人は変わるのだろうかどんなに変わった人間でも、必ずしも過去が消えるわけじゃない。人っていうのは、信頼を簡単に壊すことができる、そりゃどういう風って聞かれたら簡単。人という存在を辞めたらいいのさ。
けれど、その信頼を、人を取り戻すとしたらかなりの努力と不屈の精神が必要なのだ。小石を投げられても罵声を浴びせられても、歯を食いしばってそれでもって笑顔でいなければならない。ほかにも方法があるけれど、それは顰蹙を買ってしまう。
「人ってめんどくさいね、今泉くん」
「うるさい、無駄口をたたく暇があったら雑務を終わらせろ」
兄は彼のことが憎いと言っていた。
彼のことを心から羨ましいと思っている。スポーツは競争があるから勝てば楽しくて、負けたらつまらない。当たり前のことなんだけど私はその当たり前を理解したくなかった。兄の悔しがる姿は、私の胸を縛り付ける。
先生が残していった雑務を日直である今泉と一緒にこなしていると、どうでもいいことばかりが思い出してしまう。視界がぼやけてきた、目が疲れたんだろう数秒、瞬きを繰り返して雑務をこなしていると彼はもう頼まれた雑務を終えていた。
「あら、早いのね」
その割にはあまりきれいじゃないけれど。中には角がクシャクシャになっているものもあった。これは治してあげないと。神経を使う雑務だから、一気に疲労感が襲ってきた。顔を上げて、そそくさと部活へ行く準備をしている今泉君を見た。
「これから部活だからな。遅れるのは自分の練習時間が削られるのと同じだ」
「ふーん、ミドウスジくんに勝つため?」
「よく知ってるな、そいつに勝つためならどんな練習も苦じゃない」
目の前の男は、前しか見ていない。これが強さっていうものか、お熱いこと。まだ残っている自分に課せられた雑務を着実にこなしていると誰かが教室の扉を開けた。
「お、いたいた。今泉まだ終わらないのか」
「いや今終わったんですぐに行きます」
兄が今泉君を呼びに来たみたいだ。いつもとは隣に金髪の綺麗な先輩を引き連れているのに。練習の合間だったんだろう、汗でぬれている体がきらきらして見えた。私が教室の中で今泉君と雑務をしていたことに驚いているようだった。
「なんだ、ナマエ、お前も日直でまだ雑務が終わらないのか?」
「うん、兄さんまだ終わらないんだ」
「早く終わらせて明るいうちに帰るんだぞ」
「わかった」明るい返事を返すと、ガタガタと音を立てて今泉君がジャージを着たまま座った。先ほど座っていた席にまた戻って、私が終わっていない分の雑務をしている。
「やっぱり遅くなります、すみません」
「…妹を誑し込むなよ」
「そんな無粋なことはしません」
「ナマエ、遅くなるんだったら俺が終わるまで待ってろ」
兄はそういってその場から去った。椅子に座って黙々と私が終わらせるはずだった雑務を進んでやっている今泉くんに私は目を丸くした。兄から聞いている今泉俊介はひとにやさしくない、ただ前ばかりを見て踏み台になった人間は知らんぷり。
ぼさっとしている私に「何してる、早く終わらせるぞ」とため息交じりで彼は仕事を続ける。
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