大きな手は私を包んでくれて、

優しい言葉は私を慰めてくれて、

力強い双眸は私に勇気をくれた。

さいごに向けた笑顔はとても美しかった。

あのひとも、わたしを愛しているといった――





クハハハ……信じるも信じねェも、お前ェ次第だ。




「さっさと準備ができねェのか…?」



ミホークと別れ、七武海の部屋を手配しているだろう班に向かう途中、歩いている私に不意に飛び込んだ低いそれ。ぴたりとその場に立ち止まりその声の発信源を探っていると、それは曲がり角の向こうからする。その低い声は確かに聞いたことがあるもので。しかし、あいつの声だと分かりつつも違えばいいと願いながら震える声で謝っている海兵の声がするそこへ向かう。自然と眉が寄るのを分かりながら廊下を曲がってみれば、私の視界に飛び込んだのは黒く分厚いロングコートの大きな背。そこから覗ける向こう側では、海兵の首には金色の鉤爪が回されていた。
まったく、こいつは……。大きな溜息をひとつ吐き出す。鉤爪を回された海兵はちらりと私を覗くことが出来たのか、強張って慌てていたその表情は、どこか嬉しそうに緩む。この男もそれに気が付いたのか、ゆっくりと振り返った。葉巻の煙が漂う。



「テメェ……」

「『疾風』。…クロコダイル、そこらへんの海兵捕まえてなにやってるつもり?」

「クハハハハ…暇潰しだ」



吹いた風はクロコダイルの腕を絡み取り、それによって海兵の首に回されていた鉤爪が外され彼は自由になる。振り向くと同時に半身反らして私を向いたクロコダイルのそこから見えた海兵は、敬礼をして礼を述べてから慌ただしく去ってしまった。その礼によりクロコダイルは再び海兵を向くが、見たときには既に背中を向けている。つまらないとでも言う様に溜息をひとつ吐くクロコダイルに、私の方こそまた溜息を吐き出したくなった。
暇潰しで準備の邪魔をされるなんて堪ったもんじゃない。それを伝えるかのようにキッときつく睨むが、そう言えばこの男にその様なことをしてても無駄だと言うことに後で気付く。反抗すれば反抗するほど、この男は構うことをすっかり忘れていた。睥睨した後見せたにやりと、不穏な笑みを見てそれを思い出す。ああ、私なんて愚かなことを。

なにか構われる前に、とクロコダイルに背を向けてこの場から素早く去ろうとするが、背後から首に鉤爪を回され身動きが出来なくなる。「うっ」と一瞬息の詰まる声を漏らしながら、背後に感じるクロコダイルの体温に手遅れだと思い知る。すぐ上を見上げれば、不敵な笑みを浮かべるクロコダイルの顔。自分の馬鹿。今度は己に対し溜息を吐く。油断し過ぎた。



「つれねェな、名前…」

「私は忙しいの。というかクロコダイル、随分と早いお着きじゃないの。既に七武海が3人も来て、こっちは大慌てよ」

「いいザマじゃねェか」

「……いつもぎりぎりに来る貴方が珍しいわね」

「クハハハ…!お前に会いに来たんだ。喜べ」



耳に口を近付けられ、その薄い唇から漏れる低い声。それすらも鬱陶しい。だが逃げ出そうとすれば、首に回された鉤爪の先端が首に食い込んで、そこから流れた血は筋を残す。「誰が」と素気なく返したところで、この男は楽しそうにその独特の笑い声を上げるだけだ。本当、私はなぜこんな男にぺらぺらと話してしまったのだろう。教える気など到底なかったというのに、なぜ私は話してしまったのだろう。過去の自分を激しく恨む。

――だが。と見方を変える。この男、クロコダイルは私の『それ』を弱みにして色々と着け込んでくることは有るが、それを決して露見をしようとしない。そして、



「ひとつ、警告しておく」



露見するそれとは反対に、時たまこうして忠告をくれるのだ。アラバスタでこいつがどんな横行をして悪だと分かっていても、こうして私に情報を与えて、警告してくれる所を見るとどうも根っからの悪には見えない。警告しておくと告げたクロコダイルは、再び私の耳元に唇を近付ける。それは先程のような悪戯としてのものではなく、誰にも聞かれぬように、聞き耳を立てられぬ様にとまるで警戒している声音。
空いていたもう片方の手で顎を掴まれ、少しだが上を向かされる。遠視で見ればただじゃれあっているようにしか見えないだろうが、話している内容でじゃれ合っているなど到底有り得ない。耳元に唇を寄せたせいで遥か長身のクロコダイルは背中を曲げ屈む。そのせいで鉤爪がきゅっと首に食い込み、脳は鈍い痛みの信号を発した。

痛い、と批難の声を上げようとした時に発せられた言葉。低い声が耳朶に響く。



「あいつにゃ……ドフラミンゴの野郎には気をつけろ。もうここに来てるだろ…」



クロコダイルの口から発せられた名前。それは今日の任務、海賊討伐時に勝手に海軍船に乗り込んでいた男の名。確かにあいつは、口に出さなくとも私の昔を探ろうとはしていたみたいだが、そんなのにまんまと引っ掛かる私ではない。ドンキホーテが怪しい事など最初から承知で接していたのだ。つまり、だ。これはクロコダイルの優しさなのだろうが、その優しさ私にはいらぬもの。

しかし、何故クロコダイルは時たまこうして私を気に掛けるのだろうか。こいつは私のことが嫌いな筈だ。会えば会ったで睨みつけ威嚇してくるし、私が話し掛けたところでこいつは(わざとなのかは分からないが)反応しないことが多い。私が嫌いなら面と向かって言って欲しいし、こうした忠告もいらない。私が嫌いならば近付かなければいいものを。眉根を寄せ私の表情は自然と剣呑さを帯びる。その私の表情とは反対に、クロコダイルの声音はそれは楽しそうに、しかし何処か複雑さを含みながら言葉を紡いだ。



「あいつァ何を企んでるか分かったもんじゃねェ。…昔を知られたくねェんなら、あいつにゃ近付くな。昔から調べてやがるぜ、あいつァ」

「…………………」

「おれにしたような失態は犯すんじゃねェぞ、クハハハ…」



耳元で響くクロコダイルの低い笑い声を訊きながら、顎に添えられていた手を振り解き首から血が流れるのも構わず鉤手も振り解く。ちりっと横一文字に奔った鋭い痛みと流れる血。つう、と首筋に血が流れるのを感じながらクロコダイルと僅かな間を開け今度は向き合った。笑みを浮かべていたはずの口許は、その表情はぴくりとも動かず無表情を浮かべ、そして振り解かれた鉤爪をちらりと横目で見ては首筋を流れる血に視線が動く。振り解かれた右手は黒いスラックスのポケットに入れられた。
そんなクロコダイルを真っ直ぐ見上げ「絶っっっ対にしないわ」と力強く言えば、彼は再び笑い出す。私がクロコダイルから遠退いても、クロコダイルはコツ、と革靴を鳴らし近付いてきた。そして徐々に距離は縮められ、空いていた筈の間はなくなり、私のすぐ眼前にはクロコダイルの黒いベスト。視線を上に上げれば妖艶に笑む悪人面。

明らかな怪訝を顔に表し何故私に忠告をするのか、そんな情報を与えるのか視線のみで訴える。伝わらぬと思っていたが、頭の良いクロコダイルには伝わったらしく、スラックスのポケットに入れていた右手を出して私の首元へ持って行った。大きな手に掴まれた首。薄らと流れる血を親指で拭い首元から離したかと思いきや、指についた血をぺろりと舐め上げる鰐。
わけが分からない。



「おれの情報網を甘く見てんじゃねェ」

「そういうことじゃないわ。何で、私にその情報を教えてくれるかってことよ。貴方、私のこと嫌いなはずでしょう」

「おれがお前ェを嫌う?」



その言葉に、滅多に表情を崩さないクロコダイルの目が見開いた。だが、すぐにその表情は消え去り代わりに愉快なそれへと変わる。再び鉤爪が伸びて来て、愉快に笑い出すクロコダイルに気を取られ油断していた私は再びその鉤爪に捕まってしまった。向き合う様にして引き寄せられ、振り解こうと暴れてみると今度は別のところに横一文字の傷が奔る。無駄だと言わんばかりにクロコダイルは私の髪を掴み、無理矢理上を向かせた。突然の痛みに声が漏れる。



「い…っ、」

「クハハハ!面白ェこと言うじゃねェか、名前。……忘れたか?お前にさっき言ったじゃねェか、」

「っ、るさいわね」

「おれは、お前に会いに来たってなァ」



瞳に映り込んだのは、いつもより真面目なクロコダイルの表情。だが、それは一瞬で、刹那のうちに消え去った。まるで私に悟られまいとするかのように。その真面目な表情のクロコダイルに驚き瞠目すると、彼は言ったあと直ぐに鉤爪を離し私に背を向けて去ってしまった。――――一体、クロコダイルは本当に何を言いたかったのだろうか。ドンキホーテには気をつけろ?それだけならばこんな早くに来なくてもいいはずだ。…あまり分からない男だ、サー・クロコダイルは。



◇   ◇   ◇




「よォ、ワニ野郎。お熱いじゃねェか」

「………黙れ」



クロコダイルが背を向けて名前の下を去ったすぐ後、彼女も背を向けて別の場所へと去って行った。それから暫くしないうちに、部屋の準備が出来るまでの待機部屋として宛がわれた部屋へ戻り葉巻をふかしていると先程、話しの意中であった人物が不気味な笑い声を上げながら部屋に入って来る。クロコダイルの座る向かいのソファにどかりと座り込みながら、足を組みまるで先程の様子を見ていたとでも言うような口調で言った。クロコダイルはドフラミンゴを睨むかの様に一瞥すると、ドフラミンゴから離れるようにソファから立ち上がり窓辺へ向かう。

開け放たれた窓枠へ腰を乗せ、紫煙を漂わせながら外を眺めるクロコダイルを、ドフラミンゴは口許を不穏に歪ませながら見ていた。ぴり、と空気が張り詰めたような堅い雰囲気が流れている。ドフラミンゴと視線を合わせない無表情のクロコダイル、大してクロコダイルを不敵な笑みで見るドフラミンゴ。両極端の二人には沈黙が流れていたが、それを堂々破ったのは、がちゃりと開いた扉の音だ。
今の雰囲気にそぐわない、軽い扉の音と共に二人の視線はそこに向けられた。この雰囲気をぶち壊し入って来て二人の目に映ったのは、背中に黒刀を背負った鷹の目の姿だった。漂う堅苦しい空気にぴくりと眉を動かし異変を感じつつも、敢えてそれを口に出すことはせずに空いているソファへと腰を掛けた。



「なァ、鷹の目。名前って女を知ってるか?」

「………知らん」

「フッフッフ!嘘はいけねェぜ、鷹の目ェ。知り合いだろ、テメェらはあの女と」

「だったらどうした。海兵と知り合いで何か不都合でもあるというのか」



伏せていた瞼が開き、金の鋭い、その名の通り鷹のような瞳がドフラミンゴを射抜く。瞳こそは見えないが、紫のそのサングラスとかちりと合うとドフラミンゴは更に不敵な笑みを零した。その笑みは何処か遊ばれているような感覚に陥り、それを素早く感じたミホークは呆れたようにひとつ溜息を吐き出す。窓枠に腰を乗せていたクロコダイルは傍観を決め込み、すぱと葉巻を吸いながら二人の遣り取りをただ見ていた。



「不都合?ンなもんあるわけねェさ。テメェらが誰と仲良くしようがおれには関係ねェ。ただ、おれは知りてェんだよ、あの女の過去を」

「……過去?そんなものがあるのか、あやつには」

「フフ、フフフフッ!惚けちゃいけねェなァ、鷹の目よォ。テメェ知ってる筈だろ?あの女の過去を。…ワニ野郎、テメェも知ってる筈だぜ」

「……………」



傍観を決め込んだクロコダイルにも飛び火し、紫のサングラスはミホークの後ろの窓枠に腰を置くクロコダイルに向けられた。ミホークは肩越しにちらりと鰐を一瞥するが、クロコダイルは明らかな怒気を孕む表情でドフラミンゴを見返している。金の瞳でクロコダイルに何もするな、告げるな、と伝えているが果たしてそれが伝わっているのかは分からない。クロコダイルは一度もミホークを見ていないからだ。
だがクロコダイルは、ひとつ盛大に溜息を吐き出すと窓枠に置いていた腰を上げ、先程ミホークが入って来たばかりの扉を開ける。「どうしたワニ野郎」と背後からのドフラミンゴの声に、肩越しに顧みては紫煙を漂わせながら低い声で言う。



「テメェの知ったこっちゃねェ……どこに行こうがおれの勝手だろうが」



バタン!と強く閉じられた扉。

ドフラミンゴは独特の不敵な笑い声を上げ「つれねェ野郎だなァ」と至極可笑しそうにクロコダイルの出て行った扉を見つめ、残された彼女の過去を知るミホークは深い溜息を吐き出し「愚かな者どもよ…」と小さく嘆きの呟きを上げた。

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