お風呂場からこんにちはされたA子




結局、今日一日はおかしな日だった。朝からあんなに苦しくなるし、お昼には変な幻覚を追いかけそうになるし、胸の奥はずっと苦しくて悲しいままだし、体は重いままだし。心にもやはかかったままで全然すっきりしない。帰ってきたところでそれは晴れるはずもない。…とりあえず体だけはさっぱりさせよう。そう思ってお風呂の準備をしようとした時。
丁度お風呂場のドアを開けた時だ。


「…………」

「…………」

「……お前」

「し、失礼しました」


開けたドアをそっと閉めた。だ、だって!!!!お風呂場に人がいるとか!しかも全身ずぶ濡れの男の人とか何で!!目合っちゃったよおおおおおお?!目が合った途端はギロッて睨まれたと思ったけど私の顔を見るなりすぐに瞠目して「お前」って……お前って!!誰ですかこの人不法侵入者かそうか家宅侵入罪で逮捕するぞ逮捕する権限持ってないけど!!パニくって混乱した頭はまともな思考なんて働かない。私は私で、ドアを閉めた体勢のままその場で固まるしかなかった。漫画で言うならあれだ、青筋だ。絶対青筋入ってる、今。というか、あの、ね、ちょっと落ち着け私。あの人どこから来た。なんで全身ずぶ濡れでお風呂場にいるの。あれ?ここ、私の家だよね、うん、私の家。
…………お母さああああん!!不審者ああああ!!!

脱兎のごとく逃げ出して今すぐお母さんに不審者がいるの知らせたいけれど、このドアノブを放してここを離れたらあの人は絶対出てくるからなんとなくそれも出来にくくて、とりあえず私は心の中で叫んだ。でもそれが伝わるはずがない。さてどうしよう。携帯持ってればよかった…!なんて後悔するけれど、後悔先に立たず、だ。そうだ、とりあえず、えっと、うん。どうしよう!!鍵をかけても内側から開けられるしなす術なし。どうし────ガチャガチャ────いやあああああ!!!開けようとしてる!!


「おい、ここを開けろ」

「……!だ、だめです…!」

「いいから開けろ。バラすぞ」

「バラ…っ?!」


尚更開けられるかー!
そうして踏ん張ってはみたけれど、そこは男と女の差を圧倒的に見せつけられた。いくら私が踏ん張ろうが相手は男の人で、相手がちょっと本気を出しただけでお風呂場のドアは簡単に開けられてしまった。え、や、ちょ…!力に負けて、開けられるドア。そこから現れたのは、黄色と紺のパーカーを着て斑な模様が描かれたジーンズを履き同じ模様の帽子をかぶる人。全身ずぶ濡れだけれど。目元には酷い隈があって、それが凶悪な風貌に見えてしまう。そして肩でとんとんと置くそれは──刀だ。


「ひっ……!」


初めて見る実物に息を呑む。
情けない悲鳴が隙間から漏れた。
足の力が瞬時に抜けて、ドンとその場に尻餅をつく。
そんな私を見て、その人はただ私を見下ろす。
アイスブルーの瞳がかすかに揺れた気がした。



◆     ◆     ◆




奥歯をぎりと噛み締めた。
掌を力の限り握り締めた。
胸に、でかい穴が空いた。
あの時の俺は、あまりにも無力だった。
あの手を、掴まなければいけなかった。


「くそ…っ!あいつに、まだ伝えてねェ…!」


何も、伝えてねェんだ。
シャボンディで遭遇したバーソロミュー・くまから逃れた俺達は、船に戻るとすぐに船を潜水させた。そして力の限り握り締めた拳を床に打ちつける。得た者はいる。だが失くした者もいる。俺にとっては失くした者が何よりも大きかった。散々あいつをからかい、あいつで遊んで、その分一緒にいた。最初はただの変な女だとしか思えずにいたが、気付けばあいつに対する気持ちは変わって、目が離せなくなっていた。醜い嫉妬が燃えた。──だが、それを何も伝えていない。目が離せない理由、嫉妬心が燃えた理由。あいつに伝えるべき言葉を、言いたかったった二文字の言葉を、伝えていないというのに。あいつが俺に対する気持ちも俺と変わりない確証もあった。だから、あいつが戻るまでに伝えるべきだったのに。それはあまりにも突然過ぎた。

──あいつは消えた。
俺達の前から忽然と姿を消した。
バーソロミュー・くまの手によって。


「馬鹿野郎…っ」


それは誰に対するものか。
俺か、あいつか、それともくまにか。
どれでもいい。誰でもいい。
一番の馬鹿は俺だ。







ある日。苛立ちが募る日々が続いていたある日。ある小島で、海軍が俺達を捕えようといきり立ち俺達を包囲した。シャボンディ諸島に近く、つまり海軍本部に近いということもあり本部中佐やら面倒な奴等ばかりが集まる。ベポやペンギンンたちに海兵を相手にさせ、俺は中佐の前に立つ。


「トラファルガー・ロー。ここで貴様を捕える」

「やれるもんならやってみろ。テメェには無理だろうがな」

「フン。ほざいとれ。……貴様のところにいた女はどこへ行った」

「…………テメェに教える義理はねェ」


それは逆鱗に触れた瞬間だった。
どこへ行ったかなんて、俺が知りてェくらいだ。
それが悪かったのかもしれない。逆鱗に触れ、怒りに任せ冷静さを失ったせいだ。隙をつかれ、あろうことに海へ落とされた。チッ……めんどくせェ。落ちようがクルーがすぐ来るだろう。俺は海へ落ちる直前、サークルを広げる。瞬時に刀を抜いて海軍をぶった斬った。いい気味だ。そうして俺は海へ落ち空気は肺から抜け、意識が遠のく感覚が広がり、やがて────浮上した。浮上?能力者はただ海へ沈むだけだ。だというのに浮上だと?何故だ。怪訝に眉を寄せながら水面から顔を出し、空になった肺へ空気を送り込む。ハァハァと呼吸は荒く鼓動は早い。荒い呼吸のまま辺りを見回す。

そこは四角い狭い部屋。どうやら風呂場らしい。ということは、俺がいるのは浴槽か。……風呂場?なぜ俺は風呂場にいる?不本意ながら俺は海へ落とされたはずだ。だというのに風呂場だと?明らかにおかしな状況に警戒して、俺は即座に浴槽から出た。いつまでも水に浸かっているわけにもいかない。刀は……あるな。まずはここがどこか把握することが第一か。ここが同じ小島であれば、あいつらは俺が戻るまで船は出さないはずだ。あいつのようにどこかへ飛ばされたのであれば、またあの小島に戻るだけだ。現状把握に出ようかとドアノブに手をかける。が、扉の向こうに人の気配。ノブにかけた手を引っ込めて戦闘態勢へ移る。いつでも刀が抜けるようにとした時──扉は開いた。


「…………」

「…………」

「……お前」

「し、失礼しました」


────。
言葉を失った。瞠目し、息を呑んだ。
まさか、あいつが突如現れるなんて、思いもしなかった。

扉を開けたのは、俺の前から姿を消した名前。バーソロミュー・くまによって唐突に元の世界へ戻されたあいつだ。なぜあいつがここで急に姿を現した?俺達の世界へ戻っているならさっさと俺のところへ戻ってくればいいものを。……いや、しかしあいつただ驚いていた。俺の姿を見て驚いていた。なぜだ。覚えていないのか?──まあいい。それは直接あいつに訊いてやる。そうして俺は閉められたドアノブに再び手をかけて開けようとする。が、どうやら向こう側であいつがノブを押さえて開けるのを阻止しているらしい。


「おい、ここを開けろ」

「……!だ、だめです…!」

「いいから開けろ。バラすぞ」

「バラ…っ?!」


ひどく怯えた声が聞こえた。こんなことを言っても、普段のあいつなら怯えることはなく全力で謝っていた。……やはり覚えていないのか?疑心が確信に変わりつつある。認めたくはないが、恐らくあいつは覚えていないんだろう。……くそ。やっと会えたってのに、覚えてねェ、か。少しの苛立ちが手に力を籠めて、力任せにドアを開けた。すると、あいつは扉を開けた俺と目が合うなりひどく怯えて、小さな悲鳴を上げ、目を見張り、そしてその場にへたり込んだ。

ずきん。何かが疼いた気がした。
普段は冷静な心に波が立った。


「……ここはどこだ」

「ど、どこって、私の家、ですけど、」

「お前の家?……今度は俺の番か」


怯える名前をなるべく見ないようにして、俺はこいつの言葉でここがどこだか理解した。こいつの家、ということは元の世界へ戻った名前の家。つまり、今度は俺が飛ばされたということか。……くそ。なぜこいつの家に飛ばした。別の場所へ飛ばしてくれたほうが有難ェ。こんなにも怯える名前を見るくらいなら、恐らく俺を覚えていない名前が側にいるくらいなら、もうこいつに会わねェほうがよかったのに。この様子からして、名前は俺を覚えていない。すべてを忘れているだろう。こいつは覚えていなくても俺は覚えている。こいつが来てからの日々を。一方が忘れて一方が覚えているという深い溝はどうしても埋まらず、覚えている側はもどかしさを感じるだろう。

俺にもどかしさを味わえというのか。
ふざけるな。


「チッ……面倒くせェ。どけ」

「え、あの──」

「さっさとどけ。出ていく」

「待って!」


呼び止める声に反応する体を呪った。
馬鹿正直か、俺は。
背を向けて出ていこうとした俺はそっと振り向く。すると、そこにはタオルを差し出す名前がいた。


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