無防備に預けられる背中に疑問が溢れては溢れては、静かに弾けて萎んだ。
考えても仕方ないのだろう。

だから、零れるのは小さな苦笑と、
それから。



----



「ジュダルがシンドリアに友好を目的としての観光を申し出たらしい」
「………は、はい?」

シンドバットが神妙な顔で呟いた台詞にアリババの思考が一瞬停止した。両隣に並んでいたアラジンとモルジアナも同じように困惑を隠せないらしくただシンドバットが続ける言葉を聞いていた。

「以前、煌帝国にバルバッドの件について滞在した時にはジュダルが一言も俺に絡んでは来なかったのだが、その時からどうやら話は進んでいたらしい」
「待ってください、そんな話、俺は聞いていない!」

かつりと踵を鳴らして己の国の従者ではなく、シンドバットの臣下であるマスルールと共に白龍が室内へと足を進めてシンドバットへと詰め寄る。

「白龍」
「うむ、君の留学とはまだ別件だろうな。……しかしもはや決まったことなんだ」
「えっ、」
「……そう、ですか」

ぴり、と言葉に孕まれるのは微かでも隠せないほどの、確かな殺気。シンドバットの位置では見えないだろうが、後ろで強く握られた拳が憤慨を語る、から、つい、アリババはその震える肩を叩いて振り返った白龍に優しく笑ってやった。

「まあ、まあ白龍。ジュダルだってわざわざ問題起こさねーだろ、大丈夫だって!どーせ適当に観光したら帰るよ、んなピリピリすんなって」
「ええ、アリババくんの言う通り、大丈夫だと思いますよ。むしろ問題を起こせないでしょうね、国同士の友好問題がかかわっていますし」

シンドバットの後ろで佇んでいたジャーファルがたしなめるように言葉を滑る、「それに、」口許は緩く弧を描き、俯いた顔に影が迫る、そうして。にたり、とジャーファルは不穏な表情を見せた。

「ジュダルがシンドリアで騒ぎを起こしてくれるなら、私としては好都合。こちらも長年の恨みを込めて、痛め付ける理由も出来るでしょう?」

気温が一気に下がった気がした。白龍の肩を掴んで咄嗟に背後に隠れたアリババは首を曲げてアラジン達を振り返った。ジャーファルが醸し出すブリザードに当てられたアラジンとモルジアナが、顔を真っ青にしながら明日の方向を見詰めていた。

「……神官殿はいつ此方へ来るのでしょうか」

白龍が背中にしがみつくアリババを呆れたように、好きにさせながら先程よりは柔らかい口調で訪問の日にちを問うた。

「うむ、今日だ」


ばたばたと廊下を走る従者の声が、いたたまれない静寂を切り裂いて喜ばしくない人物の到着を告げた。



-----


実際のところ、ジュダルが到着してからアリババ達に絡んでくることは無かった、むしろ白龍とシンドバットが不憫だった。ジュダルが王宮内を見たいと駄々を捏ねてシンドバットと、鍛練に戻ろうとした白龍を捕まえて振り回した。ジュダルがシンドバットのジンの金属器を奪って下らない追いかけっこに始まり、怒りの小言から逃げたジュダルのかくれんぼに続き、ぶちぎれた白龍が槍を持ち出した辺りでジャーファルさんが色んな意味で雷を落とした。

そこで終わりかと思いきやジャーファルの書類を奪って逃げ出したジュダルにとうとう三人の堪忍袋が切れた。人数が増えた鬼ごっこは、目を当てられないほどの死闘と名付けても良いような気がしてきたアリババは目尻に浮かんだ切ない涙を指先で拭った。

「まあ、可愛らしいっちゃ可愛らしい鬼ごっこだよなあ」

ただし第三者として見ているに限る。徐々に距離が縮まる鬼ごっこに巻き込まれないようにと、アリババが身を翻してこの場から離れようとしたら「―――金髪のクソ王候補ッ!」ドンッ、と、重いとも痛いとも一瞬では区別しがたい強い衝撃が背中にぶち当たり姿勢を崩して床に倒れた。顎を強かにぶつけた。

「ィ、いッ、いってェェエエエッ!!!?」
「あ、わりィ」
「は、ジュダル!?」

問題を引き起こす張本人の声が上から落とされた、地面に崩れたアリババの背中に覆い被さったジュダルが姿勢を直そうとアリババの背中に手を乗せた、が。するりと首筋を湿った指先が滑り、さらりとした髪を掬うように撫でた。
柔らかい髪質の感触に面白いものを見付けた子供のようにジュダルが笑い、アリババの金髪を両手で叩いたり撫でたり引っ張ったり混ぜたり摘まんだり指を這わせたりと弄り始めた。

「いて、いてえ!降りろくそばか!!」
「はあ?誰に言って、」

「ジュダルー!書類を返しなさい!!」

遠くのほうで、それでも確実にこちらの方へ近付く気配と怒声にジュダルが舌打ちを漏らす。ぶつかった衝撃で両腕から逃げた数枚の紙と金属器を拾って、そこでふとジュダルは行動を停止させた。
そして拾い集めた筈の紙と金属器を無造作に投げ捨て、アリババの背中から腰を持ち上げて身を引いた、かと思いきや。

「オイ、クソ王候補」
「俺にはアリババつー名前があんだよ!!少しはアリババのアの字ぐらい掠れよ!一文字もかすってねーじゃねーか!」
「うるせえ吠えるな」
「ぐう、え!」

アリババの首に結ばれた赤い紐を有無を言わせずぐいっと引っ張り、腕を掴んで身体を捻らせる。ジュダルと正面から向き合う形になり、そうしてジュダルがアリババの腰布に手をかけて力付くで剥がそうとする。

「イヤァアアアイヤァアアア!!ケダモノーー!!!!俺男ですから男ですからごめんなさい許してイヤァアアア!!!」
「バッ、!そんな趣味ねえっつーのばかやろう!」

「――ジュダル?!貴方アリババくんにな、なななな、なにをしてなにを」
「し、神官殿」
「ジュダル……お前にそんな趣味が合ったとは……」
「ッ!?ばかくそあほ!ちげーよカス!!」

ジュダルの背後で驚き青ざめた三人が思わず足を止め後ずさる、真っ赤になって否定しながらもジュダルは行動を維持。やがてアリババの腰布がスルリとほどけて挟んでいたアモンの剣が落ちた、重い音を立てて床に落下する前にジュダルがそれを掠め取った。

「あっ、」
「返して欲しければ奪ってみろよバーカバーカ!!」
「っ、てめ、ざっけんな!」

三つ編みを揺らして俊敏な動きで逃げ去るジュダルを追い掛けてアリババは走り出した。落ちた書類と金属器を回収するジャーファルとシンドバットは疲労を滲ませながら手を降る、白龍が追うべきかと躊躇っている間に二人は去ってしまった。

「行ってしまいましたね」
「後は若者に任せよう、俺はもう休ませ、」
「働け」
「ウッ」
「さあ、皇子殿下も戻りましょうか」
「……はい、」


足音はもうここにはない。

----


刻まれた痛みと言うのは、心身どちらにしても、中々癒えることも、忘れることも出来ないものだ。
それはアリババの胸を深く抉った親友との別れもしかり、ジュダルに痛め付けられた傷痕も示す。
傷はとうに癒えた、けれど、刻まれた生々しい痛みは、鮮明に身体が悲鳴を上げて、忘れることは出来ないのだと確かに語る。

だからジュダルがシンドリアに来ると聞いた時に、ずきりずきりと癒えたはずの傷が無意識に痛んで、咄嗟に手で覆うように胸を抑えた。

顔を合わせた瞬間は突然の衝撃に満ちていたから、気にならなかったが、見失ったジュダルを探しながら彼について思考する度に、鈍く痛んで仕方ない。

「くそ、あのやろ」

王宮の拾い廊下の窓から顔を出して外を睨む、視線を下に落とせば「っ、」見失った人物が踞るようにして下に居た。大人二人半、距離としては飛び降りることは簡単だが、気付かれては意味がない。回りは木々だらけ、ならば少し遠回りしてコッソリと距離を縮めて奪い返す方が良いだろう。どうやら足を捻ったか、もしくは休憩か、座り込んであの場所から動く気配は無さそうだ。

微かに痛む胸を撫でてアリババは駆け出した。


-----


ジュダルを、アリババは知らない。
知る必要も無いのかもしれない、今は一時的に休戦状態ではあるが、お互いの意志は反発して、どうせ敵対する身なのだから。

「……ジュダル?」

そろりそろりと足音を忍ばせて背後まで迫ったのはいい、が。当の本人というか人の物を奪った犯人であるジュダルは膝を抱えて暢気に惰眠を貪っていた。抱えた膝と胸の間に大事そうに剣と布を挟みながら、包みながら。

「くっそ、かえ、せっての…」

剣は引っ張って奪い返した、同じように腰布も引っ張るがジュダルの足に腕に絡まった赤い布は引き寄せようとしてもジュダルの足を腕を閉めるばかりで抜けそうにない。溜め息を吐いた。

それなのに暢気に眠る顔は何だか幸せそうで、毒気を抜かれてしまう。
不意に、子供にやるように、頭を撫でようとした指先に、我ながら驚いた。

ジュダルを、アリババは知らない。

(ジュダルは、多分、これから先、敵になる。)

知る必要も無いのかもしれない、今は一時的に休戦状態ではあるが、お互いの意志は反発して、どうせ敵対する身なのだから。

そう、思いながらも。幸せそうに眠るジュダルの頭を撫でたくなった指先と、敵と隔離出来ない甘い甘い自分の内心に、笑ってしまう。

だから、
笑って、その頭を優しく撫でた。

(次は、敵かな。)


それでも、もう、傷は痛まない。
アリババは静かにまた笑ってジュダルの背中に凭れた、何でこんなにも、こんなにもと、自問自答、意味がないから目を瞑った。

「―――なあなあ、ジュダル」

俺、案外お前のこと嫌いじゃないよ。




-----




ジュダルが目を覚ます頃には日が半分暮れて夕焼けが世界を蝕むように視界を朱色に染めていた、ぱちぱちと瞬きを数回して欠伸をしようと口を開いてからふと気付いた、自分ではない、他者の背中の体温に。
首を曲げて後ろを振り返ったジュダルには橙色に染まりながらも、柔らかな金髪を吐息で揺らすアリババを捉えた。


「……は、なにこいつ、あほ、なの」

無防備に預けられる背中に疑問が溢れては溢れては、静かに弾けて萎んだ。
考えても仕方ないのだろう。とりあえず分からないことは分からないし、知らないことは知らない、それに、不快では無かったのだ。
アリババの眩い金髪も、背中に預けられた体温も、緩んだ暢気な寝顔も、アリババを待つ、自分も。

だから、零れるのは小さな苦笑と、
それから、笑っちゃうくらい、馬鹿馬鹿しい、感情で。

「ばーか、」

握り締めた赤い布を目線の高さまで持ち上げて唇で触れた、一瞬だけアリババの腰布とお揃いの真っ赤な瞳が、ジュダルが笑いたくなるくらい、馬鹿馬鹿しい感情の色を見せて直ぐに沈んだ。


アリババが目を覚ます頃にはジュダルはもう姿を消していた、手に残ってるのは自らの剣だけ。手に入らなかった、残らなかった、背中に合った体温は静かに語る。


(それでも、)

(それでも共に歩めやしないのだけれど。)


それでも確かに残るこの感情は愛しさだと、どちらが気付いた?

1203/君を奪う人。
BGM.メランコリック
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -