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朝起き上がったら体がとても痛かった。

使わなかった筋肉を酷使した私が悪いのはわかっている、頭をフル活用してこの状況をいち早く察した。べろんべろんに酔ったへべれけの私をおんぶして、帰ろうとはいいものの、火神さんは私の家を知らない。だからと言ってホテルをとるにも一人で置いてしまえば何をしでかすかわからない、結果的に火神さんの家に泊まったという形となった。

手を出すような悪巧みが専門外の彼だから、何故か私は安心して寝ていた。うっわぁ、恥ずかしい。


頭を抱えて起きて、顔を赤らめていると隣で寝ている火神さんが寝返りをうった。黒いタンクトップと、白いシーツのコントラストがよく映える。一緒に寝ている感じがして、無性に恥ずかしくなり呼吸しにくくなった。幼そうな寝顔に私は直視できなくてベッドから抜け出すこと目論み、布団からそっと出ていく。


「ん…」


色っぽい声を出す火神さんに、また不意打ちを食らった。

重たいまぶたを開けて火神さんは私を見て、ひとつだけ重たい息を吐いた。私は未だに赤らんだ顔を隠すように、頭を下げて挨拶をした。


「おはようございます、火神さん」

「お、おう!二日酔いとかしてねぇのか?」

「はい、なんだかすっきりしています」


火神さんは肩透かしを食らったような表情を浮かべている。どうしたんだろう、モヤモヤと不安が残るまま、私は乱れた服装を整えるために自分の洋服のボタンに手をかけた。

その時、玄関の奥からバダンと扉を開閉する大きな音が聞こえて私は手を止める。足音は次第にこちらへ向かってきて、寝室の扉が唐突に開かれた。

そこには体格のいい、金髪の外国人女性がコートを羽織って仁王立ちでいた。

火神さんと、私を交互に見るとずかずかと床を歩いて私の目の前に来て、両手を掴んだ。


「お前がタイガの彼女か!」


ニッコリと笑った外国人女性は、お世辞を交えなくても本心から綺麗と言える女性で何を言い返せばいいかわからないほど、私は驚いていたんだろう。

タイガということは、火神さんのお知り合いなのだろう、そういえばこの間飲みに行った時もバスケットを教えてくれた師匠がいると聞いていた。アメリカ暮らしでバスケットなら外国人が教えていてもおかしくない。


「よう!タイガ、彼女とはどこまで進んだんだ!?」

「な、んでここにいるんだよアレックス!」

「彼女は案外普通だな、けど愛らしさはあるな」

「え、ちょ」


火神さんの話を全面的にスルーさせて、私に顔を近づけてきた。しかもこの角度はキスするときの角度だ。

女子とのキス経験はないけど、これを機に何かに目覚めたら怖い、アメリカンジョークだと信じたいが、これは本気だ。目もつぶっている、逃げようにも逃げられないので足を踏ん張って近距離にならないように神経を集中させていると、火神さんは枕を投げつけた。


「アレックス、勝手にナマエサンにキスしよとしてんじゃねぇよ!」


英語で私と外国人女性とのキスを止めた火神さんから、後光が差して見えたのは見間違えじゃない。


***


「へぇ、火神さんのお師匠様なんですか」

「嫉妬したか?ナマエ」


「ま、まさかぁ」という一言で嫉妬を包み隠してみるが、表情や仕草でアレックスさんは見破ったみたいで「可愛いな、ナマエ」と何度も突っついてくる。年上の女性にこんなに親しい人なんていなかったから、少しだけ嬉しい。コーヒーを飲んでニヤっと笑って「もう一度キスするか?」と声を弾ませていた。それだけは遠慮したい。


「…大我と同じでわかりやすいな、ナマエは。どこまで進んだんだ?二人は」

「え、いや、その…」


どこまでって、明確な言い方はできない。火神さんが本気で私と付き合いたいのかも聞いていない。私自身、彼と本気でこれからやっていく気がある?と聞かれたら返事を濁す。不器用な私にそんなことできるのだろうか、できなかったらどうしよう。
そのとき、朝ごはんを作っている火神さんはフレンチトーストを焼きながら口をはさんだ。


「俺とナマエサンはお見合いで知り合ってだけだ。勘違いすんな。俺が勝手に連れ回してだけの関係だっつの」


、そ、っか。


バカみたい、自分。

少しだけ味見をしてすぐにバイバイ、扱いやすくて、なんでも思い通りで。こんなに踊らされていたなんてバカみたい。

便利な道具の私。ただ私を突き上げるためのおべっかなんだから。ちゃんと笑えているかな。


そう思いながら私もコーヒーカップを唇に押し当てて冷ますように息を吐いてから飲んだ。にがさと後味だけが舌に残って、じくりと自分の胸を裂いた。


「…ナマエ、少しタイガを借りる」


ニコっと笑ってアレックスさんは立ち上がる。一人ぼっちなんて慣れてるから、私は首を縦に振った。今、私はどんな顔をしているんだろうなんて考える余裕はあったみたいだ。保守的な気持ちだけが巻き上がる中で、火神さんはアレックスさんのラリアットをくらってズルズルと寝室へ運ばれた。


…死体現場の目撃者だけにはなりたくない。


秒針が動くのがやけに遅く感じる、寝室の奥では英語で怒鳴り合う声が聞こえた。

父と母の離婚前の会話を思い出す、こんなかんじだっけ。
一人ぼっちでテレビを見ながら苦いコーヒー飲み、またかと一言つぶやいて止まない言葉のぶつかり合いに耳を塞ぐ。

じくりと胸を突き刺す言葉が囁きかける、もう、全て諦めてしまえと。


生ぬるくなったコーヒーに私は顔を映し出すと、寝室の扉の開く音が聞こえて顔を上げる。

火神さんだけが出てきて、頭を掻いて一度キッチンに行ってガスコンロの火を止めて私の目の前まで来て、あぐらをかいて座った。私は横座りから、正座に変えてなにか声をかけるべきかな、と様子を伺おうとしたが体に変なブレーキがかかって動けない。


「…あー…その、ナマエサン」

「は、はい…」


うまく、目を合わせられない。あっち行ったりこっち行ったりの視線に、火神さんだって迷惑しているんだ。頑張らなきゃ。


「…さっきの言い方、悪かった」


そっと私が顔を上げて火神さんを見ると、叱られた子犬のような表情で座っていた。アレックスさんが、私の機嫌を損ねたと感じ取ってこんな茶番をしているんだろう、なんて思わなかった。この人は、本当に謝っているし、反省だってしている。何も反応を示さない私に、火神さんは無言を突き通す。こういう時は、元気づけるよりも私の気持ちを言ったほうがわかったと伝えやすい。


「え、ああ。平気ですよ、火神さん」


苦笑を浮かべて言うと、ムっとしたような顔をする火神さんはまた口を開く。


「大我」

「え」

「いや、昨日名前で呼んでくれたんで、なんでもう戻ってんのか気になっただけっつーか」

「そ、そんな粗相をっ」


昨日の長い時間で付け焼刃だった作法がモロバレだったみたいだ。これ終わったな、伯母さん、お見合いを企てて下さりありがとうございました。私はやっぱり結婚なんてできません。

付け焼刃だけでなく、根っからおしとやかさを染めたほうがいいんです。不器用で、なんのとりえもない私をイケメンのバスケットボールプレイヤーとの短い時間、夢の国へ連れて下さり、感謝しても伝えきれません。


「ナマエサン、俺。ナマエサンと付き合いたい」

「…ん?」

「好きだ、ナマエ。付き合ってくれ」

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