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ゴールデンチケット6


杏里ちゃんの置いたお皿を追ってテーブルの上に飛び乗る。行儀が悪いけど今は猫の体だからしょうがない。

「はい、お待たせしました」
「…おお」

俺の分の丸いオムライスボールには、いつの間にやらケチャップで猫の顔が描かれている。

「ヒゲの部分がちょっと潰れちゃった。ごめんね」
「全然。完璧」

これは記録に残しておかねばならない。ポケットからスマホを取り出す。
俺と共に小さくなったスマホでも充分カメラの画面に収めることができた。

「ふふっ、尻尾が揺れてる…!」
「あ?…どこ見てんの。やらし」
「やら…!揺れてるから見ちゃうの!」
「はいはい」
「う、そういうこと言うならオムライスはあげません」
「…それはやだ」

危うくご馳走を取り上げられそうになった。調子に乗るのはやめよう。
反省の意を示すため正座して恐る恐る杏里ちゃんを見上げたら、くすくす笑いながらアイス用のプラスチックのスプーンを持たせてくれた。

「わーぴったりだ!よかった、アイスのスプーン残ってて」
「…食べていい?」
「どうぞ」
「いただきます」

出来るだけ猫を崩さないようスプーンを差し入れ、いい匂いの立ち上るほかほかのご飯を一口。

「私も食べようっと。いただきます」
「……」

空腹に染み渡るうまさ。
杏里ちゃんの手料理は何度か食べたことあるけど、なんか今日のは特にうまい。
幸せの味がする。…なんて、柄にもない。

「ご飯食べたら何しよっか」
「杏里ちゃんは何したい?」
「んー、そうだなぁ…一松くんが元に戻るまでは家にいない?街中で急に戻っちゃったら、みんなびっくりすると思うし」
「じゃあそうしよう」

公共の場で全裸になるのも厭わない俺にとっちゃ別に構わない話だけど、杏里ちゃんの協調性に合わせることにする。
杏里ちゃんといると自分まで真人間になった気がするな。
本質はクズのままですけどね。せっかく杏里ちゃんが描いてくれたケチャップの猫もためらいなく食べるような奴ですから。
でも猫は写真に撮ったから問題ないし。
一粒残らずオムライスを平らげてスプーンを置いた。

「ごちそうさまでした」
「お腹いっぱい?」
「うん。満足」
「よかった。一松くん、何でも全部食べてくれるから作りがいあるよー」

それは杏里ちゃんの作った物だからですけど。
自分のクズさを棚に上げてもやっぱ杏里ちゃんは嫁にしたい。思うだけならタダだし。
ほどなく食べ終わった杏里ちゃんが、俺の分も合わせて空のお皿を台所へ持っていく。
その背中を見ながら、でかいティッシュ箱から一枚ティッシュを引き抜き口回りを拭う。
そして両手で丸めたティッシュを思い切り上に放り投げ、尻尾でスマッシュを打った。狙い通りゴミ箱へ落ちていく。
人間の時より自分の体を上手く使いこなせてる気がする。いい食後の運動になった。

「…ふあ」

腹一杯になったら眠くなってきた。
テーブルの上からベッドへ飛び移り枕元に寝転ぶ。ここ落ち着く。
アザラシと俺の作った猫に見下ろされ、またあくびを一つ。
目の前にある自分の丸めた尻尾がだんだんぼやけていく。
あー瞼が閉じてきた。


「……あれ?一松くん?…寝ちゃった?」

遠くから杏里ちゃんの優しい声が聞こえてくる。

「あ、寝てる…可愛い」

温かい手が首元から背中に流れていく感触。

「私もお昼寝しよう。おやすみ、いちまつくん……、……」

あと一言何か言われたような気がする。
けど、睡魔に負けて聞き取れなかった。
起きたら聞いてみよう。……



腕が何かに当たった感覚から、ゆっくりと意識が戻ってくる。
クソ松かと思い目も開けず蹴ろうとしたが、間一髪で今の状況を思い出した。
恐る恐る瞼を上げる。
超至近距離に杏里ちゃんの寝顔があった。

「………!!」

やべえ叫ぶとこだった。
えっ、え…ち、近い…近い…!!
明らかに兄弟とは違う種類の体温を感じる。どこがどう違うかと聞かれりゃあれだけどとにかく全然違う。
てか杏里ちゃん小さくなってね?いや、俺が元に戻っただけか、寝てる間に。
あ、腕は…?今どこに当たった?
胸だったら死のう。
目線だけ下にずらすと、どうやら杏里ちゃんの手に当たっていただけのようだった。セーフ。でも死ぬ。
パニックを起こしかけている心をどうにかなだめ、そっと杏里ちゃんから距離を取ろうとする。
が、壁と杏里ちゃんに挟まれてヘタに動けない。
やばい…無防備に寝る杏里ちゃんの可愛さは知ってたけどこんなに近いともはや凶器。
俺の心臓を砕きに来てるとしか思えないし、俺というゴミ人間が数センチの距離で寝そべってていい存在じゃない。
でも変に動いて杏里ちゃんの眠りを妨げるのは避けたい。
あいつらなら爆竹置こうが目覚めないのに、杏里ちゃん相手だとすぐ詰む気がする。
ど、どうすれば…!?

「んぅ…」
「…っ」

杏里ちゃんが身じろぎ、もう消えたはずの耳と尻尾がぶわりと震える。
今の何だクソエロい声…!
分かった拷問だ。童貞に対する拷問。
筋金入りのクソ童貞風情が何もできないと思ってんだろ。こんな状況を前にして。その通りですけどね。
でも童貞と言えど俺は杏里ちゃんの彼氏なわけで。
ドラマやら漫画やらのカップルはこういう時、相手が寝てるのをいいことに何か色々やってるけど。
ああいうのを世のリア充共もやってるとすると俺もやっていいはず…た、多分。
とりあえず完全に俺の方を向いて寝ている杏里ちゃんの背に手を回してみることにした。
軽く五分はかかった。寿命が二年ぐらい縮んだ気がする。
さて…こっからだ。
杏里ちゃんはまだ寝てる。起きる気配なし。
柔らかい前髪は横に流れておでこが見えてるし、頬は全面さらけ出されてるし、ちょっと微笑んでるようにも見えるぷるぷるの唇は綺麗に閉じられている。
どこに、するか。
自分の唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえた。
しかし杏里ちゃんは起きない。
ギリギリ背中に触れてる手が、緊張でぴくりと動く。
するなら今。今しかない。
…でもほんとに今か?杏里ちゃんが起きたらどうする?
寝てる間にするなんて最低とか思われたら?それで嫌われたら?
ていうか、杏里ちゃんからしたいとか言われたことないよな。
杏里ちゃんは俺のような底辺と一緒にいるにも関わらずいつも嫌な顔一つ見せないけど、俺が普段抱えているような欲望をぶつけてきたことなんかない。
今日だってそうだった。
杏里ちゃんは恥ずかしがりだからだと思ってたけど、本当は俺にそんなこと最初から求めてないからじゃないの。
ほとんど友達の時のままの関係で、これからずっと飽きるまでの単なる暇潰しで。
俺がしたいと思っているあれこれは杏里ちゃんにとって、トト子ちゃんが言う“作りたくない既成事実”と同じかもしれない。
俺と付き合っていた事実は、いつか杏里ちゃんの黒歴史になるかもしれない。
背中に回した手すら大罪な気がしてきた。
あーあークズが彼女できたってだけで早まっちゃってとんだ早漏野郎だわ。
童貞で早漏とかどうすんの?死ぬしかないね。死のう。
このまま天に召されればいいと目を閉じたら、また杏里ちゃんが身じろいだ気配がして目を開けた。
杏里ちゃんはさらに近付いてきて、固まった俺の胸に頭を寄せる。

「……ん……」
「…」
「…………ん……?…」

起きたっぽい。このタイミングで。
まだ手もどけてないのに。死にたい。

「……」

俺の腕の中でうとうとしていた杏里ちゃんが、ゆっくり目線を上に向けていく。
目が合った。寝たふりしてりゃ良かった。

「……」
「……」
「……おはよ」
「……!」

覚醒したらしい杏里ちゃんの目がぱっと見開く。
そしてそっと、両手で顔を下半分隠した。

「…い、いつから起きてたの…?」
「…ちょっと前から」
「〜〜〜〜っ」

顔が全部隠れた。恥ずかしがってんのこれ?
そういうの見せられるとほら、虐めたくなるからやめてほしい。
背中に回していたことに気付かれないよう手を戻し、杏里ちゃんの手首を軽く握る。こういうのはできるのに。

「何で隠すの」
「だ、だって…!こんな近くで見られてるの、なんか…髪だってぐしゃぐしゃだし…!」
「近付いて来たの杏里ちゃんの方だからね」
「う…!え、そうなの…?」
「見てほしくて来たんじゃないの?ん?」
「ち、違うよー…!一松くんが急に意地悪だ…」

照れ隠しか、空いている手で前髪を何度も直している。
俺なんかの言葉にうろたえてる杏里ちゃんはどうしようもなく可愛い。
もういいや、今はこういう杏里ちゃん見れるだけでこのクズには充分ご褒美だから。所詮底辺が世のリア充達と同じステージに立とうとするのがおこがましい。

「…あ、一松くん元に戻ってたんだね」
「気付くの遅くない?」

また目と目が合って、どちらからともなく笑った。
そう、こういうので充分です。俺みたいなのには。



俺達が寝てる間に数時間は経っていたらしい。
時計を見るともう夕方。券の期限切れが近付いている。
野良猫達がご飯を求めて街をうろつく時間なので、杏里ちゃん家の近くのスーパーで猫缶を買い、夕方の散歩に行くことにした。
公園や路地裏をゆっくり回っていたら日が暮れた。
今は夕飯の匂いやテレビの音が漏れ聞こえる中を、空き缶のゴミ片手に杏里ちゃんの家まで送り届ける途中。

「言い残したわがまま、ない?」
「うーん…」

隣を歩く杏里ちゃんは考え込んでいる。

「無理して考えなくていいけど」
「…なんかごめんね、あんまり期待に応えられなくて」

落ち込ませてしまった。普通の会話で落ち込ませるってさすがクズ。
言ってる場合じゃねぇ。

「…いや…な、ないならないで大丈夫…」
「……………あ、あのね、全然ないわけじゃ、ないんだけど…」
「何?」
「うん…」
「何でもいいよ」
「うん…」
「ああそう…俺みたいなクズに言ったところでどうせできないでしょって?まあ間違いじゃないけど…金もないし」
「ち、違うよ!お金とかじゃなくて…その……」

さらに困らせてどうすんだ。さすがクズ。

「……いいよ、いつでも聞いてあげるから」

このフォローの遅さ。もっと早く言えっての。

「…一松くんは、今日こんなので良かった?いつものデートと変わらなかったけど…」
「いいよ。満足した」
「…そっか。満足かぁ」
「何。まだ満足してない?」
「ううん!そういうのじゃなくて……うん」

下を向いた杏里ちゃんの顔が、前から走って来る車のヘッドライトに照らされる。
杏里ちゃんを歩道側に引き寄せると、強く引きすぎたか杏里ちゃんが少しよろけたように見えた。
はずみで俺の服の裾を掴んだ無言の杏里ちゃんとどうすればいいか分からず立ち尽くす俺。
え…強引すぎた?
いやなんか今自分でもびっくりするぐらい普通に体引き寄せちゃったけど?煩悩出すぎだろ。
そういうの求めてない可能性をつい数時間前に考えてたとこなのに全く学習しねぇクズ…

「一松くん」

しんとした夜道に杏里ちゃんの声。

「最後のわがまま、言っていい?」
「…うん」

杏里ちゃんの手が少し震えたのが服から伝わってきた。


「………一松くんと、…っ……キスしたい」


空き缶がアスファルトにぶつかる音がした。


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