大きな手が暖かかった。

優しい言葉が心に染みた。

向ける双眸が力強かった。

さいごまで笑顔だった。

わたしは、あの人を愛していた――





ある意味、デートのお誘いかしら?




「ねえ、クザンさん。……私、海軍なんか大嫌いです」

「ああ…知ってるよ」



ソファの上に膝を抱えて座り、膝頭の間に頭を埋めながら大きな手の感触を頭に感じていた。船の動く音、海兵の声、波の囁きが遠くに聞こえながらぽつりと小さく呟いた声は、隣に座り一心に私の頭を撫でるクザンさんの耳へ届く。クザンさんが返すその声は、どこか悲しそうだった。クザンさんを哀しませようと言ったものではなく、私の人生で海軍を見て来た結果の言葉。決してクザンさんに対して言ったわけではない。


確かに海軍は『正義』かもしれない。私だって、その『正義』に一度助けられたことがある。でもそれはある一時のみで、それ以外に私が見て来た海軍は薄汚れているのだ、それこそ海賊よりも『悪』と言い切れるほどに。だが、その『悪』という横行を『正義』に変換するのが海軍。だから嫌いなんだ海軍なんてただの悪のくせに、慈悲もないくせに、島民を皆殺しにしたくせに。

「…っ、」声にならない声が喉から漏れる。昔を思い出していた。まだ、ほんの数年前の出来事を。10年前より鮮明で、1年前よりぼやけたその記憶が頭を占める。置き換えることなど、消し去ることも新しく塗り替えることも出来ない、出来るはずもないその記憶は色鮮やかに当時のその色を映したまま脳裏に蘇るのだ。



――空は暗く、雷が辺りを照らす。草が辺りを覆っていた大地は赤黒く、当初の色をどこかに忘れたように変色していた。強風が吹き荒んでいるせいで雨粒が身体に当たる度に痛い。しかしその中で呆然と立ち尽くす足元には、鼻に届くその匂いは、―――――いつまでも忘れられない。



「名前ちゃん。こんな時で悪いんだけど、3日後に七武海の会議が行われることになっちゃってねえ。…その手伝いを募集してるんだけど、どうする?」

「やります。…会いたい人が、いるので」



膝頭の間に埋めていた顔を上げ、クザンさんまで見上げると彼は私の返答が分かっていたかのようだった。やっぱりね、と言いたそうな顔をしている。手伝いを募集と言っても手伝う人は私の他に何人もいるし、実質私が七武海会議の補助に回らずとも人手は賄えるのだ。だがそれでも私に声を掛けてくれるというそれは、きっとクザンさんなりの優しさ。

私が『あいつ』と面識があること、そして昔を知る数少ない人物で有ると言うことを承知しているから、クザンさんは毎度私に声を掛けてくれるのだろう。私はその優しさに甘えてばかりで何も返していない。何か返さなければと思いつつも返す術が見付からないのだ。昔から、助けられていると言うのに。


隣に座るクザンさんの袖を掴む。私が普段しないその行動、ついと袖を引かれたことを何事かと思ったのだろう、私を向いた表情は何処か不思議そうだ。クザンさんを暫く見詰めたのち、口を小さくぱくぱくとまるで餌を頬張る金魚のように口を動かし、小さな声だが感謝の言葉を述べた。普段何気なく口にしている言葉でさえ、こうして面と向かって、しかも改まって言うのはどこか気恥ずかしい。なぜだろう。



「ありがとう、ございます。今までのことも、全部。……私は何も返せて、なくて、っ」



ゆっくりと言葉を並べていると自然と視線は下へ下へと下がってしまった。目が伏せられた様になってしまったと同時に頭上からは、くすりと笑う僅かな声。途切れ途切れに紡いでいた言葉の途中視線を上げると、ぐいと腕を引っ張られていた。眼前には白いベストに青いワイシャツ。背中に感じる温もりは確かに本物で。恐る恐る肩の力を抜くと、頭の上からクザンさんの声が降り注いでくる。それは柔らかく、温かく、とても安心出来るもので。



「もー、おれは見返りなんて求めてないって、昔も言ったでしょうに」



――その柔らかさも、温もりも、安心感も、『あの人』に似ていた。



◇   ◇   ◇




本部に戻ると慌ただしさが目立っていた。準備で忙しそうな擦れ違う海兵を一人捕まえその理由を訊けば、なんともう七武海が3人も来たせいだそうだ。海軍としては3日前に3人も来るなど予想範囲外のことで、それ故七武海が泊る部屋も何も用意していなかったという。そしてこの場を指揮を執るはずの者も、突如体調を崩してしまい今日この場には来れないと言うことらしい。だからこんなにも慌ただしく動いているということだ。

クザンさんと別れた私は直接、補助に入るためこの場に来たのだがその慌ただしさに唖然とするしか出来なかった。それぞれの役目も分からぬまま動きまわる海兵たち。捕まえた海兵を準備に戻らせ、慌ただしいこの空間にばれないように小さく溜息をひとつ吐き出す。そしてパンパン!と手を二回鳴らし、声を張り上げる。動いていた海兵はぴたりと止まり、扉の前で声を張り上げた私を注目した。



「班は一応作られているはずでしょう?何班まであるの?」

「ろ、6班まで有ります!」

「ありがとう。1班と2班は会場整備、3班至急部屋を手配、4班から6班は会議の間までの食事手配をしてくれる店を数件確保!この場の指揮は臨時で私が執ります。何かあれば直接私に言ってちょうだい。解散!」



「はっ!」その場に居る全員の声と敬礼が揃い、慌ただしかったそこは秩序を取り戻し皆が己の目的を持って行動を始めた。私はその様を見ながら扉近くの壁へ寄りかかる。すると、先程までの騒然さは雰囲気のまた違う騒然さが室内を占める。余所余所しくなり、緊張している様な面持ちの海兵。その視線は一点に扉へ向けられていた。隣に有る扉を見ていると、開け放たれたそこからすたすた入ってきたのは、背中に最上大業物を携えた最強の剣士。帽子から覗く鋭い視線は、一度部屋を見渡した。

恐らく鷹の目には、扉横の壁に寄り掛っている私の姿など目に入っていないのだろう。彼は横も見ずに部屋にすたすたと入ってしまったのだから。緊張する海兵を横目にミホークは腕を組んだまま首を傾げる。帽子についている白いそれはふわりと揺れた。



「名前の声がしたと思うたのだが…おれの気のせいか」

「なにが気のせいよ。私はちゃんとここにいるじゃない。……久しぶり、ミホーク」

「久しいな、名前。相も変わらず凛々しい女よ」

「ありがと」



腕を組んだまま振り向いたミホークは、私の姿を捉えるなり帽子から覗く鋭い目を僅かに緩める。すると壁に寄りかかる私の隣に来ては、同じように壁に寄りかかり始め会議の準備に東奔西走する海兵たちを眺め始めた。緊張しているような面持ちも、この忙しさには直ぐ消えてしまうらしく彼等はミホークのことを気にせず準備に奔る。
その騒然とする様子を見ながら私達は小さな声で会話を広げる。



「変わってないみたいね、ミホーク。みんなは?」

「あやつらがさも容易く変わると思うているか?」

「思わない。でも元気なら良かった、安心」

「ぬしも変わっておらぬ。いずれ会いに行ってやれ」

「それ、海軍少将に言う台詞?」



名は出さない。いくら声が小さかろうと、名を聞かれてしまえば疑惑の目で見られるに違いないからだ。それを分かってミホークも名を出さず話してくれている。海軍少将の位に就く私に言う言葉ではないとくすくす笑いながら言うとミホークも口許を緩めて笑う。「ならばおれはどうなる」と尤もらしい事を言われるが、ミホークはミホークで私にとっては別だ。
鷹の目及び王下七武海は世界政府に認められた大海賊。政府の狗ということになるが、彼らも一端の海賊という訳だ。海賊が海賊に会って何が悪いのだ、とそれは私なりの意見。

ミホークはそれに当て嵌まる。けれども、私はミホークの様にはいかない。私は海軍本部に勤める少将であり、海賊を捕まえるのが役目。そんな役目さえなければ、今すぐにでも暇が有ればいつでも会いに行くというのに。煩わしい役職。脱ぎ捨てたいが、そうする訳にもいかない。



「…あやつだけでもなく、ぬしの『親』も変わらぬそうだ」

「そっか…結構な歳だから心配してたんだ。ありがとう、ミホーク」



そうか。変わってないんだ、あの二人。頭に二人を思い浮かべ微笑んでいると、隣にいる鷹の目は私を一瞥しながら壁から背中を離し、私に最上大業物が背負われているその背を見せながら足を遠退けた。少し歩いた後、ミホークは肩越しに顔だけ顧みながら最高の言葉を紡ぐ。それは私の心を最高に躍らせるのには最適で。



「休暇を取れ。すればおれが連れて行ってやろう」



大きく頷いて、鷹の目の背中を見送りながら私は想像していた。あの二人に会った時の瞬間を。気が早いと言われようが頭に思い上がって来るのだ、懐かしいあの二人に会えた最高の瞬間が。

シャンクスとオヤジに会った、その時の光景が。

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