長編 | ナノ


純愛培養種
「あら、おかえりなさい」

「ん」


小説を読みながら、弟とお母さんのやりとりを聞いていた。あんまりここにはいない方がいいのかもしれない、弟とお母さんが話すときは私は気を使ってその場からそっと消える。もともと影の薄い私にはそんなもの赤子の手をひねるようだ。家族水入らずに話ができる場所を作ってあげるのも私という存在の役目だと思っている。階段を踏む音は最小限にして、登っていく。小人も気づかない足音で。もう少しで私の部屋だ。唯一くつろげる場所。


ふんわりと晩御飯の匂いが鼻をかすめる。今日は魚か、あんまり気乗りしないな。けれど意志と反してぐぅと自分のお腹は食事を欲する。つくづく人間という生き物はどん欲だと思わされる。食欲も知識欲も、性欲も。


「ちょっと待てよ、ナマエ」


私を呼び留めたのは紛れもなく弟だ。弟は高校に入ってから眉間にしわを寄せて、にらむような目つきに変わった。誰かの悪影響だろう。くりくりとした目なのに、もったいない。だが、私は心の底から弟を信愛しているわけじゃない、多少気になるだけ。私は階段を上っていた最中だったので、首だけ動かして弟を見た。数段上にいるため、彼の上目遣いがかわいく見える。やっぱり年下ってかわいく見えるものなんだろうなぁ。ぼけっとした私はそんなことを考えていると、目つきがより一層厳しくなった。


「なに、雪成くん」

「なにって…聞いてなかったのかよ」

「あ、ごめん…」

「そういうトロイとこ、嫌いなんだけど」


舌打ち交じりで私を叱責する。弟に言われると、ほかの人より数倍胸が痛い。確かに、さばさばした弟と違って私はもたもたしてて、はっきり言ってトロイ。めんどくさい。自分のも嫌になる。私は力なく笑ってごめん、というとあきれたような溜息が聞こえた。


「そういうのいらない、で、話なんだけど。姉さんさ、寮に入らない?」

「え」

「ずっと姉さん寮に入るの渋ってたけど、俺今月から寮に入るんだ。この際姉さんも寮に入ったら?その方が母さんも楽だと思うんだけど」


箱根学園は寮生活ができる。けど私は寮という限られた中で生活するのは息苦しいと思っていて、寮には入っていない。実家から通っていたけど、弟がそういうのならば、寮に入った方がいいだろう。この家に弟がいなければ母も喜ばないと思う。私は首を縦に振った。


「じゃあ、決まり」


弟は少しだけ満足そう。話を終えて彼は踵を返して「母さん!」と大声で叫んでいた。私は階段を上って、さっそく寮に持っていくものともっていかないもの、捨てるものを分別しようとおもった。リビングから洩れる母親と弟の声がズシリと重たくのしかかる。



なぜ私がこんなにも家族と一線を引くのか、それは私は彼らと血がつながっていないからだ。もともと、私は黒田家と仲が良かった夫婦の子供だった。しかし、私が生まれて間もなく事故をきっかけに両親は他界、私は施設送りになるかと思っていたが黒田家が引き取ってくれたらしい。私はこの真実を聞いたのは中学へ上がる前だった。育ての母と父は「気にしないでこのまま、ここで暮らしてくれれば幸せだ。雪成とも、仲良くしてくれるね」と言ってくれた。けど、私はその日を境に一歩引くことを決めた。なぜなら、真実を聞かされる前から顔が似ていないことがコンプレックスだった。このことは雪成くんは知らないらしい。


部屋で、自分のものを分別しているとき、ふと、大きな鏡の前に立った。黒い長い髪の毛、釣りあがった目つき、とりわけ細い体でもない。



「やっぱり、家族になんてなれないじゃない」



鏡に映った自分にそう言ったとき、鏡の自分がにっこり笑った。


「当たり前じゃない、血がつながってないんだもの」


ああ、私は頭がおかしくなったようだ。