狸でも恋をする下鴨矢一郎様は、私の憧れの人であり思い人である。
人一倍責任感が強くて、プライドが高くて、でもとても繊細なこころをもっている 。器は総一郎様よりは小さいけれど、とてもきれい。そこらへんの毛玉に等しい私に振り向いてもらえることなんてない。
「そんなことはありません、あなたはとても毛並の美しい狸ですよ」
「那須与一ごっこもできなくて化けるのが下手なわたくしですよ」
「兄上は化ける事が下手くそなあなたでも好いていますよ。あ」
「慰めは結構です」
「おやおや、悲観的な狸も困ったものだ」
下鴨矢一郎様の弟君、下鴨矢三郎様は冴えない大学生に化けて女々しい悩み事を丁寧に答えてくれた。期待させるような言葉も交えてくるものだから首を横に振って「いいのです、知っております」というと、はあ、っと重たい溜息を吐く。
「根暗な狸になってしまいまするぞ」
「あら、阿呆の血を受け継ぎ損ねたみたいです」
「そういう魂胆で物申したつもりじゃありませんぞ」
木の上からひらりと落ちていく矢三郎様に手を振ろうと片手を動かしたとたん、私の体は滑り落ちる。背の高い木から落ちるものだから、空間の時間が長い。恐怖で狸の姿に戻ってしまい、着地するときは小さな毛玉になるだろうと考えていたら、ぼてっと誰かの背中にあたって着地したようだった。矢三郎様かと思い「申し訳ございません、滑り落ちてしまいました」と謝罪を立てる。
「な、ななななな何をしていらっしゃるのですかっ!あんなにも背の高い木から落ちるなど、気がしれません!どこかにけがをしていらっしゃいませんか、どれ、よく見せてくださいませ」
大慌てした矢一郎様がそこにいた。和服の、若旦那風に化けている矢一郎様が狸姿の私の体にべたべたと触って胸が爆発しそうだったのは言わなくてもわかるだろう。
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