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うまく掛けられないイヤリングにイライラしていると、そっと私の手からイヤリングをとって耳に器用そうに、優しく耳たぶにつけた。寿さんは「慌てなくても時間あるよ」と優しく笑った。アイドルの寿さんじゃなくて、本物の寿さんが初めて見たような気がした。


気を許すことができないアイドルにとって、一般人はどう映っているのか疑問。
自分にお金を貢いでくれる人?それとも自信を持つための糧なの?


寿さんにとって今の私はどう映っているんだろうか。好きだ、愛していると言っても、本心を見せようとしない。腹の探り合いの関係はやめたい。



「準備できた?」

「うん」

「あ、待って襟が折れてる…あ、動かないで」


そっと首に手を回して寿さんは私のだらしない姿を直してくれる。男の人に服装を直させるなんて、女として恥ずかしい。顔を赤らめて私はなるたけ寿さんを意識しないようにしていたら、ふっと嗅いだことのない匂いが私の鼻を横切った。女の子のような、桃の匂いがして私は声が出そうになるのを止める。

「やっぱり」と。やっぱり私は、おちょくられているんじゃないか…。

ぼーっとしていると、声をかけられて現実に戻された。



「ほら、この雑誌にれいちゃん載ってるからちゃんと読んでね!こっちにはインタビュー!あと、お弁当も作ったから、お昼食べてね!」

「、あ、ありがとう」



仕事に行く前の儀式的なこと。もう流石にこういったものは慣れてしまった。寿さんは新しい雑誌を勝手にカバンに入れて私に持たせる癖がある。いいや、これって癖なのかよくわからないけど、私は置いていくことなく会社へ持っていく。

けれど、私は読むことなくもって帰ってきては本棚へ陳列させる。

寿さんには悪いが、興味のないものを読むのは結構辛い。ただでさえ、仕事上、文字を読んでいるのに、このままでは頭が痛くなりそうだ。ふらっときた私は案の定、寿さんに抱きかかえられた。



「どうしたの!?具合悪い?休む?」

「平気だよ」

「やだやだ!れいちゃんッすーっごく心配!」

「あの、離して。このままじゃ遅刻しそう」

「もう僕ちんのことは、人間ATMとして思いっきり使っていいからっ」



今日、とっても寿さんが怖いと思った。

笑い話として私は寿さんの言葉を捉えた。いつも冗談を交えながら話すから、どこからどこまでが本当なのかわからない。そして、私に対してどれくらい本気なのか聞いてみたい。


もう、後戻りができない時まで来てしまえば取り留めつかないことになる。





「ねえ、どう思う?」

「そんな風に話題を振られても、でも愛されてるんだよ、ああ羨ましい」

「多分?」

「多分って」



同僚と一緒に昼休み一緒に食事をしていたら、今朝の出来事を思い出して報告してみた。職場で私と彼は一段と浮いているらしく、自然的にこんな付き合い方をしている。まぁ、まだ話す相手がいてよかったと思っている。


食事を口の中に運びながら、寿さんが作ってくれた料理を美味しいと心の中で思っていた。やっぱりお弁当屋さんの息子さんというべきか、料理が上手である。

私が料理してみたら十中八九、大雑把だの、味付け忘れているとかてんやわんやになるだろう。


同僚はわたしのカバンの中に乱雑に入っている雑誌を引っ張り出してニヤニヤ笑っていた。
男性のファッション雑誌らしく、私が見ても楽しめない。付箋が入っているところは寿さんのショットかインタビューだろう。



「これ?例の雑誌」

「うん」

「見て欲しいってもう、末期だな。そいつも」



末期って、まるで病気にかかった人だね。

私が笑いながら言うと、同僚は怒ったような顔に変わった。今の発言でどこが不備、欠落があったのかもしれない。おずおず聞いてみよう、と思ったがその前に同僚から口を開いた。



「ふざけてる場合じゃないよ、もう危ない人間出来上がってるって言いたいんだよ」



安心は同僚の言葉によって連れ去られた。私がこのまま、寿さんに甘えていたり甘やかすと、共依存となり終いにはダメな人間になってしまう。ヘッドフォンをかけられたように、それからの言葉がゴニョゴニョと聞こえなくなってきた。

旋回はじめる不安の塊。

視線を自分の足元に下ろすと、そこには寿さんがくれた靴、寿さんがくれたお洋服に寿さんが私に丹精込めて作ってくれたお弁当。

元気な笑顔がとびきり似合う寿さんが雑誌に閉じ込められている。


干からびていく自分の感情が怖くなる。今日で終わらせなきゃ。




「ただいま」誰もいないであろうリビングに、一言ため息混じりに言ってみると、弱々しい声が聞こえた。



「…おかえり」



弱った寿さんの片手にはタバコが握られていた。

初めて見たその姿に驚嘆の声を上げる。ソファの上でゴロンと横になっていて、テーブルの上には雑多に置かれたビールの空き缶、水割りでも飲んでいたのか焼酎の瓶に溶けかけの氷。

こんなに廃れた彼を見たのは初めて。

ひとつだけ言えるなら、こんな生活をしてしまえば今後の仕事に響くんじゃないかっていうこと。


彼の仕事は人を喜ばせること、この前すごく嬉しそうに言っていた。当たり障りのないように私は声をかけた。


「寿さん、今日仕事だって」

「その雑誌の中に今日の予定書いておいたんだ。やっぱり見てくれてなかったんだ」

「…ごめんなさい、時間がなくて」


寿さんはとろんと目が据わっていた。

酔っ払っているんだろう、近くにあった寿さんの携帯はチカチカと黄緑色のランプが点滅されていた。たしかメールが来た時ってこうなるんだよね。

そっと私は寿さんの携帯に手を伸ばして触れようとした瞬間、ぐっと寿さんに手首を掴まれた。力加減ができていないその握力に多少顔を歪めて、掴む本人の顔を見ると、泣きたそうな表情だった。慣れた手つきで寿さんは私をソファの上に押し倒して、ぐっと距離を狭めた。


「…そんなに僕に惹かれない?どうやったら僕を見てくれるの?」

「こ、寿さん!?」

「どうやったら、僕だけを見てくれるようになるの?お金、あとどれくらい必要?あといくら出せば君は僕のものになってくれるの?」

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