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「ふわ…」

耳がくすぐられる感触で目が覚めた。
あくびをしながら横を向くと、眼鏡を掛けた猫ちゃんの丸まった背中が鼻先に当たる。

「…んん…?」

…そうだ。引っ越したんだった。
真っ白な大きい枕に、手足を伸ばしてもはみ出ないほど広いベッド。
この寝室だけでもすごく広いし天井は高いし、壁の一つは全面が窓…朝ってこんなに部屋の中が明るくなるものなんだなぁ。
今までと住む世界が違いすぎて、引っ越して三日目の今も見慣れない。
まるでホテルに泊まってるみたい。実際ホテルなんてものに泊まったことはないけど…
でもリサイクル品のマットで寝ていた時よりもずっと寝心地はいい。おかげで毎日ぐっすり眠れている。
さあ、今日からまた仕事だ。
これからは一松さんも同じ職場にいるみたいだし、仕事と会社について色々聞こう。
改めて心に誓うと、起きた猫ちゃんがご飯をねだるようにすり寄ってきた。
そういえば一松さん、この子に眼鏡を贈る時に「今日からお前はエスパーニャンコだ」って言ってたなぁ。
エスパーニャンコ…可愛い名前だ。私もこれからはニャンコちゃんって呼ぼうっと。



身支度と朝食を済ませ、慣れない鍵にまたもたつき、ニャンコちゃんと一緒にマンションを出て歩いてすぐの職場へ。

「おはようございます。…あれ」

毎朝机で出迎えてくれるカラ松さんはおらず、ソファーの真ん中に一松さんが一人座っていた。
白いスーツにテーブルに置かれたハット。猫背でテレビを観ている。
ただどことなく、いつもより堂々とした雰囲気のような……

「…おはよう…杏里ちゃん?」
「お、おはようございます!一松さん、今日もお早いんですね」
「まあね…」

と言いながら一松さんは私を上から下まで眺め、最後に私の顔を見てにやりと笑った。その笑みにも何となく余裕を感じる。

「カラ松さんはどちらへ?」
「ちょっとヤボ用させてる」
「そうなんですか。今コーヒーをお淹れしますね」
「あーいいいい。それよりちょっと」

人差し指と中指でくいくいと招き、そのまま一松さんの左隣の席を示される。
えっと、そこに座れってことかな…

「はい」

戸惑いながらも一松さんの隣へ座ると、一瞬の間もなく肩を抱かれてぐいと引き寄せられた。
弾みで抱いていたニャンコちゃんが腕から飛び出していく。
て、ていうか、思いっきり体が密着してる…!
な、何だろう急に…一松さんってシャイな人だと思ってたけど、こういうのは平気なのかな…!?
何で…?これがセクハラってものなの?まさか一松さんがそんな…
恐る恐る一松さんを見ると、思っていたより顔が近くにあって慌てて目をそらした。その先でニャンコちゃんが机の陰から威嚇している。
一松さんの小さく笑う声が耳元で聞こえた。

「…突然だけど、杏里ちゃんに聞きたいことがあるんだよねえ…」
「は、はい!」
「施設で育ったってのはほんとなんだよね」
「!」

今まで会社の人に自分の生い立ちを話したことはなかったはずだけど…忘れてるだけかな。
それよりこの体勢とその質問に何の関係が…?と思いながら、「はい」と答えた。

「私が幼い頃に、両親は事故で亡くなったそうです。物心ついた時にはもう施設にいました」
「なるほど。引き取ってくれる人はいなかった?」
「そうですね…親戚がいるとは聞かされていませんし、養子縁組の話もありませんでした」
「まああそこの施設、根本が腐ってたからねえ…君の血縁者はほんとにいないみたいだけど」
「…え?」
「ほら」

右手でスーツの内ポケットを探ったかと思えば、雑に折り畳んだ紙束が取り出された。
視線で中を見るように促され、受け取ってゆっくり開く。
それは、私に関する書類だった。
生年月日や本名などの私の個人データ、両親の死亡理由、他の血縁者がいないこと…私の聞かされていたそのままの情報が、施設の印と一緒に記載されている。
そればかりでなく、私の知らなかった両親の事故の詳細や、私の名前も入った名簿リストまであった。
どうしてこんなものを一松さんが?

「あの…これは…」
「君のいた施設に行った時にもらってきた」
「…こんな簡単にもらえるものなんですか?」
「まあ…正確に言うと勝手に取ってきたんだけど。今あっちもドタバタしてるからバレないバレない」

バレたところで何もできないし、と一松さんは薄く笑った。
その強気な発言も謎を深める。

「勝手にって…それに、ドタバタしてるというのはどういう…?」
「んー…」

一松さんは言い淀んで、私ごと背もたれへ体を預けた。

「杏里ちゃん…施設での生活、けっこうひどかったんじゃない?」
「……それは…」

この歳になるまでお世話になっていたのだからと考えないようにしていたことを急に指摘され、どう返していいか分からず口ごもる。
一松さんは私の返事を待っているようだ。
どうしてそこまで知っているのかという疑問は置いておいて、私は口を開いた。

「で…も、食事と寝床はありました。学校にも行けましたし」
「義務教育まででしょ」
「はい…」
「一応義務教育までは行かせた事実がないと面倒だからねぇ…国の金だから自分らの懐は痛まないし支援金はもらえるし」
「…」
「で、卒業後はここに来るまで強制的に施設の紹介先で低賃金のバイト。恩を返せとか言われなかった?」
「…いえ、でも、私も自発的に」
「バイト生活も大変だったでしょ…しかもその時から給料のほとんどを施設に納めさせられて、支援金が出ない年齢になったとたんに用済みとばかりに追い出されて…」

いよいよ言葉を失った。
そうした経緯は表に決して出されない。声を上げてももみ消される。施設にいた人しか知らないはずのことだ。

「かわいそうにねえ…年頃のこんな可愛い子になんて仕打ち」

励ますようにぱたぱたと肩を叩かれる。
ちらりと横を見ると、「あの施設の実態、聞きたい?」と意味ありげな視線を投げかけられる。

「……はい」
「ま、薄々気付いてたとは思うけど…要するに、金目当てに身寄りのない子を引き取ってた悪徳施設だね。支援金なんかはほとんど職員の懐に入れてたっていう」
「……」
「ってのが分かったからチクっといたんだよねえ…あちらさん慌てちゃって。もうすぐ潰れるね、あれは」
「……一松さんは、施設のことを前からご存知だったんですか」
「いーやぁ…調べた。小物だし普通ならほっとくんだけど、杏里ちゃんがいたっていうから一応ね…」

造作もなくそう言う一松さん。
どういうことだろう。
私をほとんど無条件で高級マンションに住まわせたかと思えば、こうしていつの間にか私に関して調べられている。しかもかなり積極的に。
信用に値する人間かどうかを見られてる?
あの施設に加担してたんじゃないかって疑われてる…?
それにしたってここまで詳しく調べられてるなんて…しかもあの施設を小物と言いきる一松さんはただ者じゃない、と思う。
この会社や一松さんたちと私の身の上が何か関係あるのかな。
いや、絶対何かはあるよね。そうじゃないと今までの待遇もこの唐突な話も不可解すぎる。
私の知りたかったこの会社についての話が、ついに今から聞けるかもしれない。
でも、そうすると私はこれからどうなるんだろう……
不安が見抜かれたのか、「杏里ちゃん自身は問題ないよ」と一松さんが言う。

「君の言うことと事実が合ってるかどうか一応確認したかったのと、その気になればもっと調べられるってのを教えときたくて」
「え…」
「で…こっから肝心の話が二つ」

私の手から書類を抜き取ってテーブルへ放り投げた一松さんは、肩を抱く手を強めた。

「一つは君のこういった過去に関する記録を消させてもらうよって確認ね…あ、もう聞いてる?」
「………消、す?」
「まだ言われてなかったか。血縁者や親しい間柄の人間がいないとは言え、できるだけ出自不明の方が俺たちとしてはやりやすいんだよね…いざという時の不安要素が減るし」
「な、何のお話」
「二つ目ね」
「!?」

関連性の見えない話の展開に戸惑っていると、肩から頬へ移った手でくいと一松さんの方を向かせられた。

「こっちが本題かなぁ」

にまりと細くなる目に見つめられて緊張している隙に、もう片方の手は私の膝を包むように置かれる。
今日の一松さんは何だか強引だ。こんなにスキンシップも多いし…!

「あ、あの?」
「杏里ちゃん…俺の愛人にならない?」

あ…愛人!?
一松さんから、あの猫が好きでシャイな一松さんからこんな言葉が出てくるなんて…!
どういうこと…?何の話をしてたんだっけ…!
動揺して出てきたのは「恋人ではなく…?」というとんちんかんな言葉だった。

「あー…恋人でもいいよ?愛人の方が響きがエロいと思っただけ」
「えっ…と、え?」
「ね、どうかなぁ?」

いつの間にか腰に手を回されて、ソファーの上へ押し倒されそうになっている。

「がっつり一般人上がりだし、その方が杏里ちゃんのためになると思うんだよねぇ…」
「わ、私のため?どうしてですか?」
「いやいや、まさか自分の立場分かってないってことないでしょここまで来て…俺なら色々教えてあげるし」
「え?え…?」

立場…?一松さんの言葉の意味が全く分からない。
パートタイマーって、一番偉い人の愛人になるのが常識なんだっけ…!?
というか、今日の一松さんの話をほとんど理解できてない。
身辺調査されてたのと、愛人になるのとに何の関係が…?
この会社って、一松さんって一体…!?
混乱するうち、とうとう頭がソファーの肘置きへ乗せられ逃げられないようにされてしまった。
上から私の顔を覗き込む一松さんがにやりと不敵に笑う。
…絶対今日の一松さんは変だ。別人みたい。
それにニャンコちゃんが寄ってこないのもおかしい。
なおも迫る一松さんの体をどうにか押し返そうと、握り込まれていない片手で必死に抵抗する。

「あ、あ、あの!こういうのは良くないと思います!」
「えー何でぇ?杏里ちゃんの身も守られるしwin-winだと思うよ?」
「い、今まさに身が危ないと言いますか…あっカラ松さんがお帰りですよ!お帰りなさい!」

天の助け。
ちょうど衝立の向こうのドアが開く音がしたのだ。
お帰りなさいと言いつつ助けてほしいと期待を込めてドアの方へ首を反らす。
でも衝立の向こうから出てきたのは、白のスーツに白いハットを被った一松さんだった。

「………え………?」

思考が完全にストップした私は二人の一松さんを見比べるしかできなかった。混乱の極致だ。
二人の一松さんもお互いにしばらくにらみ合い、無言の時間が流れた。
やがて、部屋に入ってきた方の一松さんが口を開いた。すごく低い声だった。


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