短編 | ナノ

崩れた努力
夢のひとつも見れない、そんな音楽なんて大嫌い。

もう帰ってこない自分の体に私は悔しくて毎日問いかけるようにピアノを弾くけど、全く変わらない。どんなに努力したって出来ることは限られている。どうして私だけが、ピアノを引けなくなってしまった。どんなに片手に力を入れても鍵盤の上に載せれば震えが止まらなくて、ひとつの鍵盤すら押すことができない。


「アンタが奏でる音楽、だいっきらい!」


突然開かれた、厚い扉に私は目を見開いた。

180センチはゆうに越しているだろうと思われる身長に、変わった髪型、ハートの形をしたほくろ。その男の人はうっすら汗をかいて私を見るなり冒頭の言葉をかけた。きらい、か。私だって自分の音楽が嫌いだ。


靴の柄を見ると、彼はひとつ年下みたいだ、ずかずかと私に近づいてきて、バンと鍵盤を叩いた。後から来た白髪の男の子は私ではなく、彼を見るなり焦ったような声を上げる。


「葦木場、何お前先輩にっ」

「ピアノはアンタの道具じゃないっピアノはピアノっ」


もう片方の手で私の胸ぐらを掴んで、息を荒くさせた。私はその男の目を見ることはできない。この見ず知らずの男に私が本音をぶちまけてしそうだったから。胸ぐらを掴んでいる、彼の手は震えている。自分の利き手ではない方で彼の胸ぐらを掴む手を払おうと思ったが、体が鉛のように重たく動かない。


「なんで痛いのに、やめないの。なんで寂しいのに、そんなっ」

「動かない」

「…」

「どうしたら、動くものが動くようになるの」


震える唇から出てくる言葉はまとまった話じゃないから、きっと彼には伝わらない。目の前の男の人は私の右手をガラス細工を触るように優しく触れる。ゆっくりと持ち上げて、男の人と唇に触れさせた。呪詛を解くように。けれど何も変わらない自分の右腕。痛みと、重量感、目の前の男の人はにこりと笑って「大丈夫、ピアノだけが友達じゃない。俺がいる」そんな、嘘かまことかわからない、薄っぺらい言葉だけ。