見えない愛の烙印何度も繰り返して起きる私の脱走劇にしびれを切らしたのか、基本的に私のそばには目付け役が付いた。そして、あまり部屋から出してくれなくなった。確かに私は今すぐにでもここから飛び出したいけれど、こんな状態になった私を迎えてくれる場所なんてもうないだろう。心の中には何処へ行ったらいいんだろうという不安を抱えていた。
「ここから出して、私は仕事があるの」
靖友様に声をかけるとため息交じりに私に反論した。そりゃ、彼は前まで地獄と呼ばれていた男娼遊郭で働かされていたんだ、私が戻りたいというのは気に障るだろう。彼はこの場所が幸せを生み出す場所である、散々批判する私にしびれを切らした姿は数回しか見たことがない。この男は結構我慢強いんだろう。
「だから仕事はねぇんだって、まずはお前の教育」
「…」
「お前を失うのはもったいないから、生かされていること、わすれてんじゃねぇよ」
ぎろりとにらまれて私は怖気づいてしまう。あんな獰猛な野獣のような目つき、初めて見たわ。私は周りよりは幾分頭が回り、奇策を立てるから特攻として命じられることが多い、けれどあんな相手にかなわないと知った今、何をするべきか考えていた。彼の気をどこかにそらせるとしたら会話しかない。だがあいにく私は口が下手だ。その時、はっと気づいた。
「貴方はどうして男娼にいたの?」
「…家族を食わせるためだよ」
「へぇ、アンタ所帯持ちか」
見かけによらず、年を食っているのかと思ったら違ったようだ。彼は手を振って苦笑を浮かべていた。正座していたけれど、話が長くなりそうだったから足を延ばした。靖友様も障子の前に立っていたけれどもこちらへ寄ってきて胡坐をかいた。
「違う違う、妹と母親だ。けど今はもう金はいらねぇってさ。こんなところで勤める俺の金で飯を食うとまずくなるみてぇなんだよ」
「…それは、嘘なんじゃない?」
「は、嘘がつけるほど母親は賢くねぇんだよ」
笑っている姿を見て納得した、彼も私と同じ意見を孕んでいるんだろう。遊郭で稼いだ金が嫌だというわけではない、離れて暮らし、金を送り続け独り身でいる息子にもう、苦労を掛けたくないのだ。私はそんな家族の姿を想像して、なんだかつまらなくなってしまった。
「…気づいていないのか、気づいていないふりをしているかわからないけど、私はそんな家族がうらやましい」
「お前は両親がいるじゃねぇか、自ら用心棒に志願したみてぇじゃねぇか。顔に傷つけて、『ここで用心棒の頭になりたいです』なんて言ったんだろ」
「よく知ってるじゃないか」
「遠くで働いてても、お前の姿はよく見るんだヨ。女の用心棒は珍しいからな」
「最初は、『帰れ』とか『子供の遊び場じゃない』とか言われたけど、目の前で顔に傷作った途端、お頭が『よく来た』って初めて抱きしめてくれた」
徐々に話をしていく中で住まいから、仲間の顔がぼんやりとだが浮かんできた。お頭の何時も厳しい顔、左近のやさしい笑顔と温かい掌、右近のどことなく疲れた顔。同期の屈託のない笑顔に騒がしい声など、私の頭の中では幸せでいっぱいになった。けれど、ここが別の遊郭だと思い返すと自然な笑みが消えていく。靖友様は悲しみに追い打ちをかけた。
「お前は恵まれなかったんだな、親の愛情とか」
そういわれた瞬間自分の故郷と家族の顔が思い浮かんだ。頭の中が母の悲しい顔、どことなく生きる気を失った声音。夜になるとぼそぼそ聞こえる、私ではなく誰かを心配する声。喉をかきむしりたくなるような衝動にかられた。
落ち込んでいる姿を黙ってみている靖友様に不安を抱いた私はそっと顔を上げた。なぜか靖友様は喜んでいる様子だった、笑っている。そして私がそれが理解できないと知ると、私の手首をつかんで畳の上に押し倒した。ドンと強く打ち付けた背中や肩が痛い。
「でも、お前が欲しかった愛情なんてここでたっぷり味わうことができるぜ」
「おい、離せ」
私の手首を頭の上にまとめられて、足の上には重石のように靖友様の足が乗っていて動けない。頭突きでもしてやろうかと思ったら、彼は自身の額と私の額を合わせた。息が吐きかかる。まだ、嬉しそうに笑っている。何に笑っているんだ。
「案外力あるな、けど、お前がここに残るといわない限りこのまま進めるぜ」
「黒田、もってこい」と靖友様は襖に向かって言った。何を持って来る気だろうか。がらりとあけられた襖の奥から、黒田が何かを持って歩いてきた。手には分厚く重ねられた布で巻かれていた。「熱いんですけど」とグチグチ言いながら私と靖友様の隣に何かを置いた。火鉢だ。それに中で何か燃えている音が聞こえるし、細長い鉄も入っている。黒田は近くで座って何やら待っている様子だった。
「気持ちの籠められない生殖行動を金にして生きていたアンタの性格はここでどう生きているんだろうね、早く子分がついたのはうまくやっていることの証拠だな」
パチンと火鉢の中で何かがはじけ飛んだ。なぜこんな時期に火鉢が必要なんだ。靖友様は私がどんなにひどい暴言を言っても離したりしない。
「ッハ、言いたいだけ言えばいいじゃねえか」
「なんか、俺アンタの子分って間違われている気がするんすけど」
「イイんだよ黒田、どうせ後から知ることになるんだからヨ」
またパチンと火鉢の中で弾かれた音が自分の耳に残った。ごくりと生唾を飲み込んで彼に次の暴言を吐こうとした時だった。「もういいでしょ、早く済ませたほうがいいですよ」と黒田が何かを促した。靖友様は私を見たまま「オイ、抑えろ」と命令を下した。私の足や手首は縄で締め付けられて身動きが取れなくなった。強姦でもする気だろうか。待ち受ける恐怖に、不安げな表情を浮かべていると、目隠しまでされた。
「嫌だっ離せ!離せっ」
「あんま動かない方がいいと思うんすけど、ちょ、暴れないで」
「イイじゃねぇか、面白いぜ。もっと拒んでみろよ」
「アンタの悪趣味にはついていけねぇ…」
ざくざくと火鉢をかき回す音が聞こえる。そしてジュウっと何かを押し付ける音が聞こえる。「もうちょっとじゃね?」と言う声が聞こえた。わかった、あの細長い棒は烙印を押すためのものだ。私の肌の一部が焼かれる。っそうと知った途端怖くなってガタガタ体が震える。
「っいやだ、目隠しだけは取ってっ卑怯じゃないっ」
ざくざくと火鉢の中で鉄の棒が動くのが分かった。そして私の着物の帯を簡単にほどいて、うつぶせにさせると同時に腰の部分が空気に触れる。ひんやりと冷たい空気だ。
「卑怯じゃねぇよ、おまえが利口にフクチャンの言うこと聞いとけばよかったんだヨ」
「断る」
そう言い切ると、冷たい言葉が当てられた。
「ふうん、なら覚悟しろ」
熱い痛みをこらえるためにぐっと唇をかみしめた時だった。誰かが勢いよく襖を開けた。恐怖で足音を把握していなかったのだ。
「荒北、そこまでやらんでいい。新開、ナマエを」
「わかったぜ寿一」
「オイ、新開っフクチャンなんでこいつばっかり甘やかすんだヨ!」
「傷つけても意味はない」
バタバタ足音が聞こえる。私は何が起きているかわからないまま、誰かに手を引かれたのでその手をつかんだ。つかんだ手は温かくて、自分が元居た場所が恋しくなった。
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