長編 | ナノ


努力してもカエルは王子にならない


焼印を押されそうになった日以来、私はなるべく周囲からの顰蹙を買わないように努めた。傀儡のように思われるかもしれないが、これが身のためだと思った途端に、今までの私の抵抗は何だったんだろうと思えてきた。昨日は靖友様が私に酒を持ってきて、付き合えと酒を酌み交わすことになった。目を覚ますと吐き気と頭痛、倦怠感が襲ってきた。上半身を起こして、頭を抱えていると近くで着替えている靖友様がにやにやしていた。


「お前あんなに豪語しておいて下戸とはな、まあ休んどけよ」

「頭、痛い」


頭を抱えてちらりと靖友様を盗み見ようと思ったとき、すぐそばに顔があった。驚いて目を見開くと頭がズキンとした。靖友様は私の後頭部をうまく片手で包み込んでからかった。


「なら慰めてやるよ、おら、口づけしてやる」


慣れたように唇を近づけてくる男を避けようとするが、吐き気が襲う。ここで吐しゃ物を男の目の前でばらまくと一生恨まれそうな気がして私は小さく制止の声をかけた。


「やめろっ」

「朝から騒々しいぞ二人とも」


障子をあけてあからさまに呆れている東堂様の姿があった。私は靖友様からぱっと離れて頭を下げた。しかし二日酔いのせいですぐに口から言葉が出てこなかった。


「東堂様、おはようございます」

「ああ、おはよう。しかし、お前は堅苦しい。様をつけなくてもいいのだぞ」

「いいえ、ここに残るつもりはありませんから」


東堂様は散らかった部屋を片付ける手を止めてこちらを見た。特徴的な目、まるで猫のようだ。じっと本心をさがるような視線に変わる。深く、吸い込まれそうな黒曜石のような瞳、私は睨み返した。数秒だけ見つめ合った後に、東堂様はゆるく笑った。


「…いい心構えだ、ナマエ」


一瞬だけ、あっけにとられたようだったが私の本心を聞いてなぜか嬉しそうだった。
そのあと、靖友様と言い争いをしてから朝食を取った後、外へ出る許可を得られた。気晴らしに出てみるといいと福富からの温かい心遣いだった。だが、私独り歩きは許されない。新開兄弟が遠くから見ていると言っていたので、少しだけは気が休まった。もしも目付け役が靖友様や黒田様だったら外に出た気がしない。


吉原の昼は忙しそうだった、遊女たちは稽古や手習いのために移動したり、甘味処で情報を交換し合ったり、店の下働きの人間が布団を買いに行ったり新しい着物を取りに行っていた。男娼たちの生活とは微妙に違いがある。

綺麗な簪や、かわいらしい小物、上等な着物に化粧道具がそろっていた。年頃の私も少しは興味ある。派手でなくても、やわらかい彩で頬を飾るのも悪くない。その時だった、ふんわりと私の鼻腔をくすぐった。隣を見ると私と年齢がさほど変わらない遊女がいた。目が合うと、相手は艶めかしい笑みを浮かべて私に話しかけた。


「ねぇ、あなたもここで暮らしているの?」


遊女じゃない女性で、見慣れない相手なら聞きたくなるのは理解できた。私はあいまいに答えた。


「まあ、近くに」


拉致監禁と言った方がしっくりくるのでは、と思ったがその言葉は飲み込んだ。説明する時間を費やす気になれなかったからだ。私は簪を見ながら話しかけた遊女に答えたが、去る様子はない。遊女は私がはっきり答えず、目を合わせない素振りに不思議がり質問を繰り出した。


「じゃあ、新しい用心棒さんはあなたってこと?」

「…いいえ、違います」

「あら?女の子って聞いたのに」

「どこかで伝え違えたのかしら、でもどうしてここへ」

「…」

「まあ、なにか問題を抱えているのを暴くつもりはないけれどここの男はいい人ばかりよ」


私が答えない様子を察して、遊女は笑って離れていった。

なぜ、あの遊女は私に笑いかけて話しかけたかわかった。あの遊女はきっと花魁ではない。花魁の人間に探って来いと命令されたから私に話しかけたのだ。あの気に障るような笑みが頭から離れない。最近頭を使っていなかったせいか、発狂しだしそうだ。私は足が動く方向へ進む。



「そこらへんふらついてると誰何されますよ、ナマエさん」


黒髪の新開様が声をかけた、確かこっちは弟の悠人様だ。私は彷徨っていた私を見つけてくれた悠人様に感謝と申し訳なさがこみあげてきて、頭を下げた。「すまない」と、言うと前方が陰った。


「そんなに嫌いか。吉原が」


新開隼人様の声だ。私はゆっくり頭を上げて二人を見た。二人を、いいや私を含めて三人を囲む遊郭の灯りを見つめ、口を開く。気づけばもう夕方だった。


「わたしが用心棒になった理由がなくなりそうだから、吉原で働きたくない」

「おめさんが用心棒になったきっかけとは何なんだ?」

「私は親から愛情を受けられなかった、親は男娼に売られた親友の息子ばかり心配して、羨ましくてたまらなかった。だから」

「だから用心棒になって、親の目を引こうと思ったわけなんだね」

「けど、ダメだった」

「努力して全部が全部、通るわけじゃない。女衒で通された女がすべて上玉として売れるわけないだろ、それと同じだよ」

新開悠人様は悲しく笑う。彼の表情を読み取ると、昔そういうことがあったんだろうと感じさせるが、感情移入してはならない。私はここから出て行くんだから。


「…おめさんのそういうまっすぐなところ、俺は買ってる。もう一度考えてくれ」