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面接室を出ると、ドアの側にいる黒服の男に促されて一人の女の子が壁際から立ち上がり、私とすれ違っていく。踊る時はさぞ表情豊かなのだろうと思わせる彫りの深い顔立ちの彼女がしている大きなリングのピアスは、獲物を狙う肉食獣の眼のようにきらりと光って目の端に消えた。
廊下には、さっきの彼女と同じような派手な成りをした面接待ちの女の子達が上等な長椅子にずらりと腰掛け、その最後尾には『ショーガール面接会場』の立て看板が佇んでいる。
女の子達の前を過ぎる私は、彼女達に比べて地味で垢抜けない装いだ。ダンス未経験の私が正攻法のアピールで通るとは思えなかったため、作戦として選んだ格好。
とはいえやり過ぎだったかもしれない。小さく虫食い穴の空いた長袖のカーディガンの袖口を手でそっと隠す。
しかし彼女達は私を気にかけることなく、時折面接室の閉まったドアを見やりながらご近所同士くすくすと秘密を共有している。どうも緊張感に欠けているが、黒服が注意をしないところを見ると噂は本当か。彼らは一般人には甘い、特に女性には。
しかし、一般人でない女性に対してはどうなのだろう。
廊下を曲がり、人目のない吹き抜けの階段の踊り場に出たところでやっと、張り詰めていた緊張感が少し緩んだ。
監視カメラはあるだろうが、一息つくぐらい怪しまれないはず。気疲れした風を装って手すりに軽く体を預ける。同時に高い天井を仰げば、昼間でも眩しいぐらいのシャンデリア。
改めて足元にも目を落とすと、一面毛羽立ち一つない深紅の絨毯。エレベーターを縁取る金の装飾が、その絨毯によく映えている。その隣でさりげなく飾られている花瓶にしても、それが乗る台座にしても、決して街の雑貨屋で売られているような量産品ではない。
単なる従業員用通路ではなく、VIPの接待や場合によっては取引にも使われるであろうこのカジノの“裏側”であればこそ、表の顔と同じくらい、いやそれ以上に細部に気を遣っているのだろう。そんな場所でショーガールの面接まで行うとは思わなかったが、彼らにとってはお客様になり得る一般人を丁重に扱うことが徹底されているらしい。その企業姿勢は素晴らしいものだと思う。
だが、マフィアはマフィア。犯罪組織であることに変わりはない。
黒服の一人が階下から上がって来るのが見え、何事もなかったように階段へ足を踏み出した。すれ違いざまに軽く頭を下げられ、私も挨拶を返す。
今の私の設定は、就職活動中でお金のない女だ。面接時にはショーの演者でなくともウェイトレスでも何でもいいから働きたい、ここは街で一番給料がいいから、などとアピールをしたが果たしてどう見えただろうか。
そこまで考えてため息をつく。無事に潜入出来るといいけれど。

念願の捜査官になってから日も浅く、経験値もないに等しい私が初めて一人で任された仕事が、この大都市の中枢に巣食うマフィアへの潜入捜査だとは予想もしていなかった。
彼らが裏社会にのさばり国の重要人物とも繋がりを持っているらしいことは知っていたので、いつかは捜査チームの一員になれたらと思ってはいたが、チームどころかいきなり一人きりだ。
先輩や上司からは「これが最終試験のようなもの」と言われたし、正直不安が大きい。この任務に失敗した先輩達は行方知れずになっているだとか、本当か分からない話もまことしやかに囁かれている。…新人潰しの任務ではないと信じたい。それとも失敗してもすぐに切れる人材を選んだということだろうか。
ともかく彼らに近いところへ潜入し、犯罪行為を証明する確たる証拠を得ることが私に課せられた使命だ。相手は相当やり手でなかなか尻尾を掴ませないと聞くが、どんな小さな手掛かりでもいい、少しずつでも彼らの足場を崩していけるのなら。そのための第一関門として、まずはこの面接に受かっていなければならない。
彼らの本拠地とも言えるこのカジノへ入り込むのが一番だと思ったので、タイミング良く募集をかけていたショーガールの面接会場へ潜り込んだ。広大なカジノ内部に併設されているショーレストランのウェイトレスは主にショーガールが兼任しているが、彼女らはダンサーとしてプライドの高い子が多く、ショー以外の仕事はサボりがちらしい。だからウェイトレス希望をアピールすればそちらで潜入出来るかもしれない。そう考えての作戦だった。
大丈夫だとは思うがもしこれがだめなら別の方法を考えなければ…しかし今のところ、次の作戦は思い付かない。上手くいくよう祈る。
階段を下りきりカジノの裏口から外へ出ると、頑強そうな警備員の次に温かな午後の太陽と柔らかな風が迎えてくれてほっとした。24時間営業のカジノは常に人工の光が瞬いていて、華やかな気分になることは確かだが、田舎育ちの私には疲れもする。
捜査官の試験に受かり、初めてこの街に来た時は環境の違いに戸惑った。夜も眠らないという表現がぴったりくる。特に街の顔とも言えるカジノには昼夜休みなく観光客が押し寄せ、住民にも浮かれた雰囲気が漂っている。
だからこそ警察や私達のような特殊捜査機関の者がしっかりしなければならない。他都市に比べ一般人の犯罪率は高くはないけれど、それとこれとは別の話だ。
決意も新たに自宅まで急ぎ歩く私の側を、今も何人もの酔っ払いが通り過ぎていく。そんなカジノ周辺の絶えることのないざわめきから離れ、入り組んだ細い裏通りへ入った。
後をつけられていないことを確かめつつ、ひっそり佇む小さなパン屋で明日の朝食を買う。ここのパン屋は年老いた夫婦が二人きりでやっていて、空気が穏やかで何となく故郷を思い出す。
大きなパン屋の紙袋を抱えて一人暮らしのアパートへ戻ってくると、しんとしたワンルームで固定電話の赤いランプが点滅していた。本部からだろうか。
すぐにボタンを押すとしばしの静寂の後、ぼそぼそとした低い声が流れ出てきた。聞き覚えがある。この声は面接会場で聞いた。
しかしはっきり聞き取れなかったので一旦停止し、スピーカーにぴったり耳を付けてもう一度再生する。

『…えっと…名字名前さんの番号で合ってる?えー…今日の面接結果、ウェイトレスで採用…です。明日の午後二時に今日と同じ部屋に来て下さい。あと…あー必要な物…ストッキングあれば持ってきて。以上』

二回聞き直した後、思わず電話の前へ座り込んだ。第一関門突破だ。
一緒に床にへたりこんだ紙袋の中から、ドーナツの詰め合わせパックがこぼれ出てきた。何も考えずそのビニール包装を破り、一個取ってかぶりつく。六個入りのそれは面接で相対したあの六人のように、同じものでそれぞれ違う味をしている。
面接を突破出来るかひやひやしていたのは、面接官がよりにもよってトップの六人だったからというのもある。
彼らは六つ子の兄弟だ。事前に顔とそれぞれの特徴は知らされていたが、いざ長机を前に並ぶ六つの同じ顔を目にすると自分の錯覚かとも思った。
あの六人の中で最も発言数の少なかった彼、一松とか言ったか。今の電話の声の主だが、面接時はなぜか机に乗っていた猫を撫でているだけで、彼からはろくに質問もされなかった。彼が電話を掛けてきたということは、明日待っているのは彼ということだろうか。
黙々と全部のドーナツを食べ終えてしまった私は、明日の準備をして早々に寝ることにした。対策を考えるのは明日の朝、頭がすっきりしている時にしよう。空になったビニール袋をくしゃくしゃと畳む音が部屋に響いた。



相応の覚悟をもって迎えた潜入捜査一日目はあっけないものだった。
面接会場で待っていたのは松野一松ただ一人。二人だけで改めて簡単な自己紹介を済ませた後、普通にウェイトレスとしての研修が始められた。
こういうのは下っ端に任せるものではないだろうか…こちらがボロを出すのを待ち構えている可能性もあるため、気は抜けなかったが。
彼はマニュアルに目を落としたまま、相変わらずのぼそぼそとした声で説明をしていった。ネクタイをきっちり締めていないのは、身だしなみを整える時間がない程忙しいからだろうか、それとも彼の性格だろうか。結ばないネクタイに果たして意味はあるのか。
気になって目線を向かわせると、彼が不意に目を上げた。

「ここまでで質問ある?」
「いえ。特にありません」
「そう。…あ、うち観光客多いんだけど、名字さん何か外国語話せる?」
「いくつか、簡単な挨拶程度であれば。複雑な会話は難しいです」
「それで充分だけどね、大抵こっちに合わせてくれるから…聞いてみただけ」
「そうなんですか」
「あとたまにいるんだけど、ウェイトレスに手出してくる奴。うちそういう店じゃないからきっぱり断ってくれていい」
「分かりました」
「しつこいようだったらその辺にいる奴か俺呼んで」
「はい。一松さんは主にレストラン側にいらっしゃるんですか?」
「あー…まあ、色々任されてるけど、大体レストランの方見回ってる」
「そうなんですね。ありがとうございます」

彼らの普段の行動範囲も徐々に把握していかなければならない。どうやらしばらくの間は彼が私の教育係らしいので、まずは彼との距離を詰めることを考えよう。
次はバックに案内すると言うので着いていく。部屋を出て一階まで下り、表の喧騒が微かに漏れ聞こえるスタッフルームに辿り着いた。
松野一松の後からドアを抜けると、広いフリースペースとロッカールームへ続く通路とで空間が二つに分かれていた。
フリースペースで喋っていたダンサー衣装の女の子達が口を一瞬止め、お疲れ様でーすと甘ったるい声を飛ばす。彼はそちらに目もくれずああともうんともつかないような返事をした。私も一応彼女らに向かって頭を下げる。それっきり女の子達はお喋りに戻り、私は奥の女子ロッカールームの前へと案内された。今日から使ってと渡されたのは番号の付いた鍵。

「ロッカーの中に制服入ってるから、一回着てまた出てきてくれる?」
「分かりました」
「次、レストランの説明するから…」
「はい」

ロッカールームもさすがに広い。番号通りに並んでいたので、自分のロッカーを見付けるのには手間取らなかった。
キィ、と小さく音を立てて開いた中には、ウェイトレスの制服がハンガーに掛けられて入っていた。白いシンプルな五分袖のブラウスにマットな黒のミニスカート。肩紐付きのエプロンも同じく黒だが、金色の留め具のあるベルトが付いていて一見ワンピースのようにも見える。靴もロッカーに入っていた。
昨日面接で諸々のサイズを聞かれたのはそういうことか。ということは、面接の時点で採用は決定していたのだろうか。
制服を着てみると、サイズは間違いないがエプロンの胸元が思ったより開いていて胸が強調されるような形になった。こういうのを着るのは初めてだが、着方は合っているのだろうか。スカートも結構短い上、プリーツがないので少し動きづらい。早く慣れなければ捜査に影響が出そうだ。靴のヒールが高くないのがまだ幸いか。
ロッカールームを出ると、松野一松は女の子達に捕まり輪の中に入れられていた。お世辞にも楽しそうには見えなかったので、「お待たせしました」と声を掛ける。彼はすぐさま一歩引いた。

「じゃ、来たから…」
「えーもうー?」
「一松さん全然お喋りしてくんないじゃん」
「いや…仕事中だから…」
「あはは、まじめー」
「てかネクタイ締めてない人に言われたくないんですけどぉ」
「あははは言えてる〜!」
「…君らも仕事してね…」
「してまーす!」
「がんばりまーす!」

敬礼をしながらきゃはは、と笑う彼女達は目の前の男がマフィアだと知っているのだろうか。しかし、今の彼のような態度だとこうなるのも仕方ないかもしれない。女には甘い、か。少なくとも彼に関しては微妙に語弊がある気がする。
眠そうな目で私を促し、彼は外へ出た。疲れたようなため息が聞こえる。

「ダンサーの管理も一松さんが?」
「え、ああ…いや、ダンサーは…あいつ」

松野一松がちらと横に視線を動かしたのを追えば、彼と同じ顔の男が向こうから歩いてきていた。ダンサーの女の子数人をはべらせて楽しそうに。

「…あれ、一松今から?」

その男がこちらに気付いたので頭を下げた。緑を基調にした服とピアス、眼鏡からして、三男の松野チョロ松だろう。
松野一松はまた、ああともうんとも取れる返事をした。彼の癖のようだ。

「まあタイミングいいかもね。ちょうど終わったとこだし」
「あそ…」
「えーっと、新人ウェイトレスの名字さんだっけ?よろしくね、僕松野チョロ松」
「はい。名字名前と申します。よろしくお願いいたします」

松野チョロ松は心なしか私の胸の辺りを重点的に見て「いいねー!似合ってるね!」と屈託なく笑い、それじゃ、と女の子を引き連れて去って行った。

「…ああいう目で見てくる奴には気を付けてってことで」

反対方向へゆらりと歩き出した彼に私も続く。

「チョロ松さんとも何かあったら、一松さんに報告した方がいいですか?」
「ああいうのがタイプなら俺は口出さないけど。一応やめとけばとは言っとく」
「皆さんは、女性には優しいとお聞きしましたが」
「そう見える?」

今日一日であまり視線を合わさなかった松野一松が、自分から私に向き合った。
黒いマスクの上の口元がにやりと歪む。この人はこういう笑い方をするのか。

「少なくとも、一松さんはそう見えます」
「…あそう」

興をそがれる答えだったのか、彼は元の無表情に戻ってしまった。物言わぬ紫のピアスが光る。
松野チョロ松はともかく、この人に取り入るのは難しそうだ。これから一番接触が多くなるのは彼だろうから、地道にやっていくしかない。

「そういえば、制服の着方はこれで合っているのでしょうか。初めて着たもので、分からなかったのですが」

意外にも彼はわざわざ立ち止まって私の後ろ姿まで確認した。一瞥で終わるかと思っていた。

「多分合ってる。みんなそんな感じ」
「あの…新人の分際で差し出がましいようですが、こういう制服だとお客様に勘違いもされやすいのでは」

これまた意外に怒る様子はなく、歩きながら「ああ…」と口を開いてくれた。

「ダンサーが兼任でやるんだから、多少セクシーな方が絶対いいって、あいつが」

見もせず親指で差した『あいつ』とは松野チョロ松のことだろう。

「それにうちのボスも乗っかって」
「ボスとは?」
「おそ松。面接にいた赤い奴」

驚いた。こうも堂々と自身の、マフィアのボスをそのままに呼ぶのか。私以外の前でもボスと呼んでいるのだろうか、それとも私だからか…
人知れず挑戦状を突き付けられた気がして気持ちが引き締まるが、そんなことはおくびにも出さない。

「一松さんはこれに反対されたんですか?」
「……」
「分かりました」
「何が。言っとくけど動きにくそうとは言ったから」
「反対されたんですか?」
「はいここレストランね」

ショーは終わった後らしいが、それでも客は半分程残っていた。
見習いのプレートを胸に付け、研修で教わった通りに接客などを行う。
その間、松野一松は点在している警備員代わりの黒服達と同じように、目立たない隅の壁際でさりげなく場を監視し……と思いきや目をつぶっていた。彼はいつもああなのかと先輩ウェイトレスに聞けば、大抵眠そうだと返ってくる。
現場での仕事は数時間で終了となった。「とりあえず今日はこんな感じで」とまだ眠そうな黒マスクが近寄ってくる。

「やれそう?」
「はい、何とか」
「じゃ明日からのシフト決めて今日は終わり」

フリースペースでシフト決めの最中、雑談混じりに彼らのカジノでの役割を聞き出す。
彼と松野チョロ松は主にショーレストラン側を任されており、他の四人はカジノ側でディーラーやマネージャーをしているようだ。マフィアのトップがディーラーをしている、とは少し想像しがたいところもあるけれど、彼らは何もせず椅子にふんぞり返っているよりも、客と遊ぶ方が好きなのだという。

「一松さんはディーラーはされないのですか?」
「前はやってたけど、レストランが出来たからこっちに移った。みんなあっちやりたいって言うし」
「ディーラー、本当はやりたかったんですか?」
「…別に。どっちでもいい」
「チョロ松さんはショーの演出もされてて楽しそうでしたね」
「あれはただの女好きだから」

松野チョロ松に取り入った方が早いかもしれないと考えていると、彼は無言を違う方向に取ったのかまた「お勧めしない」と言った。

「お兄さんへの信用がないんですね」
「信用ならないのを信用してる」
「…ふふっ」

不覚にも素の笑いがこぼれた。先輩が見たら任務中の自覚が足りないと言われるだろうか。
しかし彼はずっと笑顔のなかった私が笑ったことに、ほんの少し気を良くしたようだった。さっきとは違う柔らかな笑みがうっすらと口元に浮かび、目元が和らぐ。

「…それじゃ、お疲れ」
「お疲れ様でした」

制服を着替えカジノを出る。
今日最後のやり取りで、少し彼に親近感を持ってもらえたかもしれない。このわずかな隙から崩していけたらいいのだけど。
帰り道、報告書の内容を考えながらパン屋に寄った。賞味期限が明日だからと牛乳をおまけしてもらい、窓ガラスに映る私の顔がほころぶ。明日からは松野一松の前でもっと笑ってみようか。



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