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今日は朝から大忙しだ。
なんていってもこのお屋敷で仮面舞踏会が行われる日なんだから。
今年はどうしても人手が足りないらしく、ろくに女中経験のない田舎村出身の私でも雇ってもらえた。
お屋敷の女中の見習いの使い走り…そんな身分どころではあるけれど、お仕事を頂けるだけありがたい。
それにもし今回の働きぶりが認められれば、正式にお屋敷の女中見習いとして雇っていただけるかもしれない。だから頑張らないと。
私の仕事は主に女中たちが待機する部屋にいて、女中から指示された雑務をこなすことだ。
薪を取りに行ったり買い出しに行ったり、舞踏会のための備品などを管理したりする。女中たちのご飯を作るのも仕事の一つ。
同時に色んな役をこなさなければならなくて大変だ。一回でも失敗したらお小言が飛んでくる。
そんなわけで、舞踏会が始まるまで私は動き通しだった。
やっと日が沈み舞踏会が幕を開け、大広間でオーケストラが演奏を始めた頃、ようやく一時の休息が得られた。
女中たちもみんな大広間へ行ってしまっている。私は何かあった時にすぐ動けるように、女中部屋で待機。
料理の残りをお皿にのせて一人静かに遅い夕食をとっていた時、部屋の勝手口をコンコンと叩く音がした。
誰だろう、頼んでいた物はもう全部届いたはず。緩んでいた首のスカーフを結び直し、戸口に立つ。

「はい、どなた?」

古びた木製のドアをぎいと開けると、今夜の舞踏会に出るらしい貴族風のなりをした男の人が、雲に隠れた月を背に立っていた。

「あのう、ここは女中部屋の入り口です。お客様は正門から…」
「ああ、いやその、客じゃないんだが…」
「お客様ではないのですか」

こんなに立派な服を着てらっしゃるのに。
不思議に思って首をかしげた私を見て、その男性は落ち着き払ってこう言った。

「実は、飼っていたカラスがそちらに逃げ込んだようなんだが」
「はあ」
「探したいので、入れてもらえるとありがたい」
「…」

カラスが逃げ込んできたなんて報告は入ってない。
今日は事前許可されたペット以外は門前払いだし、もしその話が本当なら真っ先に下っ端である私が駆り出されていただろう。舞踏会の混乱状態がこの部屋まで筒抜けになっていたはず。
そんな見え透いた嘘をやけに自信ありげに言うので、怪しさと面白さが相まって思わず吹き出してしまった。

「な、何かおかしいか?」
「いえ、カラスが逃げ込んだなんて、ふふっ…」
「……バレてしまったか…」

あっさりと嘘を認めたのでまた笑ってしまった。この人、高貴な空気を身にまとっているわりにとても素直だ。

「本当はどういったご用事で?秘密の恋人との逢瀬ですか」
「いや、そういうわけでもない…フッ、そうだったら良かったがな」

髪をかき上げる仕草は、ナルシストな雰囲気も感じさせる。

「ただ…そう、この美しい夜に甘美な音色に誘われた…といったところだ」
「それで女中勝手口から?」
「…まあな」
「面白い方ですね」
「面白い?」

きょとんとした顔に慌てて「申し訳ございません」と頭を下げる。
この人の親しみやすい雰囲気に流されて馴れ馴れしい口をきいてしまった。これでは女中失格だ。
しかし、その人は「どうして謝るんだ?」とますますきょとんとしていた。心の広い方なのか、鈍い方なのか…

「…その、どういう理由があろうと招待客以外の方は入れてはいけないことになっているんです」
「そうか…」
「はい」

さっきまでの堂々とした態度から急にしゅんとした様子になり、私も少し気分が沈んでしまう。

「申し訳ございません…」
「いや、いいんだ。君は職務を果たしているだけだからな」
「ご理解いただいてありがとうございます」
「そうか、ここも駄目か…」

恐らく聞かせるつもりはなかっただろう小さな呟きを耳が拾う。
この人、寂しい人なのかもしれない。

「…あの、大広間にはご案内できませんが…」
「ん?」
「ちょうど使われていない仮面があるんです。私の分なんですけど、もう使うことはなさそうですから」

良かったらこれを、と何かの獣を模した仮面を手渡した。
もし大広間に来ることがあればこれをつけるようにと女中頭に渡された仮面。
お屋敷の倉庫から使われていない古い物を持ってきたらしく、この舞踏会が終われば捨てておけと言われた。それならこの人にあげても差し支えないだろう。

「少しでも仮面舞踏会の気分を味わえたらいいんですが」
「いいのか?もらっても」
「はい。良い月夜を」

仮面を見ていたその人はふっとニヒルに笑った。
そして、女の私よりも優美な手つきで胸につけているバラの造花をするりと抜き取る。

「レディ、君の優しさに感謝を」

そう言ってバラに口付け、私に差し出した。

「…い、いえ…その…もったいなきお言葉……」

レディなんて言われたこともレディのように扱われたこともない私は、まごまごしながらバラを受け取った。顔が熱い。
では、と低い声でささやかれ目を上げた時には、もうその人の姿は見えなくなっていた。
手の中のバラが、今の出来事が夢ではなかったことを告げている。

「…不思議な人」

遠くの大広間からは違う曲が聞こえてきている。
椅子に座り直し、手のバラを見つめながら音楽に聞き惚れた。



女中頭に呼び出しを受け、お屋敷をクビになったのは翌日の午後のことだった。
舞踏会から帰る途中のお客様が数名、何者かに襲われたというのだ。
その何者かは仮面をつけていた、と襲われたお客様の一人が証言したらしい。そのデザインを図に起こしてみると、昨夜私があの人に手渡した仮面と一致したのだ。
自分は何も知らない、言いつけ通り誰もお屋敷に入れなかった、という私の言い分は通用しなかった。
物知らずの田舎娘が“あいつら”の手引きをした――
“あいつら”の意味も教えてもらえず、事実とは異なるそんな理由で私は居場所をなくしてしまった。
来る時と同じく鞄一つで、叩き出されるように放り出された私は途方に暮れた。
こうなってしまっては元いた村へ戻る他ない。“あの”村に。
けれど……
小さな鞄をぎゅっと抱きしめた。
しょうがない、しょうがないんだ。私には他に生きていける場所がない。
噂はすぐに広がるだろうから、この街ではもう雇ってもらえないだろう。心なしか通り過ぎる人々の目も冷たく感じて、逃げるようにお屋敷の前を去った。
お情けでお給金は少し頂けたので、街を出る前に少し食料を買った。
後はひたすら、村への道に沿って歩くだけ。村からの迎えの馬車など、私に来るわけがない。

街の外れの丘まで出た時には、すっかり辺りは暗くなっていた。振り返り、三日月の細い明かりに照らされる街並みを見下ろす。
お屋敷へのお勤めの話が来た時にはとうとうチャンスを掴んだと思ったけれど、やはり私には縁のない場所だったのかもしれない。
さて…この辺りは治安は悪くないはずだから、野宿をしても大丈夫だと思うけれど…
どこかに一夜を明かせるようなところはないかと丘を下り、林に入りかけた時、背後に誰かの気配を感じた。

「…見つけた…!」

切羽詰まった声。
追いはぎか何かかと身構えながら振り向いた。
木々の影を体に落としてはいるけれど、間違いなく昨日訪ねて来たあの男の人だった。

「あ、貴方は…どうしてここに」
「君を探していた」

体重がないかのように足音も立てず私に近づいたその人は、私の右手を取り強く握った。

「すまない、君に…謝りたくて」
「謝る?どうして…」
「トド…弟から聞いた。昨日の事件で君が責任を取らされたと」
「……」
「俺のせいだ」

悲痛な面持ちで謝罪の言葉を口にするその人を見て、私は口を開いた。

「貴方は、無事だったんですね」
「無事?」
「いえ、もしかしたら、貴方から仮面を奪った人が起こした事件なのかと思って」
「……」
「でもその言い方だと、貴方が犯人なんですね」

その人はますます悲しそうに、目元をしかめて笑った。

「……仕方がないんだ、こうしないと生きていけない」
「貴方は快楽殺人者なんですか?」

怖くはなかった。例えここで殺されたとしても、このまま帰って残りの人生を過ごすのとどっちみち同じようなものだろう。
しかし、彼はきょとんとした顔をした。この顔を見るのは三度目。

「殺人?俺は…俺達は、人は滅多に殺さない。昨日の奴らも別に殺しちゃいないはずだが」
「…そういえば、襲われたと聞いただけでした」

まさか昨日の紳士は殺人狂だったのだろうか、なんて想像していたけれど、私が早とちりしただけだったようだ。
申し訳ありません、と頭を下げると「気にするな」と笑った。心の広い方のようだ。
なら、どうして人を襲ったのか……

「それで、話があるんだが」
「何でしょう」

質問をする前に話を進められた。
どうしてこんな場所にいるのかも分からないけれど、今はこの人の言葉を聞こう。

「俺のせいで君はせっかくの職を失った…君が真面目に働いていたことは、誰よりも俺が知っている」
「…」
「だから、君さえ良ければ俺の元で働いてはくれないか」

罪滅ぼしになるかは分からないが、と続ける彼に、私は目を丸くした。

「…どうして、私を」
「実は兄弟と都会へ行く計画を立てている。この街より人間の多いところだ。君には俺達の窓口になってほしい…何分勝手が分からない者ばかりなのでな」
「そうなのですか」
「君はしっかりしているし物怖じもしないからちょうどいい」

確かにこの人を見る限り、少し浮世離れしている印象を受ける。

「それと、俺は目がいい。昨日も見えたが……君の首」

冷たい指先でそっと首元をなぞられ、心臓がひやりとする。
上手くスカーフで首回りを隠していたつもりだけれど、この人は本当に目がいいらしい。
私の元いた場所…これから帰る場所で受けていた扱いを示す、鉄さびで擦れた痕。

「君がこの街に来た経緯も噂で聞いた」
「……」
「君は、俺達と似ている」
「似ている?私が、貴方のような方と…?」
「謂れなき迫害を受ける者…といったところか、あまり名誉なことではないが」

そう言って、新たなバラの造花をスカーフに差してくれた。造花なのになぜかいい匂いがする。

「貴方は…」
「戻るつもりなんだろう」
「え…ええ、それしかありませんから」
「なら尚さら放ってはおけない」
「私は一日でクビになった女中見習いですよ?それに、昨日会ったばかりの人間をそんなに簡単に登用してもいいんですか」
「都会云々はおまけのようなものだ。一番の理由は、そうだな…」

彼はなぜか楽しそうに笑った。
ダンスをする時のように私の右手を恭しく持ち上げた彼のマントが、風もないのにふわりとひらめく。

「覚えておいてくれ」

月が雲に隠れた闇の中で、彼の目が赤く光った。

「吸血鬼は意外と義理堅い」
「きゅう、けつき」

どこかぼんやりした頭で繰り返すと、彼は頷いた。

「おっと、君の名を聞くのを忘れていた」
「…杏里、です」
「俺はカラマトゥ・マツノフ、栄誉あるマツノフ家の末裔…杏里、俺と共に来てくれるだろう?」

先程まで私の気持ちを汲むような紳士的な態度だったかと思えば、もう自信ありげな強引さを見せている。
本当に変わった人。

「…ふふふ」
「な、何かおかしかったか?」
「いいえ……私で良ければお仕えさせてください、カラマトゥ様」
「フッ…そう言うと思っていた」

杏里、と繋がれた右手を引かれ彼の腕の中へ飛び込んだ。
夜の闇に似たマントの中へくるまれた私は、『きゅうけつき』とは何なのだろうと考えていた。
やはり私は物知らずの田舎娘なのかもしれない。結局、彼が人を襲った理由も分からないままにさらわれようとしているのだから。
それでも元の生活に戻るよりは、この正体不明の男に身を預けてみようと思う。
スカーフにつけられた造花がいよいよ濃い香りを漂わせ、私はゆっくりと瞼を閉じていった。



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