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泣き虫だっていうのは周りから言われなくても自覚はしている。本当はこの泣き虫っている欠点を直そうと必死なのだが、やはり三つ子の魂百までという言葉は誠らしい。要するに私の欠点は治らず、高校生になってしまったのだ。




緑間真太郎が顔を洗いに行こうと外の水飲み場へ歩いた時、物陰に、泣いている女の子が見えた。

彼にとってこの少女は幼馴染に当たる。雀のようにピーピー泣くことにはなれているが、ここまで泣いているのは親に怒られた意外、初めて見る。


「えっぐ、うっぐ…」


まだ新しいタオルを頭の上からかぶせると、びくりと肩を鳴らした姿にやや疲れを感じた。少女が顔を上げると、真っ赤ではれぼったいまぶたに蒸気した頬、ぐすぐすと鼻水をすする音。変わらないな、と内心安心している。ため息混じりに緑間は言葉を吐いた。



「…いい加減泣き止まないと俺も困るのだよ」

「だって、な、涙、止まらないんだもの」

「…はぁ」

「し、真ちゃん、っふ…」



絞ったら水が出てきそうなハンカチを奪い取ってタオルで乱暴に涙を拭ってやると、緑間の心配そうな顔が見えて少女は眉を寄せてまた泣きそうな顔をした。
場所を移動して人が寄り付かなそうな物陰にいる。しかし、見方を変えれば緑間が少女を叱っているように見える。



「俺はお前を嫌いにならないのだよ、けれどお前に何があったか俺も聞きたいのだよ」

「あ、のね、真ちゃん」



途切れ途切れに言葉を綴る幼馴染の声に耳を傾ける。まだ休憩時間はある。



「ああ」

「宮地くんがね、デートのお返事くれないの」

「は?」



緑間の思考は停止した。初めて聞いた苗字ではない。というか聞きなれた苗字だった。なぜこの幼馴染からその苗字が出てきたのかはいささか疑問ではあるが、何よりそのあとの言葉、デートとは。そこまで発展している関係だったのか。ガツンとなにか硬いもので頭を殴られたような気がした。幼馴染が好きだからという意味からではない、我が子がいきなり飛び立ったような父親の気分であった。


まさか、自分の近くにいる男と付き合っていてデートまで取り付けるとは…。緑間は手が震えてメガネのブリッジをうまく触れない。



「宮地くん、私のこと、嫌いに、なっちゃったのかな」

「…まて、それは先輩の」



息を整えて濁したように幼馴染に聞いてみると、キョトンと目を丸くして首を縦に振った。
自分の背後で大きな雷が落ちたような気がした。



「うん、宮地清くんだよ」



よりによってあのような物騒な先輩と付き合っていたとは。

緑間は幼馴染と同じ目線になるように屈んで口を開いた。



「…もっと噛み砕いて説明もらえるだろうか」





だが、心当たりはあった。それは今日の部活が始まる前、それぞれ準備しているところに珍しく先輩のケータイが鳴った。普段なら舌打ちをしてから開くのだが、妙に変だった。二度言う、妙に変だったのだ、そして静かだったのだ。

相棒である高尾も同じ気持ちだったらしく、覗き込んだ瞬間、ゲテモノを見たような声を上げる。



「宮地さん何ケータイ見てニヤニヤしてるんすか?」

「うるせぇ、見るんじゃねぇよ高尾、轢くぞ」

「あーすんません、で、なんなんすか?」

「…俺の可愛い未来の嫁だ、言わせんじゃねぇよ嬲り殺すぞ」



部員の手が止まった。とうとう宮地は頭がイかれてしまったのか。大坪は目を点にし、木村は空いた口がふさがらない状態だった。緑間自身もその言葉が聞こえていたので動きを止めたが大したことではないと心の中で唱えて落ち着かせた。
質問した高尾はなにかすごく申し訳なくなって一歩後ろに引いた。


もしかして、これがここでつながるとは。緑間は顎に手を当てて考え込んだ。しかし、バラバラになったピースはくっつくばかりで、違うとは言い切れない。何しろ、宮地、とは自分の先輩で、メールを送っているなら…納得した。




「あったな、そんなこと」

「今日、宮地くんに、頑張ってねってメールしたんだけど。でもいつもならお返事くれるの」

「…それを俺に言ってどうする」

「宮地くん、私のこと嫌いになっちゃったのかな」

「は?それはないのだよ」

「嘘言わなくていいよ、だって…メールするなら決まった時間にしないと俺の心臓がもたねぇんだよ、轢くぞって言ってたんだもの。きっと私のこと嫌いになったんだ」

「いや、もはやその轢くぞはただの口癖なのだよ」



なんだかとてつもなく疲れを感じた緑間は返す言葉が段々と適当になってきた。しかし、その一方で幼馴染は泣きそうな顔をしている。
それほど不安らしい。気づけば緑間が貸してあげたタオルもぐっしょりと濡れていた。どこからその水分が出てくるのか不思議で堪らない。



「真ちゃん、私、宮地くんに会えなくなったらどうしよう」

「俺はどうにもならないから知らないのだよ、直接会いに行けばいいだろう」



緑間はそろそろ休憩時間が終わると知っていたので立ち上がると、幼馴染もいきなり立ち上がった。何事かと思えば、タオルをぎゅっと絞って、先程まで泣いていた様子を払拭するかのようなキラキラした瞳で緑間にむかっていいはなった。



「!行ってくるっ」



それほど速くない足が、今日は一段と早く見えた。小さくなる背中を見て、緑間は小さくつ呟く。



「…最初に考えなかったのか」




そろそろ休憩時間も終わる、宮地はタオルで汗で濡れた体を拭いていた。

今日来たメールも可愛かったなと心の中で感想を述べていると、ちらりと視線の端で捉えた女子生徒。はっと、宮地は目を見開いた。

可愛い可愛い自分の未来の嫁が走っているではないか。即座に鼻血が出そうになる鼻を抑えた。



「宮地くん!」

「っ、ナマエ何しに来たんだよ、潰すぞ」



子犬のようにシュンとしてしまった。そんな姿も可愛いと思ったがそんな邪念を取り払った。カッコよく接するために自分のジャージの裾で彼女の目元をそっと拭いてやると、ぱちくりと目を見開いた。



「っ、泣くなよ。お前まじで泣き虫だな」

「み、や、じくん、私、もう泣かないようにするから、その」

「メール返せなくて悪かった」

「!?」

「大事なメールだったからよこしたんだろ。いいぜ、その日なら俺空いてるし。デートしに行くか」

「!いいの、宮地くん」

「おう、すっぽかしたら轢くぞ」

「…それは勘弁して欲しいかな」

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