわりと朝ごはんの匂いが鼻腔をくすぐった。香ばしい匂いから、きっとパンケーキを焼いているとわかった。もう起きてるのか。俺はスプリングするベッドから起き上がって、何度か平手で顔をこすって寝室の扉を開けた。

リビングダイニングに顔を出すと、オープンキッチンになっているそこには結婚した相手が立っていた。楽しそうに焼き加減を見ている姿を見て俺はドキンと胸が鳴る。

彼女はもう出社する準備は終わっているけれど、後ろ襟が綺麗に整っていない。

俺に気づいたのか、彼女はこちらを見て作った笑顔でもない、何気ないその表情。


「おはよう、大我。朝ごはん作っておいたから食べて、あと戸締り忘れちゃダメだから」

「おう、ナマエ。後ろの襟、変になってるから直してやる、こっちこいよ」


焼き終わったパンケーキを皿の上に乗せて、俺のところに無防備に近づいてくる。
そういうところは変わらない、俺が腕を回して直してやるとナマエは嬉しそうに笑っている。
きっと心の中で「本物の夫婦だね」なんてのんきなことを考えているんだろう。そういう彼女をいつかギャフンと言わせたい自分がいる。


直ったところで、ナマエは俺から離れて、玄関に立てかけてあるカバンにめがけて足を進めて靴を履き替える。俺はナマエについていく。


「ありがとう、行ってきます」

「いってらっしゃい」


俺はそう言ったはずなのに、ぐにゃりと視界が歪む。
嘘だろ、なんだよ、まだナマエに直に触れてないのに。




「火神さん、火神さん!」

「う、ん…ナマエ?」


夢オチ、か。良かったような、悪いような。

だが、あの光景は嘘じゃない。ああいうことはこれから先もあることだ。煮え切らない感情を押し殺して今の状況を把握する。ぼんやりと歪む視界に苛立つが、ナマエが心配そうな顔をするので「へーきへーき」とごまかした。

俺と一緒に渡米してくれたナマエと暮らして、昨日俺は頭が痛いを言ったら熱を測ってくれて、あ。


「どうしたんですか?まだ熱下がりませんね」


風邪ひいてて、俺はナマエに看病されていたんだ。

人生で風邪をひくなんて数えるくらいだが、こんなふうに甘ったるい雰囲気で看病されるのは初めてだからなんつーか、照れる。頭痛は止まらないし、体の節々だって痛い。鉛のように重たい自分の体をうまく動かせないでいたら、ナマエは俺の止まらない汗を拭いてくれる。


「ああ、悪ィ」

「これくらいさせて」

「おう」


周りを見てみると、寝室のベッドのそばに仕事道具が置いてあった。仕事をしながら俺をつきっきりで見てもらっていたみたいだ。心なしか、彼女が疲れて見える。
クマが少しだけ濃くなっているので、不眠だとわかった。


「結婚式までには、熱下がっていれば大丈夫ですから」


そう、俺たちはまだ結婚式を挙げていない。お見合いで、スピード結婚は流石に俺もナマエも気が引けた。だから、三年間付き合って覚悟の上で結婚しようとあの時約束したのだ。もちろん、途中で別れてもいいように共有財産は持たなかったし、一緒に暮らしているとは言え、両方ちゃんと仕事に就いている。

今ではそれが、遠い日のように感じる。来週に迫った俺とナマエとの結婚。
試合みたいにドキドキと緊張と興奮が抑えられなくて、眠れなかったらきっと黒子に笑われるだろうな。


「ナマエ、俺さ」

「はい」

「…ケーゴ、やめろ」

「あ、うん」

「俺、将来の夢、見てた。朝、おきたらナマエが飯作って、仕事に向かっていく瞬間だったけどよ」

「わ、私が?」

「おう。そしたら、なんつーか」


お前の人生を俺に預けて欲しいと思った。
クサイセリフを言えるような度胸がねえ俺は一気に言葉を丸め込んだ。


「っ、やっぱ、その時になってみねぇとわかんねぇけど!俺、お前のことぜってぇ幸せにする」
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