×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -



ブラック会社。
私の勤める会社の名前だ。

会社で“ブラック”と言えば、度を越えた長時間の労働やパワハラが日常化している、そんなイメージ。
私はそれらを覚悟の上で会社の面接に臨んだ。
だけど入ってみれば、定時に上がれるし無理な仕事を押し付けられたりしないし、職場の人もいい人ばかりだった。想像してたブラックとは違っている。
ただ一つ、何関係の仕事をしているのか教えてくれない点を除いては。
パートの事務として雇われたものの、事務作業は簡単なデータ入力ぐらい。主に職場の美化というのが毎日の仕事になりつつある。
最近は一松さん(会社で一番偉い人。わけあって下の名前で呼んでる)も可愛がっている野良猫ちゃんのお世話も私の仕事だ。
重要な仕事は全て先輩のカラ松さんが対応していて、パソコン作業をしたり電話でどこかへ指示を出したりと忙しない。
その内容はどうしても教えてもらえず、任されもしないので下手に手伝うことができない。
入力データから察するに何かを発注してることだけは確かだけど…あくまで私が任されてる範囲だから、その全容は分からない。
この間一松さんが来た時に聞こうと思っていたのに、結局聞けずじまいだった。
この職場にも慣れてきたし、もう少し会社の業務に関わる仕事がしたいな。
今日の分のデータ入力も掃除もすっかり終えて、膝の上の猫ちゃんにブラッシングをしながらカラ松さんをちらりと見る。
カラ松さんは資料の作成中らしく、手元のバインダーをめくりながらパソコンに向かっている。

「あの、何か手伝うことはありませんか?」
「いや、大丈夫だ。俺の代わりにそいつと遊んでやってくれ。見かけによらず、悪戯なキティだからな…」

また断られてしまった。
猫と遊んでお給料をもらえるなんてめったにない好待遇だと思うけど、ちゃんと働いてないっていう罪悪感が日に日に募ってくる…!
カラ松さんには何度言ってもだめだったし、一松さんが来たら今度こそ直訴してみよう。
今日は金曜日だから今日中に来てもらえるとありがたいなぁ。

「…はい、きれいになったよ」

猫ちゃんのブラッシングを終えると、もっとやってと言わんばかりにブラシに手を伸ばされる。

「ふふふ、もっとやる?」

頭にゆっくりブラシを滑らせれば、気持ちいいのか目を閉じてリラックスモードになった。
一松さんに見せてあげたいなぁ。
きっとこの猫ちゃんみたいに目を細くしていっぱい撫でてあげるんだろうな。
猫を前にした一松さん、一番優しい顔をしてるから。

「お昼のニュースをお伝えします。……」

テレビにアナウンサーが映る。
やっとお昼だ。私の数少ない仕事の一つが始まる時間。
寝かけている猫ちゃんには申し訳ないけど膝からどいてもらって、私はミニキッチンへ向かう。
今からお昼ご飯作りだ。
会社に入ったばかりの頃、食事もままならないほど忙しかったカラ松さんを見かねて勝手に始めたご飯作り。
今では昼食だけでなく、軽い朝食や作りおきの夕食を用意しておくのも私の仕事の一つになっている。
そうしろとカラ松さんに指示されたわけではないけれど、コンビニ弁当よりいいと言われて嬉しかったし、役に立ってるって実感を持てるから。
今日はカラ松さんのリクエストでカツ丼だ。スーパーで買ったカツを卵でとじて、どんぶり鉢の白ご飯に乗せて出来上がり。
それをお盆で持っていくとカラ松さんの仕事の手が止まった。

「おお、リクエストを聞いてくれたのか…!」
「卵とじにしてみました。どうぞ」
「ありがとう。悪いなキティ、お前のじゃないんだ」
「こっちにおいで」

カツ丼と引き換えにカラ松さんの足元ですがっている猫ちゃんを抱えて猫用ベッドへ下ろす。
さて、私もお昼にしよう。
自分の机でご飯を口に運びながら何気なくテレビに目をやると、アカツカ港で弾丸の跡が発見されたというニュースを伝えていた。
比較的最近付けられたもので、不審な人影の目撃情報もあったみたい。
アカツカ港ってこの会社からそんなに離れてない場所だなぁ…
何があったんだろう。ちょっと怖いな。

「んん…デリシャスだ杏里ちゃん」
「ありがとうございます」
「コンビニフードより杏里ちゃんの作るご飯の方が、ラブ&ピースを感じるぜ…」
「ふふっ、そんな大げさな」

カツ丼を頬張るカラ松さんの口元にはご飯粒がついていて、緊張した気分が少し和む。
会社内は至って平和そのものだけど、外では私の想像もつかない怖いことが起きてたりするんだなぁ…
って。

「わぁぁ!」

びっくりして大声が出る。
いつの間にか、ドア前の衝立から一松さんが半分顔を覗かせていたのだ。
お化けかと思った…!いつ入ってきたんだろう?
私の叫びで猫ちゃんも毛を逆立て、カラ松さんもご飯を詰まらせていた。

「っ、げほっ…い、一松、びっくりするじゃないか…無言で入って来ないでくれ」
「……の…」
「え?」

しっかり見開いた目でカラ松さんを凝視している一松さんは、何かをぶつぶつと呟いているようだった。

「………の……が………って………」
「な、何だって?」

一松さんはぬるりと衝立から体を出し、何かを言いながらのろのろとカラ松さんに近付いていく。
そして目と鼻の先に立ちはだかり、カラ松さんをほぼ真上から見下ろした。

「…誰の…ご飯に…ラブだって……?」
「い…いつからいたんだブラザー」
「………」
「…杏里ちゃん、一松にもカツ丼を一つ。大至急だ」
「あっ、はい!ただ今!」
「鎮まれ一松…!」

亡霊のような一松さんに睨まれ神主のように猫じゃらしを振るカラ松さん。
そんな二人を部屋に残しカツ丼を作りにキッチンへ戻る。
良かった、おかわりの分残しておいて。一松さんお腹空いてたのかな…
手早く作ったカツ丼をお盆に載せて持っていくと、一松さんは微動だにせず、カラ松さんの猫じゃらしには代わりに猫ちゃんがじゃれついていて余計にややこしい状況になっていた。

「あの、お持ちしました。どうぞ」
「…」

初めてカラ松さんから視線を外しちらりとこっちを見た一松さんは、ぱっとカラ松さんの前から離れもごもごと「ありがと…」と鉢を受け取ってくれた。

「一松、次からは自分で言うんだ。こういうやり方は良くない」
「……」
「ンン?聞いてるのかいちま〜つ?」
「……」
「…フッ…」

さっきまで絡んでいたカラ松さんを最初からいなかったかのように無視し、ソファーに座って黙々とカツ丼を食べ始める一松さん。
カラ松さん微笑んでるけどいいのかなこれで…!?
この二人の関係って元からこういう不思議な感じなのかな。
だったら私が口を挟むことではないけど、力関係が逆なような…一応一松さんがトップらしいからこれで案外うまくやってるのかもしれない。
とりあえず問題は解決したみたいなので、私も自分のお昼ご飯に戻った。
ニュースを読むアナウンサーの声と猫が猫じゃらしと戯れる音だけがする静かな時間がしばらくの間続く。

「…ごちそうさまでした…」

そのうちに一松さんがご飯を食べ終わったようだ。
空の鉢の上にお箸を置いて両手を合わせている。
カラ松さんは一松さんよりも先に食べ終わっていて、テレビを何をするでもなく見ていた。

「……あのさ、」

一松さんが声を発した。
カラ松さんにかと思ったら私の方を見ている。慌ててご飯を飲み込んで「はい」と返事をした。

「いつもこんなの食べてんの」
「あ…お気に召しませんでしたか?すみません、今日はちょっと味が濃かったかなって自分でも…」
「あ、いや、そうじゃなくて…いつも、杏里ちゃんが作ってんの」
「はい、そうです」
「毎日?」
「そうですね。朝食や夜食を作る場合もあります」
「…お前が頼んだの?」
「杏里ちゃんが自主的にしてくれている」

最後の質問はカラ松さんに向けてだった。
それきり一松さんは黙って鉢を見つめている。
何かまずかったのかな…出しゃばりすぎたかな。
すると一松さんはずるずるとソファーの上で体育座りの形を取り、組んだ腕に顔を埋め「ずるい…」とくぐもった言葉を発した。

「ハハァ、羨ましいかいちまぁ〜つ?俺だけに許された特権」
「ぶっ殺すぞ」
「…というのはカラ松ジョークだが…出前は取らないし、外へ買いに行くのはタイムロスが生じる。杏里ちゃんに作ってもらうのが一番効率がいいからな」

言われてみればカラ松さんが出前を取ったところ見たとこないな。
自分で買いに行くより早い気がするけど、何でだろう。

「……」

一松さんはカラ松さんを無言で見ていたけれど、唐突に「決めた」と立ち上がった。

「俺も今日からここにいる」
「なっ…!」

トップだから働く場所を自由に変えれるんだな、と私は思ったけれど、カラ松さんの反応を見る限りそんなに簡単な話じゃないみたいだ。

「いや一松、お前はホームにいてもらわないと困るだろう!」
「何で。どこいたって同じでしょどうせ」
「一応あっちが俺達のホームだぞ?」
「じゃ今日からここをホームにすればいい」
「だ、第一だな、ここはお前が長く居座れるような場所じゃない。改装してはくれたが、それでもまだあばら屋のようなビルだ。トップのお前には相応しくない」
「じゃ両隣三軒くらい買い上げて拡張するか…」
「そんなことをしたらそこにいる人々が困るだろう。トップに立つ者として、横暴は良くないんじゃあないか…?」
「ハッ、横暴…?ボス決めの時に俺に押し付けて逃げた奴が何言ってんの?」
「ぐっ…」

カラ松さんにとっては痛い台詞だったらしい。
前に『押し付けられてトップになった』なんて言ってたのは本当のことなのかな、この様子だと…

「杏里ちゃんからも何か言ってやってくれないか…!」

押され気味のカラ松さんが助けを求めるように私を見る。

「一松までここに毎日いたら、一番気を遣うのは杏里ちゃんだ。これまで以上に自由が無くなってしまう」
「別にお前みたいに杏里ちゃんをこき使うわけじゃないし。見てるだけだし」
「俺だってこき使っているわけじゃ…ああ、このフリーダムな職場が一気に監視社会へと化すなんて…っ!」

色々言ってるけど、カラ松さんはきっと一松さんのいない環境の方がのびのびできるから反対してるんだろうな、ってちょっと思った。
それに…

「私は構いませんよ」

一松さんもここにいるってことは、何か新しい仕事が増えるかもしれないってことだ。
私の普段の姿を見て、できそうな仕事を割り振ってもらえるかも。
カラ松さんには悪いけど、私は一松さんと一緒に働けるのは大歓迎なのだ。
私の言葉に一松さんの表情は明るくなり、カラ松さんは「おお…!」と嘆きの声を上げた。

「グッバイ、マイフリーダム…!セラヴィ…!」
「…何か勘違いしてるみたいだけど、単なる思いつきじゃないから。チョロ松から聞いてない?十四松が仕留め損ねた」
「!なるほど、あれか…」

カラ松さんの表情が変わった。
この件についてすんなり納得させるような出来事があったらしい。
仕留め損ねた…商談に失敗、とか?
十四松さんは初めて聞く名前だ。きっと兄弟がたくさんいるんだなぁ。

「確かに、お前がここに出向く意味は有るわけか」
「そういうこと。拠点としてはここが一番近いし」
「ふむ、そういうことなら…」

一松さんがここを拠点にするのは決まったようだ。
カラ松さんはどこかへ電話をかけ、一松さんは何かを考えていた。
私はその隙にお昼ご飯を食べ終えた。午後からさっそく新しい仕事をもらえたりするかなぁ…

「…で、こっから本題だけど…杏里ちゃんってどこ住んでんの」

急な一松さんからの問いかけに、何だろうと思いつつ「アカツカ駅前のアパートです」と答える。
本題って、今日はこれを聞くために来たってことかな。

「ここまでは徒歩?」
「はい、大体二十分くらい…」
「ふーん…」

一松さんは電話を切ったカラ松さんと「遠いな」「状況も変わってきたし」と不思議な会話をし、「杏里ちゃん」と窓の側で手招きをした。
一松さんがここに来ることと私の住む場所と、何か関係があったりするのかな…出勤時間が早まるとか?
ともかく一松さんの隣へ行くと、「あっちの方だよね」と駅の方を指す。

「そうです。駅の東側にあります」
「急で悪いけど、もっと会社の近くに引っ越してもらえる?」
「近くですか…できればそうしたいんですが、家賃の関係ですぐにはちょっと…」

このビル自体は小さくて質素な見た目だけど、実はなかなかの一等地に建っている。
高層ビルが密集し、高級ホテルやブティックも建ち並ぶ街。
住む場所にしたって、とても私みたいなパート事務員が毎月の家賃を払えるようなところはない。
でも一松さんは「それは気にしないで」と事もなげに言った。

「こっちで出すから。どこがいい?」
「…え?どこって…」

こっちで出す、の意味もちゃんと飲み込めないまま、一松さんの示す窓の外を見渡した。
しばらくぼーっとしていて、一松さんの指の動きが超高級マンションばかりを指しているのに気付く。

「えっ…えっと…!」
「遠慮しなくていいよ…無理言ってるのこっちだし。杏里ちゃんの好きなとこで」
「す、好きと言われても…!」
「…あれは?一番近い」

一松さんが指したのは、会社の右向かいの方にあるマンション。
確かに会社まで徒歩一分って感じだけど…!

「ヒルズアカツカですか?でもあそこって、いわゆる億ションでは…」
「大丈夫。あれうちの会社の寮だから」
「いつから!?初耳だぞブラザー!」

私も億ションが会社の寮なんて話聞いたことないんだけど…!
でも一松さんは顔色一つ変えずに「今日から」と言い放った。

「マジなのか一松…!」
「いつものよろしく」
「…結構大変なんだぞ」
「お前にもそれなりの責任あるからね」

カラ松さんは一度頭を抱えて、「そうだな…」とパソコンに向かった。

「あ、あの…引っ越しの話は、本当に…?」
「うん。こっちでやっとくから杏里ちゃんは何もしなくていいよ」
「…ありがとうございます。でも、やっぱり申し訳ないというか、私パートですし、できれば身の丈に合った家の方が…それにあの、どうして引っ越しの必要が?」
「……えっと……そう、従業員の待遇改善の一部っていうか利益還元っていうか…実験的に…」
「でしたら、私より他の社員の方のほうがよろしいのではないかと…」
「……」

現実なのかどうかも実感できないまま質問を続けていると、一松さんは少し困ったようにちらちらと辺りを見て、何かに一瞬目を留め咳払いをした。

「そう、それは…あそこに住んでもらう代わりにって言っちゃなんだけど、杏里ちゃんに頼みたいことが」
「何でしょう?」
「あいつ…」

一松さんが目で示したのは猫ベッドで寝ている猫ちゃんだ。

「基本会社の周りうろうろしてるみたいだけど…そろそろちゃんと家で飼ってあげたくて。野良だと心配、だし」
「はい」
「杏里ちゃんが一番適任だと思うんだよね…俺の代わりに家でも面倒見てやってくんない?」
「それは喜んでお引き受けしますが…一松さんは猫を飼えないんですか?」
「…これ以上増やすなって言われてて…」
「そうなんですか」
「猫の世話してもらってる分も込みの待遇ってことで。…これでもだめ?」

一松さんはこの提案をどうしても譲りたくないらしい。
どうしてここまでしてもらえるのかさっぱり分からないけれど、さっきの『状況が変わった』という台詞と何か関係があるんだろうか。
会社のトップである一松さんから直々に引っ越してほしいと言われるって、私が思っているよりただ事じゃなかったりして…
逆にもしかすると事態は単純で、全ては猫のためなのかも。
一松さんって猫の慈善家なのかもしれない。野良猫を救うために私がいい隠れ蓑だったってことかな。
少し不安は覚えつつも、一松さんからの頼みを受け入れることにした。

「わ、わかりました!頑張ってこれからも働かせていただきます!」
「…ん」

よし、こうなったら死ぬまで一松さんと会社のために働こう!
一松さんの話が本当ならとんでもなく高い家賃がタダになるってことで……し、死ぬまでにこの恩を返せるかな…!

「あ…勝手に決めちゃったけど、杏里ちゃんあのマンションで良かった?」
「もちろんです。私が不満を言えるレベルではないです…!」
「なら良かった…新しく建ててもいいけど時間かかるしね」

今さらに恐ろしい言葉が聞こえた気がする。きっと一松さんジョークだ…!


高級マンションへのお引っ越しという話はジョークではなく、私が帰宅する頃にはマンションの鍵を渡された。
緊張しながら部屋へ入ると、住んだこともない広々とした空間。
窓の外には写真でしか見たことのないキラキラの夜景。
こじんまりした私の荷物が、引っ越し祝いと称した一松さんからの家具たちの真ん中で居心地悪そうにしている。

「…夢じゃなかった」

急展開すぎてちょっと疑ってたけど現実だ…!
私と一緒に帰ってきた猫ちゃんは最初こそ新居を警戒していたものの、お気に入りの猫ベッドがあるのを見つけてもうリラックスしていた。
これも引っ越し祝いとして贈られたメガネを掛けたまま、すっかり寝ている猫ちゃんがちょっとうらやましい。
あっ、引っ越しに動揺しすぎて結局仕事の話できてない!
家でも猫のお世話することになっただけだ…!
月曜日にちゃんと話はさせてもらうとして、この土日で新居に慣れないと。
タッチするだけで開く鍵なんて使ったことなくて、エントランスでもずいぶん時間かかっちゃったし。
…そういえばエントランスに掲げてあったプレート、ヒルズアカツカじゃなくてヒルズマツノになってた気もするけど…見間違いだよね?…
色々考えてしまう前に寝よう。


*前  次#


戻る