長編 | ナノ


あの常夜に紛れる狼

アイツは俺のことを愛してはいない。

きっと、俺のことをこの先愛すことなんてないだろう。あいつは居場所を作るために俺に抱かれて、一緒にいると決めたから、もう俺から離れることはできない。うれしい気持ちはある、好きな女を抱けて、好きな女と夫婦になって、家庭を築くことができる。けど、俺のやさしい部分が、否定している。彼女を離してやれと。鏡に映った俺に、俺は言った「今頃娑婆に戻れると思うな、今頃優しい人間になれると思うな」と。最後に見えたのは嘲笑う自分だった。


まだ布団の中で眠っているナマエは目を覚まさない。黒布団の上に横たわっているナマエは綺麗だ。黒布団のおかげで、白い肌が目立つ。雪のようだ。やわらかそうな胸元を見た時、自分自身がブルリと震えた。あの女を抱いてしまったという後悔だろうか。

自分の羽織を手繰り寄せて福チャンの部屋へ足を動かした。必ず伝えなきゃいけないからな。障子を開けると冷たい風が俺を部屋へ戻れと命令する。俺はそんなの知らんぷりで肩をブルリと震わせて少しだけ離れた福チャンの部屋へ近づく。明かりがついていた、着替え中か。「フクチャンー。ちょっとイイ?」と甘えたような声を出せば、半裸の福チャンが障子をあけて「入れ」と言った。


「珍しいな、荒北がここに来るのは」

「ウン、ちょっと言わなきゃいけないことができたノォ」


福チャンは俺の言った言葉に目を見開いた。そりゃ、鈍い福チャンでも、もう気づいているだろう。俺は平然として福チャンに伝えた。


「福チャン、俺、ナマエチャン抱いた」

「…」

「だからここに居てくれるヨ、そう、それだけ」

「なぜ」


福チャンは俺が自室に戻ろうとしたのを止めた。振り向くと、福チャンは眉間にしわを寄せていた。困っているような表情だった、俺は首を傾けて「なぁに?」と答える。


「なぜ、お前は悲しい顔をする」


胸にぐっさりと刺さった。俺の胸に沈んでいく言葉は、先ほど言い聞かせた呪いを解くには必要不可欠だった。笑える、さっきまで、ついさっきまで鬼になろうと努めたのに。


「荒北、顔を上げろ、俺はお前を苦しませるためにナマエをここに置くわけじゃない。ここの裏同心を強くするためにナマエが欲しいだけなんだ。俺のしたことは間違っているかもしれない、だが、本気でナマエがここから逃げ出したかったら手放すつもりだ」


福チャンは俺に真相を告げた。手放すつもりって、どういうことだよ。だったら、ハナから手籠めにする気なんてなかったのか?よくわからなくなってきた。


「お前は、ナマエを慕っているだろう。本心を告げるべきだ、泥で固めあった壁はやがて崩壊する。誰もお前がナマエのことが好きなことを責めない、もうここは男娼館じゃない」


そういわれて俺は何も言えなかった。反論したかった、分かってる、もう俺は男娼じゃないって。けど、俺が思っていたことを素直に表したのは紛れもなく福チャンだ。目を伏せて、俺は小さく笑って「おう、じゃあ、ちょっとだけ、朝議遅れる」と言って出て行った。



「起きたか、金城」

「ああ、すまない…。盗み聞きするつもりはなかった」

むくりと俺は布団から起き上がった。やはり、ナマエだった。懐かしい顔だった、昔、アイツが小さいときに会ったのを最後に男娼に連れていかれたから、きっとあいつは俺のことを覚えてない。福富に酒盛りを誘ったのが正解だったな。俺はこみ上げる笑いを抑えて福富から借りた福にそでを通して俺は背伸びをした。昔腰に押された焼印が伸びるのが分かる。

「福富、今度そのナマエに会わせてくれないか。女で用心棒とは少し関心がある」

「そうか、わかった。ナマエと荒北に聞いてみるとしよう」

福富はそう言って帯を締めた。目をつぶって俺とナマエが会う日を思い浮かべた。先ほどの会話だと荒北がナマエに気持ちを伝えるらしい。まあ、成功しても失敗しても俺はナマエを捕まえる。なんて馬鹿らしいこと考えていると泉田が朝餉の準備ができたと伝えに来た。