やさしくてきれいであまいものはとてもこのましい、とてもいとおしい。
けれど、そんな貧弱な感情は一切外面には出さない。内面の奥深く、黒く淀んだ水面にずぶずぶと虚勢と言う名の重りを絡ませて沈めて沈めて、おくびにも出しはしない。
そうして弱い自分もそこに沈める。

何度も何度も自分の足場が崩れる錯覚に襲われる。その度に震える足を叱咤して歩くために、踏み場を構成する。過去の弱く幼き自分を想像して、その濁った水面下に突き放す。自虐的で被虐的なその脳内での行為は少しでも過去と現在を比較して己を安定させるためには必要だった。

強くなりたいと、切実に願う。

過去の自分を残虐することにもいい加減、嫌気が指してくる。何度殺せばいい、嗚咽を、痛みを、悲鳴を、心を。
槍を奮う指先が冷えて投げ出したい衝動を押さえ付けた、そうしてまた、弱い自分を水の中へ突き落とす。

強くなりたい。

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弱い自分を受け止めて心に抱きながら炎を纏う剣を握るその姿に、眼球が焼けそうだと不意に感じた。気が抜けるような柔らかな笑顔であたたかい言葉を投げ掛けられる度に、ざわざわと内側の水面が揺れた。
涙を溢して、痛切な喪失を告げる姿に、酷く自分の心臓を掻き乱された。

なんというか、ただ、驚いた。

自分とは立場も性格も囲む状況もなにもかもが違う、関わりたくない、彼を理解出来ない嫌悪は歪にひね曲がりやがて何処か自分に重ねては、相似した興味に変化する。

知りたいと、思った。
もっとこの人のことを分かりたいと、思った。

腹を割って、とまでは行かなくても、もしかしたらいつかは、と考えてしまうくらいには、アリババと言う人物が気になってはまた、水面が静かに揺れる。

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ずっ、鼻を鳴らして未だ湿ったままの目を強く擦った。赤、青、黄色。ふわふわゆらゆらと自分を挟む赤と青が独特な色の髪の毛を揺らして静かに一回、二回と俺の背中を叩いた、問題無いと小さく頷けば前方を歩く黄色がずっ、と鼻を啜った。また両側を歩く赤と青が黄色の背中を叩く、驚いたように振り返った彼が歯を見せて笑った。そっと手を伸ばしてその背中を二人と同じように叩いてみた。きょとんとまあるくなった目が緩やかに細められて、また嬉しそうに黄色が朗らかに笑った。

ずいぶんと、やさしく笑うひと、だ。

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先ほど叩いた背中は細く一瞬、頼りないものに思えた、槍を鋭く降り翳して視線を彼へと向けた、炎が踊る中心で剣を煌めかせるその姿に深く深く息を吐く。

無力な俺に力を貸して欲しい。
あなたたちと一緒に、どうか戦わせてください。

誓いを込めて宣言した言葉はまるで枷のように胸に残っている、けれど、嫌ではないのだ。

むしろ、心地好いほどに。
力強くしゃんと伸びた背中に伸ばされる獰猛な爪を槍の柄で弾く、身体と腕を捻って体重をかけた切っ先を迷いなく下ろした。

「助かったぜ白龍!」
「後方支援は任せてください!」

微かに首を曲げて視線を交えて言葉を交わす。

「俺の持てる力の限り、全力であなた方と共に戦います!」

声に出したその台詞がまた、心地好い鎖として心臓に巻き付く。不思議と恐怖は無かった。
核心的な信用が背後にはある、貴方の背中は任せて欲しい、だから、俺の背中も貴方に委ねたい。

信じている。


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吐き出した息が宙に白く漂う、夜になると急激にこの地域は冷えるらしい。泡立つ肌を擦ってわずかながらでも暖めようとしていると背後から名前を呼ばれた。

「白龍、」
「……アリハバ殿」

片手をあげながらしっかりとした足取りで近付いてくる彼に軽く頭を下げた、彼のもう片方の腕には熱い布のようなものが抱えられている。

「夜はさっみーなあ」
「温度差が激しいですね、昼は焦がされそうなほど、熱かったのに」
「お前結構着込んでるしな、っと、ホラよ」
「うわっ」

ばさりと頭から大きな布を被せられる。驚いた声を溢して彼を見上げれば夜の闇には不釣り合いな明るく、優しい瞳があたたかい感情をふんだんに詰めて、俺を静かに見据えていた。
思わず親愛を込めて自分を慈しむ姉を彷彿させ、何故か、何故か、心臓部分が、ずきずきと疼く。

「風邪引くから早めにテントに戻れよ」
「……、はい」
「今日はお疲れさん、良く頑張ったな白龍」

厚い布ごしに頭を撫でられる。ぐいと布を引っ張って顔を隠した、多分、いま、泣きそうなくらい、顔が真っ赤だ。
空気を読んだ彼がまた最後に軽く頭を叩いて、おやすみと呟いて離れていく。緊張で乾いた口内を必死に動かして咄嗟に舌に言葉を乗せた。

「シンドリアに戻ったら、少し、話しませんか」
「俺と?」
「腹を割って、とまでは確証出来ませんが、貴方と話がしてみたい」

「貴方のことが、知りたい」

布で顔を覆ったままでは彼の顔は見れない、隙間から自身の足元を強く睨む、ばくばくと動悸がなりやまない、鼓膜が僅かな音も逃さないと言うように鮮明に二人分の呼吸音を拾う。

「……おう、約束な!」
「はい、約束です。おやすみなさい」
「おやすみ」

目を閉じて遠さがる足音に安堵したような、少し残念なような。知らず知らずの内に、口元が弧を描く、気持ちだけが、どうにも急いて前に進みたがる。

水面に小さく波紋が漂う。

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やさしくてきれいであまいものはとてもこのましい、とてもいとおしい。
そんな弱く甘ったれた幼子のような感情は認められないと、躍起になっていた。脆弱な自分は要らないと否定して必死に殺していた。
けれど、認めてもいいのだと、彼が教えてくれた。
優しさも弱さも愚かさも、抱いて行けると、前に進めると、彼自身で確かな証明を実証してくれた。
相対の嫌悪は自らと酷似した興味へ、興味はやがて無知を埋めて存在の認知、信用は彼への絶対的な信頼を培う。

俺は、弱いからと嘆いて突き放して沈めてきた弱さを掬って向き合いたい、そうして優しく抱いて、彼のようにあたたかく笑いたい。

彼のように、なりたい。


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「貴方に釣り合うような人間でありたい」

面と向かって確かな意思を伝えれば一拍の間の後、顔を林檎のように赤く染めてくしゃりと照れたように眉を下げて笑った。

「んなけったいな人間じゃねーよやめろよ、真顔で言われっと照れんだろ」
「本当の事です」

落ち着きを失った手が左右に揺らされて否定を示したが、どうしても信じさせたくてその手を掴んで強く握った。

「本当の、事です」

ぴん、と耳元で張り詰めた糸が切れたような音がした。

貴方のようになりたいではなく、口から零れたのは貴方に釣り合うような人間でありたい、両方共、似たようなものに思えるが前者と後者では意味合いが確実に違うのだ。
前者は羨望、憧れを秘めている。
後者は、後者では。

「貴方の隣で、」

こころの奥底で一気に浮上した感情が激しく体内で荒れ狂うように、荒々しい衝動、耳の裏側が脈打つ。沈めてきた色々なものが浮き上がって言葉が追い付かない、見当たらない、途切れて、単語だけが落とされる。

絶対的な信頼が、彼の髪の毛みたいに甘くとろけた蜂蜜色のものへ塗り変わる。
言葉を無くした俺の顔を不思議そうに除き込んだ彼の顔を見て、漸く辿り着いた。

やさしくてきれいであまいものはとてもこのましい、とてもいとおしい。

いとおしい、のだ。

握ったままの彼の手を両手で抱えて自らの胸に寄せた。どくどくと高鳴る心臓が確かなものだと、どうか、どうか貴方へ伝わればいい。

「あまえたい、」

艶やかに濡れた吐息と台詞には愛情、好意、恋慕が惜しみなく凝縮されている。

「あなたにあまやかされたい、」

甘えが脆弱の象徴だと言うのなら、それも甘受しよう。俺は貴方の隣で笑い合えるような、それでいて貴方の一番になりたい。
アリババ殿が、俺の一番のひとだ。

「貴方に愛されたい」

きっと俺はもう、弱い自分を殺せない。

1028 着々とした恋情。
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∴単行本派なので十巻読んで龍アリ願望全部詰め込んだ。

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