長編 | ナノ


合格の口づけ

目を覚ますと、私は誰かの腕の中で寝ていた。顔を上げると、靖友様だった。温かい、誰かの腕の中で眠ることなんて幼少ぶり。温かい腕の中は心地よくて、どんなに高価な布団の上で眠るよりも気持ちがよかった。私は目をつぶってもう一度眠ろうとする。胸の中では最近変な思考が生まれてきた。この人なら、私を愛してくれる。この人なら、私を見てくれる。この人こそが私の求めていた人。そんなことを考えるようになってきた。今まで培ってきた私の精神力はぼろぼろに崩れる。


故郷を失って、頼る人間、心のよりどころになる人間がいない私は彷徨い続ける。もしも、ここで福富が「いらない」と言ったら私は捨てられるが、人を殺すことしか学んでこなかった私は生きられない。路上生活者、るんぺんになるしかない。だが、もしも、故郷は残っていて、今でもお頭や弟子が待っていたらどうしよう。迎えに来ない時点で、もう故郷はないと考えて正しい気がするが。


「あれ、起きちゃった?悪ィな」

「い、いえ」


目と目があった、どきりと胸がはねる。靖友様は眠たそうに眼をとろんとさせている。日照りを見ると、もう夕方らしい。最近思うのだが、私はお昼ご飯を食べた後必ず眠たくなる。ぼんやりと意識が遠のいて、時間間隔もおかしくなっている。体もなまってきている。夜になるとお風呂が気持ちよくてすぐ眠ってしまう。朝、目が覚めて食事をとると誰かにみはられるだけで終わる。息苦しい。


「ドォしたの?ナマエチャン」


そう言って、靖友様は抱きしめる。ああ、必要とされている。私は必要とされている。


「靖友様、お願いがあります」


私は眠たそうに舟をこいでいる靖友様に声をかけた。靖友様はわたしから話しかけたことに驚いていて、目を見開く。これからいう言葉に、恥ずかしさは沢山ある。後でおちょくられても真面目に答えるだけだが、内容が内容。じっと靖友様を見つめて私は口を開いた。


「ん、なに?」

「私を抱いてください」

「…エ?」


自分の力を振り絞って靖友様を押し倒す。一か八かだ、もしもここで、私に拒否を命じるならそのまま首を絞めて殺すだけでいい。そのまま首をへし折ることだってできる。靖友様は私の発言と行動に戸惑った表情を浮かべる。そりゃそうだ、毎日逃げようとして人を殴ったり蹴り飛ばしたりしていたんだ。焼印を押されるときは全力で抵抗したのに。傘下に下るような発言なんて今までの行為は水の泡。


「最低な考えかもしれないけど、私を乱暴に抱いてくださったらここに居る理由になります、ここの誰かナシじゃ生きていけない体になれば、私は、ここに留まれます」


ここで留まる事が出来たら、靖友様を買った福富だって報われる。どちらにも好都合な話だ。自分の腕が震えているのが分かった、ガクガクと靖友様を押さえつけている腕に力を込めているのになぜか動かない。自分が願うように動かない。靖友様は笑って、私の後頭部に手右手を伸ばした。そしてゆっくり撫でる。


「…俺に溺れられるか?頑固で生真面目な用心棒サン」


「なって、みせまっ」


突然唇をふさがれて私は目を白黒させた。後頭部を掴んでいた手を使って私の顔を必然的に近づけさせたのだ。先ほどまで押し倒していた私が今度は逆転。背中には畳、目の前に広がるのは靖友様の顔と天井。


「ゴーカク」


靖友様は幸せそうに笑っている、そりゃ福富の手中に収まる人間になったから。ああ、こんなにも胸がむかむかして、苦しいのはどうしてなんだろうか。


「ご、合格って」


「いや…まあ、それは後で教えてやる」


靖友様は私にもう一度口づけを落として、瞼の上にも口づけした。ゆっくりと私の顔をなでた後に首元に顔をうずめて口づけする。涙があふれるのはなぜか、誰か教えてほしい。