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遠い遠い、昔話をしようか。

「にいに」と私と、彼らの甘くて切なくて、恵まれていた話。



頑張らなきゃいけない。普通の中学生ならもうとっくに寝ているハズの時間帯に私は教科書を見つめてシャープペンシルのノック部分を下唇に当てて考え込んでいた。

解らない、そんな不安からさっと体の体温が引かれていく。


シャープペンシルで、この状況で理解している部分をテーピングされた右手で薄黒く汚れたノートに書き記した。連ねたキーワードから探り出した答えはあっているのか、私は参考書に手を伸ばす。


出来上がったノートの上にある消しゴムのカスを払った。開きっぱなしだった鞄の中に学生の必需品である教材を入れて鞄のチャックを締める。




学校に備えて寝なければいけない、疲労困憊している体に鞭を打ってベッドに横たわる。目をつぶってしまうと、嫌な現実から引き離されてしまった。
『勉強ぐらいでこんなに焦るとか、真面目すぎるよ』って言われるけど、私の勉学に励むという意識は根本的に間違っているのだ。




「あ、れ…どうしようっ…まずい」

「どうしたの?もしかして、教科書忘れたの?」

「うん…忘れたっぽい。でも、入れたはずなんだけど。おかしいな…私、他のクラスの人から借りてくるっ」

「えーっ借りてくるならアンタのお兄様でいいでしょ?さっき、授業だったらしいし」

「…ううん、無難にテツヤさんか、さつきさんに借りてくるね」


カバンの中をありったけ探索したけれど、見つからなかった一冊の教科書に眉を寄せてため息を吐いた。私、昨日の夜勉強して、そのまま置いてきちゃったなんて…入れた感覚はあるんだけどな。不思議な気持ちでいっぱいになり、私は誰から借りようか思索する。

テツヤさんのクラスへ行って、申し訳ないが借りに行こう。



数少ない友達に一言断りを入れて教室を出たとき、事件は起きた。まるで事件は仕組まれていたかのように静かに、ゆったりとくつろぎを持って。


「ナマエ」聞きなれた、芯のしっかりした声音がやけに耳に残った。




「呼んでいるのに返事もできないのか、ナマエ」

「ごめ、んなさい。急いでたもので。何か御用でしょうか」

「…わからないのか?わざわざこの教室に来てやった、のにも関わらず…どこまで愚図なんだ?」


ツキリとお腹が急に痛くなった。


目を合わせることができなくて、一瞬だけ赤色の髪の毛を映しただけでうつむいてしまう。自分の目の前にいる相手、血の繋がった兄、赤司征十郎がどんな表情を浮かべ、次にどんな辛辣な言葉をかけるか待っていると、沈黙だけが二人の空間を埋めた。


私と、兄の間が静寂を取り巻いているのにも関わらず、周囲は見向きもしないでお喋りや移動教室で騒がしい。通り過ぎる人の匂い、時折チクリと突き刺さる視線が私をもっと追い込んだ。


…出来損ないだから、仕方がない。


「なにやってんの〜赤ちん。ありゃりゃ…ナマエちんだ〜」


にょき、っと目の前が暗くなったので恐る恐る顔を上げると、綺麗な紫色の髪の毛が目に飛び込んできた。大きい体格に合わないその口調がなんとも可愛らしい。突然声をかけられた驚きで、言葉を失っているとゴホンと大きな咳払いが聞こえた。慌てて私は頭を下げた。


「敦さん。こんにちは」

「うんうん、今日も可愛いね〜。どうかしたの?急いでるっぽいけど」

「教科書を忘れちゃって、誰かに借りに行こうかなと思ったの」

「だったら貸してあげる〜ハイどうぞ」

「っ、いいの?」

「うん、あ〜っでも放課後返しに来てね」そう言い残して敦さんは去っていった。


広く、逞しい背中が乙女心を燻った、ギュッと渡された教科書を抱きしめる。目の端で捉えた、赤い髪の毛。ずっと黙っていたので声をかけなかったが、休み時間に私のところに訪れた目的を教えないのも些か疑問である。
私は意を決して声に出した。


「えっと、私の御用があったとかおっしゃっていましたが」



視線を合わせずに尻切れトンボになると、表情を変えずに口元だけを動かした。


聞き取れた言葉は曖昧すぎて聞きなおそうとしたが、そそくさと何処かへ行ってしまった。一体、何があったのだろうか。わざわざ嫌味を言いに来るなど、一度もなかったし…モヤモヤとしたものが胸に残ったまま私は教室へ戻った。


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