雄叫び。怒号。悲鳴。狂気じみた笑い声。鍔迫り合い。
耳を劈く喧噪をどこか遠くに聞いて、私は戦場をひたと見据えていた。


「正義を謳う海軍の准将まで上り詰めた白猟のスモーカーに問う。──……正義って、なに?」


二本の葉巻から立ち上る紫煙をくゆらせて、彼は黙として私を見据える。
三日月型の島をしたマリンフォード。海軍本部があるその島では現在、大戦争の真っ只中である。白ひげ海賊団二番隊隊長ポートガス・D・エース──ゴールド・ロジャーの息子の処刑現場に麦わらや白ひげ本人が乗り込み、あろうことにインペルダウンを脱獄した元懸賞首や政府の狗である七武海もこの戦いに参じた。
歴史に残る大戦だろう。

海賊の私はもちろん海軍を駆逐し、海軍は私たち海賊を捕らえるために迫りくる。
その海兵のなかに見知った顔を見つけた私は、彼と対峙した。かつて海軍に在籍していた昔。まだ正義を信じ、海軍に身を捧げると誓っていたあの頃。あの頃の上司はたくさんのことを教えてくれた。大佐だったあの頃とはすっかり違い、今ではもう准将に昇進しているけれどそばには昔と変わらずたしぎの姿がある。彼女ももちろん昇進していた。
ふと、懐かしい光景が瞼裏を駆け巡る。たしぎといつも笑いあって、馬鹿をしていたらいつも怒られた。とても懐かしく、楽しかったあの頃。笑顔が満ち溢れていた時代。

正義を謳う海軍。──けれど。
この惨状で誰が正義など信じられるだろう。火拳も死んで、白ひげすらも死んでしまったにも関わらず、衰えることを知らない海軍の士気。あろうことに士気は上がるばかりだ。ねえ、正義って、一体なに?
なんて愚か。なんて醜い。これで何人が命を失い、家族を失い、未来を失ったことか。ああ、本当に。醜い。
火拳も白ひげも死した。時代がひとつ終えた。最大の海賊である白ひげが死した功績を称えて海軍は鬨を上げるべきなのに、それすらせず海兵は我先にと海賊を討ち取りに駆ける。戦場のただなかで惨く、凄惨で、醜悪な行いをする彼らをひたと見据えているときに来たのが、かつての上司だった。

無意識にはらりと頬をなにかが伝う。
それに気付かないふりをして白猟に問うたけれど、彼は眉を寄せて無言で私を見下ろしていた。吐き出される紫煙が喧噪にふるりと震える。


「ここには正義なんて、ありはしない。目的を忘れた猛獣が狂って暴れているだけ。……私、心のどこかで、いつか海兵は抑えきれない猛獣になるんじゃないかって思ってた。だから私、海軍を辞めたの。そして海賊になった」


冷え冷えした微笑を向ける。
白猟の眉間の皺が深くなった。


「海賊は綺麗だもの。仲間を想い、行動する。白ひげや麦わらみたいにね。……例外はもちろんいるけれど」


気味悪い笑い声を絶やさない黒ひげと、海軍総帥を遠くから睨みつける。
どす黒く醜いなにかが渦を巻いて今にも吐き出しそうだ。憎悪の詰まった瞳を遮るように、スモーカーはふと私の前に立ちはだかる。


「……どうするつもりだ」
「──あいつらを、殺す」


すべての引き金となった黒ひげ。
そしてこの戦争を終結させない海軍総帥。
相変わらず葉巻を銜えたまま喋るスモーカーを見上げて一言告げ、私は彼の横を通り過ぎる。
眼前に広がるのは醜悪な光景。惑う海賊を追い詰めて海兵が斬りつけ、血飛沫が上がる。ずきんと心が痛んだ。同時に怒りが込み上げて唾を呑みこむ。

ああ、本当に。こんなこと誰も望んでいないのに。

崩れ落ちた海軍本部を見上げたあと一度振り向いて、裂けた大地から海へ逃げる海賊たちの背を見送る。そしてもう帰ることが出来ないだろう海へ心の中でそっと別れを告げた。
ばいばい、大好きな海。海賊のみんな。
そして、すっと表情を失くす。心を無にし、前を見据えた。
本部の残骸を向いて、佩いていた太刀をすらりと引き抜き「お願い、避けて」とおよそ海賊の彼らに届くことがないだろう声量で囁く。ふっと膝を落としてその場にしゃがみ、刀を地面と水平にして素早く薙ぐと、刀のように鋭い風圧の刃が海兵の足を襲う。それにより多くの海兵は足から血を流して悲鳴を上げて地面に平伏した。止めを刺すつもりはなくただ足を奪っただけなのに、私の行動が幸いとでも言うように黒ひげの仲間たちが下卑た笑い声をあげて喜び勇んで武器を無上に振り下ろした。
あいつら、なんてことを……っ!

遠くの黒ひげと目が合う。奴はにやりと、吐き気が催すほど下卑た笑みを私に向けた。よくやったと褒めんばかりの視線に全身の血が沸騰するようだった。
また、どす黒いなにかが渦巻いて込み上げる。奥歯を強く噛み締め、唇をきつく結んだ私は黒ひげたちの行いが許せなくて太刀を片手に駆け出す。──けれど、それを許してはくれなかった。不意に手首をぐんと強く引っ張られたのだ。力強いそれに盛大な舌打ちを吐き出し、払い除けようとしながら振り向くとそこにいたのは先程まで対峙していた彼。
目を鋭くし、憤慨の様子で手首を掴んでいる。そして罵声に近い声で叱責された。


「やめろ!!お前が敵う相手じゃねェはずだ!」
「っ!そんなことは知っている!!」


──あなたは本当に、昔からきついことを言う。


「でもあいつを討たないと気が済まない!離せッ!!」


結局は、私も同じなのだ。
海軍は海賊に奪われた数多のものを奪い返すために海賊に向かい、海賊は海軍に捕らわれた全てを奪い取るために向かう。結局は、私も同じだ。醜悪だと思っていた行為に私も組み込まれ、そこに身を投じる。つまりは私も醜くて、穢い。
でも、それを、あなたは止めるというのか。


「離すか馬鹿野郎!お前もあいつらと同じになりてェのか!ふざけんな!!」
「うるさい!私の勝手でしょう?!私がどうなろうとあなたには関係ない!!」
「関係ねェなんざ勝手に決めんな!敵わねェと分かりきってんだろうがテメェ!!」


そんなの、分かりきっている。
二つの能力を手に入れた黒ひげと、海軍総帥とあり続けた男。そんな二人と渡り合えるなんて微塵も思っていない。
それでも。私は。


「仲間があいつらに殺された!それを黙っていられるわけないじゃない!」
「犬死する気か!」
「構わない!!」


犬死でも構わない。ここで死そうが、いい。
怒鳴り合うように言い合っていた私たちは束の間、膠着する。大きな手を振り解こうとしてみるけれど彼の力に敵うはずがなくて、咄嗟に太刀を持ち替えた私は慣れない左手で刀を振り上げた。この腕を斬り落してでも行ってやる。
視界がやけに歪んでいる気がしたけれど気付かないふりをする。
戦場の喧噪はどこか遠い。正面の彼は、更に怒号を飛ばした。


「アホなことを言ってんじゃねェ!!」
「ッ、うるさい!!」
「到底敵わねェ野郎のところに行く部下を見捨てると思うか!おれが!!」


怒号に応戦したけれど、次の瞬間、振り下ろしていた左手が自然と止まった。ぴたりと、まるで、機械のように。
──あなたは、こんな私でも、まだ部下と言ってくれるのか。


「わたしは、私はもう、お前の部下じゃ…!」
「うるせェ!犬死なんざするんじゃねェ馬鹿野郎!」
「離せ、離せ!!」


ぴたりと止まった左手を無理矢理動かして刀を薙ぐ。刃は白猟の身体を横切ったけれど、覇気が籠らない刀はただ煙を払っただけだった。
手首を掴む手に力が入る。──この大きな手に、幾度、助けられただろう。


「──…ッ、離せ…!離して…っ」


大きな手に掴まれた手首をそのままに、私は力なく頽れた。いや、頽れるしか出来なかった。溜まった涙で視界はかすみ、もう彼の顔さえ見えない。頬を伝う涙が地面に落ちて、私はそのまま項垂れた。


「…っ離して、ください──スモーカー大佐……っ」


咽ぶような声は果たして彼に聞こえてしまっただろうか。
項垂れる私を彼は腕を引っ張り上げて無理矢理立たせる。歪む視界のなかで手首を掴む大きな手を剥がそうとするけれど、力強いそれはびくともしない。何度も何度も離してと懇願するしか出来なかった。
──ねえ、お願いです大佐、この手を離して、私を自由にして。
醜くも何度も懇願し続けて、一体何度懇願したか分からなくなったとき不意に大きな手から解放される。戦場とは反対の、海賊たちが逃げ惑う海へ放り投げられてだ。解放を望んでいたのにあまりにも突然で地面に膝をつく。くしゃくしゃの視界で振り向くと、彼は私に背を向けて戦場へ『正義』の二文字を揺らめかせて歩みを進めていた。
逃げ惑う海賊を通り過ぎて悠然と歩く彼は、突如振り向き、再びの怒号を飛ばした。


「犬死はおれが許さねェ!もしするってんなら、今ここで!!テメェを監獄にぶち込んでやる!!それが嫌だったらとっとと失せろ!!」


怒号とともに吐き出された懐かしい紫煙が、鼻孔を擽った気がした。
────なんて、痛い、優しさだ。








突きつけられた痛いほどの優しさ



雄叫び。怒号。悲鳴。狂気じみた笑い声。鍔迫り合い。
耳を劈く喧噪は遠い。戦場ははるか遠くに。

よろめきながら乗り込んだ船には苦しむジンベエと火拳の弟。
ここはどこの船だろう。誰が船長だろう。
──どうでも、いいか。
馬鹿な上司に拾われた命。ただ涙を流す。

突きつけられた優しさは、私を惨めにさせた。



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