リーン……リーン……リーン……

たしか、遥か遠くで鳴っていたそれ。
本能ではないどこかで鳴っていると錯覚に陥らせるほど、それほど遠くで鳴っていた警鐘は、歩みを進めるようにたしかに近付いていた。

でもまだ遠いから大丈夫。私は自分自身にそう言い聞かせた。





『ただいま』と告げると、みんなは笑って出迎えてくれた。




「なあ、名前」



昨日、シャンクスに会った時に肩に掛けていた海軍のコートは海に投げ捨て処分した。あんなものいくら処分しようと上層(うえ)に言えばいくらでも支給してくれるのだ、一着くらい捨てたって構わない。――遠くに細波が見える。照り付ける太陽の陽射しが暑いと分かっていながら、甲板で船のヘリに腕を乗せて波の揺れを見ていると、突然背後から声が掛けられる。誰のか分かっている声に振り向きもせずに「ん?」と単調な返事をすると、その声の主は私の隣へ現れた。

ヘリに腕を乗せて海を眺める私とは対照的に、ヘリに肘を乗せ甲板に身体を向けている彼。吹く風に、赤い髪が流れる。風に流れる赤い髪を視界の端で捉えながら、依然と海を眺めていると、再び同じ言葉で声を掛けられる。靡く髪を抑えながらシャンクスを向くと、彼はいつものように穏やかな笑みを浮かべている。…しかし、その眼差しは真剣そのものだった。


見つめ合いしばらく沈黙が流れていたが、シャンクスは突然がしがしと頭を乱暴に掻いて、そしてなにかを決意したように開口する。



「おれの船に乗って、赤髪のクルーにならねえか」

「私が赤髪の、クルー、に?」

「ああ。……おれの傍に「待って。その言葉は私に言うべきではないわ」……そうか」



シャンクスの言葉の後に続く言葉を、私は知っていた。その言葉を聞きたくないと本能はサイレンを鳴らし、脳で判断する前に口は勝手に動いていた。私からその言葉が返って来ると粗方予想していたのだろう、シャンクスは「やっぱりな」と言いたげな表情をして私を見ているのだ。苦笑に近いその表情を見ながらごめんね、と謝罪の言葉を述べると、彼は盛大に笑う。

シャンクスのその申し出はとても嬉しかった。海軍から離れられないと理解していながらも、一瞬のうちに心は跳ね踊り歓喜の声を漏らしそうになった。だが、その歓喜を止めたのが冷静な理性と凍てついた言葉。『裏切るの?』裏の私が、凍てついた私がそう問い掛けたのだ。そうだ、私は裏切ることは出来ないし赦されることではない。これは『約束』だから。刹那のうちに肯定の言葉を呑み込む。そして肯定も否定もない言葉が紡がれたのだ。

そうした申し出も、盛大に笑うところも、それがシャンクスの優しさだってことくらい、私は知ってるし気付いてる。



「だっはっは!!名前が謝ることじゃない。おれが勝手に誘ったんだ、気にするな」



そう言いながら、乱暴だが優しい手付きでぐしゃぐしゃと私の頭を撫でるシャンクスの手。この手に、彼の大きな存在に、私はいくら助けられただろう。ありがとう、ありがとう、ありがとう。いくら礼を述べても感謝を伝えても言い足りない。それほど私はシャンクスというひとりの存在に助けられたのだ。

笑ったまま私を見るシャンクスに一歩近付き彼の肩に手を置いた。私のその行動に不思議がるシャンクスは微笑のみを浮かべ私を見ている。その微笑に返すように私も微笑み、そしてシャンクスのその頬に唇を寄せた。



「ありがとう、シャンクス。大好き」





名前からの不意を突かれたキスに、シャンクスは頬を抑えてその場に立ち尽くしていた。名前はシャンクスの頬にキスをしてから、シャンクスに背を向け船室へ戻っており既にこの場に姿はない。彼女の去った方向にずっと視線を向け、まるで硬直したように動かないお頭を、通り過ぎるクルー達は怪訝な瞳を向けたり、はたまた可笑しそうに笑う者も居た。いつもより大分変だ、と報告を受けたベックマンは甲板に現れ、まったく動かない、瞬きのみしかしないシャンクスの姿を見付け思わず笑ってしまう。

報告とまったく違わないその姿に笑うベックマンは、お頭に近付き顔の前で手を振ってみる。だがそれでも反応はなく、シャンクスの手が頬に添えられていることに気付き、そして視線は船室の方へ向けられているのに気付くと「ああ」と合点がいった様に声を漏らす。どうりでさっき擦れ違った名前の機嫌が良かったわけだ。


先程、自室を出てから擦れ違った名前の様子が機嫌良さげだったことを思い出しながら、口から紫煙を吐き出す。ヘリに背を預け苦笑を洩らし甲板を眺めていると、隣でまったく動かなくなったシャンクスが突然開口した。



「笑顔つきで『大好き』とか言われたら、たまったもんじゃねえな。まるで娘が成長した心境なんだが」

「何言ってんだ、お頭。娘と言うにはわりと歳が近いじゃねェか」

「ばか言え。おれはあいつが10代の頃から知ってんだぞ。親の心境にもなっちまう」

「………そうかい」



確かに頷けちまうな…。そんな自分にベックマンは苦笑を漏らす。ぷかり、紫煙で作られた輪が空に吐き出されると同時に、見張り台から大きな声で報告が入る。指す先には、クジラの船首をしたモビー・ディック号の影が見えていた。



◇   ◇   ◇




もしかしたら、あらかじめベックが白ひげの船に連絡を入れてくれていたのかもしれない。レッド・フォース号がモビー・ディック号に横付けされ、私が赤髪の船から白ひげの船に飛び移り甲板を見渡すと、そこには海賊王に一番近い男を始め各隊長が揃って出迎えてくれていた。皆、一様に笑って出迎えてくれている。



「よく帰ってきたない、名前。…おかえり」



一番隊の隊長マルコのその言葉を始めとして、ただ微笑んで出迎えてくれていた皆が駆け寄って来てくれる。マルコは私の頭を乱暴ながらも撫で、エースはいつものスキンシップの様に私を抱きしめる。他のみんなも頭を撫でたり背中を叩いたり、彼ら海賊ならではの出迎え方をしてくれていたが、その中で皆を一瞬にして静まりかえらせる声が低く響いた。「名前、」と厳かに呼び掛けるその声は、ほかの誰でもない、たしかに私を呼んでくれている。

一瞬にして静まりかえり、私に抱き着いていたエースは直ぐさま離れほかのみんなも徐々に離れていく。それを見ながら皆と目を合わせると、優しげな瞳で私を見ていた。しまいにはマルコに優しく背中を叩かれ、行けとでも言うように促される。

それにひとつ頷いてから、たしかに私を呼んだ低い声の主のもとを辿った。そこには、一番奥には海賊王に一番近い男、エドワード・ニューゲートが、いくつものチューブに繋がれながら鎮座している。変わりのない、元気なオヤジの姿に様々な感情が混じり合い、湧き上がった。



「っ、オヤジ…!!」



大きく広げる腕のなかに勢いよく飛び込んだ。オヤジのぬくもりがすぐそばで、触れ合う肌で感じられる。肌が触れ合って感じるぬくもりは、『生』を実感できる瞬間でもあり、すぐそばに信頼できるひとが、オヤジがいると実感できる。
…オヤジ、私ね、オヤジのこの広すぎる寛大な愛と、私に伝わってくる絶えることのないこの温もりが大好きなの。



「何だァ、名前?いつの間に泣き虫になりやがった?」

「……オヤジのまえではいつも泣き虫よ」

「グララララ…!そういやあそうだったなァ。お前はいつもこうして泣いてたもんだ」



背中に回された、オヤジの太い腕と大きな手。それを感じると私の涙腺は緩んでしまい、いつの間にか双眸からは雫が頬を伝って滑り落ちていた。――ねえ、オヤジ。私なんかを家族と、娘と言ってくれてありがとう。オヤジの娘になれて本当に嬉しかった。オヤジは本当の娘のように私を甘やかしていて、私もオヤジを本当の父親のように頼ってた。本当に本当に、ありがとう。

心の中で長い長い感謝を述べる。それを口に出すことなど恥ずかしくて出来ない。もしそれが出来た時は、オヤジの娘ではなくなる時か別れを告げる時。最後にぎゅっと力を入れて抱き着いたあと、シャンクスと同じようにオヤジの肩に手を置いて唇を頬に寄せた。私の頬には涙の筋が残ったまま。


オヤジと皆が笑っていたことをオヤジの頬から唇を離したとき知る。ちらりと見えたレッド・フォース号でシャンクスやベック、ミホークが笑っていたことも。



「オヤジも、皆も大好きよ」



ふわりと自然に表情が綻ぶ。
だって、みんなは大切な家族なんだもの


prev next

「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -