ゴールデンチケット5
デカパンが貸してくれたバスケットに入り、デカパンのラボから杏里ちゃんのアパートへと移動してきた。
今回の薬は放っておいても体は勝手に戻るらしい。
どういう仕組みかは知らないが、自動的に服も一緒に。
つまり杏里ちゃんの時のように、元の体に戻るためにわざわざラボまで出向く必要がないってことだ。
だったらデカパンのとこにいるより、誰にも邪魔されない場所にいたい。
となると杏里ちゃんの家がベスト。
デカパンの所からだと杏里ちゃん家より俺の家のが近いし、俺を持って移動させる分杏里ちゃんの負担になってしまう。が、俺の家は確実に邪魔が入る。
あいつらに今の体をいじられて終わりとか、そんなもったいないことはしたくない。
俺は杏里ちゃんのわがままでこうなってる。杏里ちゃんだけに堪能してもらうのが筋ってもんだろう。
杏里ちゃんも「今日は一松くんのための日だから」とゴミを調子に乗らせることを言って承諾してくれた。
バスケットの中で脱がないようにするのが大変だった。猫なら常に全裸でいいのに、人間はこういうとこがめんどくさい。
というわけで今。
杏里ちゃんのベッドの上にマジで置かれてた俺の分身や新入りのアザラシと共に、猫の身を満喫している。
何度か来たこともありすっかり見慣れた杏里ちゃんの部屋は体育館のように広く、何もかもがでかい。
「正座しないで楽にして」と言う杏里ちゃんももちろんでかい。
大きい杏里ちゃんは巨大ロボになって帰ってきたトト子ちゃんとはまた違う赴きの可愛さがある。
あの純真な笑顔をたたえたままの杏里ちゃんに踏まれたいしいたぶられたい。自由を奪われてもいいとすら思う。
ともかく家主の許可が出たので遠慮なくベッドの上へ猫よろしく寝転んだ。寝るのは猫の仕事。
顔を近付けたシーツからは杏里ちゃんと同じいい匂いがする。
非常に落ち着くし興奮してもいる。
変態か俺は。知ってたけど。
大体俺を真っ先にベッドに下ろした杏里ちゃんのせいなので、現状に関しては俺は悪くない。
「一松くん、ほら」
「!にゃっ」
「わー捕まっちゃった!本物の猫みたいだったよ!早いね一松くん、すごーい!」
目の前で振られた猫じゃらしのおもちゃを仕留めるだけで、杏里ちゃんがベタ褒めしてくれる。
猫としての仕事をまっとうしただけでこのご褒美。
「一松くんはどこを撫でたら嬉しいのかな」
「えっ?…あ、頭とか、背中も多分…」
「そうなんだー。よしよし」
しかも杏里ちゃんにとって今の俺は猫と同列らしく、惜しみなく体に触りまくってくれる。
猫最高。
戦利品の猫じゃらしを手にシーツの上に悠々と丸まる。
すると、俺を眺めていた杏里ちゃんと目が合った。
ここからだと目線がちょうど同じ高さになる。
親友達はいつもこの高さから杏里ちゃんを見てるのか。悪くない。
「私がちっちゃくなった時も、一松くんこんな感じで見てたんだね」
「…どんな感じ?」
「ちっちゃくて可愛い!」
「はいはい言うと思った。前も言ったけど、可愛いとか別にそういうタイプじゃないから俺」
「そんなことないよー。あっそうだ、撮って見せてあげる」
ごろごろ寝ているだけの俺から手を離し、杏里ちゃんが鞄を探り始めた。
安心する温もりが消えて少し寂しい。
「……」
体を軽く起こして杏里ちゃんを見つめる。
スマホが見つかったらしく、あったあったと言いながら杏里ちゃんがこっちを向く。
「…あははっ、一松くん構ってほしそうな顔してる」
「え、…してないし」
「うちのみーちゃんが構ってほしそうにしてる時とそっくりだったよ」
「…」
「えへへ、よしよし。構ってあげるねー」
構ってあげるねって、んだよそれ最高に興奮するなクソ。
間髪入れずに顎の下を柔らかな指で優しく撫でられ、ごろごろと音が鳴った。
杏里ちゃん超テクニシャン…
「あっ、これ動画にしておけばよかったなぁ。せっかく喉鳴らしてたのに」
カシャッとシャッター音がした後で杏里ちゃんが一人ごちている。
ほら、と見せられたスマホの画面には、俺が杏里ちゃんの指に懐柔されきっただらしない姿。
なんという辱しめ。いいね。
「撮影料取るよ」
「いくら?」
「百万」
「百万かぁ、これから払っていけるかな…お昼ご飯作るからチャラになったりしない?」
「しょうがねぇなぁ…それで手を打つか」
そういや昼飯がまだだった。意識しだすと腹が空く。
猫じゃらしをどけて二階建てのようなベッドから飛び下り、台所へ向かう杏里ちゃんの後を追う。
ひらひらと揺れる膝丈のスカートの裾に飛び付きたくなるのも猫の本能だろうか。
…今改めて気付いたが、杏里ちゃんは今日スカートをはいている。
別にあわよくばとか、そんな、ちっとも。
しかし足元にまとわりつきたくなるのもこれ猫の本能なわけだから。
その過程で何かが見えたりなんかしても不慮の事態というか。何かって何だよ。霊か?
そうね猫は霊が見えたりするって言うから杏里ちゃんを守るためになるべく近付い…
「一松くん何食べたい?」
急に杏里ちゃんが振り返ったので全身の毛が破裂した。
杏里ちゃんもびっくりしていた。
「わ、一松くん後ろにいたんだ!全然気配なかったからびっくりした」
「ね、猫はほら霊…っじゃなくて?忍者って言うし?」
「ふふふ、ほんとだね!一松くん忍者向いてそう」
「所詮闇がお似合いの人間ですから…」
「闇に暗躍する忍者ってかっこいいと思うよ!一松くんって神出鬼没なとこあるし、優秀な忍者になれそう」
「神出鬼没?」
「そう。ほら、私がジムの帰りに………」
忍務は達成できなかったが秘密は守られた。
喋りながら冷蔵庫の中を見ている杏里ちゃんから一度距離を取り、隣の棚を経由してミニ冷蔵庫の上へ飛び乗る。
ここなら料理する杏里ちゃんがどこにいても見ていられる。
「………あー、あったね。そんなこと」
「一松くんに助けてもらったお礼に『何でも願いを叶える券』作ったんだよね」
「そういやそうだった」
あの時はまだ杏里ちゃんと付き合えてなくて、券と引き換えに彼女になってもらうことを頼むか一瞬真剣に悩んだ。
結局しなかったけど、まさかほんとに付き合えるとは。
こうなるなんて誰が予想できただろうか。
今や立派に彼氏となって杏里ちゃんの部屋で二人きり。手作り料理を冷蔵庫の上で待つ幸せを味わえるなどと。冷蔵庫の上は余計だった。
「一松くん、卵とご飯あるからオムライスはどうかな」
「いいね」
「じゃあちょっと待っててください」
「はーい」
何がツボなのか未だに知らないが、杏里ちゃんがお気に入りらしい返答をする。
案の定くすくす笑いながらエプロンを着ける杏里ちゃん。あー…
クッソ可愛いな。
レンジでご飯を温める音、卵をかき混ぜる音と換気扇の音に紛れて、杏里ちゃんの小さな鼻歌が聞こえる。
家の台所でもよく見られる光景なのに、そこに立つ人が違うだけで特別なものに見えるのはなぜだろうか。
一瞬、本当に一瞬、杏里ちゃんと結婚している錯覚に陥る。
実際は俺は何もせず冷蔵庫の上にいるだけだし、体は縮んでいるし、ただの猫と変わらない存在になっている。
元の体に戻ったところで俺は猫以下の底辺になるだけなのに。
…で、さっき自分は何て思った?
杏里ちゃんの夫?旦那?
何馬鹿な夢見てんだか。己の浅ましさにヘドが出そうだ。
ニートを抜け出す気もないくせに。
ふと、いつまでこうしていられるのか、なんて思いまで頭をよぎってしまった。
どんよりした雲が脳内を埋め尽くしていくように思考がだんだん鈍ってゆく。
「あ、ちょっと失敗しちゃった」
薄焼き玉子の切れ端をつまみ食いする杏里ちゃんは可愛い。
「一松くんも食べる?」と俺を見上げた杏里ちゃんは、俺を取り巻く闇に気付いたのか、火を止めて冷蔵庫の前に来てくれた。
「どうしたの?」
「…別に」
「あ分かった、構われないからすねちゃったんだ」
俺を見下ろしてSっぽさを滲ませた杏里ちゃんの含み笑い。
興奮して闇とかどっか行った。
「違いますけど。杏里ちゃんに構われなくても俺生きていけるし」
「えー…そうなの?それはちょっと…寂しいかも」
何だよクソが最高に可愛いなクソが!!!!!
しょんぼりした顔でフライパンの前に戻ろうとする杏里ちゃんを慌てて引き留めて「う、嘘だから」と弁解する。どもった。
杏里ちゃんがかっこいいと言っていたあの俳優がドラマでやっていたような、スマートな引き留め方はやっぱりできない。
それでも杏里ちゃんはそんな俺のかっこ良くもなんともない一言で笑ってくれる。
「一松くん、またわがまま一個思いついたよ」
「どーぞ」
「一松くんは私にずっと構われること」
「何それ」
「ふふふ。一松くん寂しがっちゃうから」
寂しがるどころか杏里ちゃんに構われなくなったら死しか見えない。
「ずっとって、この先ずっと?」
「そうだよー」
「絶対途中で飽きる」
「そうかなぁ」
「そんなわがまま言うと後で後悔するよ」
「後で後悔って、意味が二重になってるね」
「今そこどうでもいいでしょ…」
「ふふふ。いいわがままだと思ったんだけどな。聞いてくれないの?」
「…聞くけど」
「やったー」
杏里ちゃんは料理が上手い。
器用にフライパンの上でご飯を玉子で巻いて、くるりと回転させてお皿に乗せる。
「一松くんこそ、いいのかな」
「何が」
「私にずっと構われて後悔しない?」
「全然」
「ほんとに?」
「ほんと」
「あの券がなくても、私のわがまま聞き放題になっちゃうかも」
「いいねそれ」
「いいの?」
小皿に俺の分らしい小さなオムライスが乗った。
オムライスっていうよりおにぎりだなこれ。超うまそう。
「一松くんとね、したいこといっぱいあるから」
今の一言で頭の中が食欲より別の欲一色になった。これだから童貞は…
杏里ちゃんもあんまり煽らないで欲しいよね。無自覚なんだろうけど。いやよく考えたら普通の台詞だった。
「今日中に全部できないから、今の内に一松くんを構う権利もらっておこうかなって」
「…そんなゴミみたいな権利、いつでもあげるよ」
「私にはゴミじゃないんだー」
「変なの」
「一松くんだってあの紙持っててくれたじゃん。ただのメモなのに」
「……それは、それだし」
上手く言い返せない。もし杏里ちゃんと口喧嘩したら勝てない気がする。
俺にとってはただのメモだろうが宝の一つ。だって杏里ちゃんと俺じゃそもそも人間としての価値が違うんだから。
そんなことを言っても言いくるめられるだろうことは、これまでの経験から予測できる。
仕方なしに話題を変えた。
「俺を構っても、別に楽しいこととかないと思うけど」
「そんなことないよ!一松くんとまた猫島も行きたいし、虎にも会いに行きたいし。あ、前話してた神松くんの猫王国で遊ぶのもいいかも!」
「猫王国はいいけど神松には絶対会わせない」
「えー、そうなの?」
「絶対だめ」
「んーとじゃあ、大学の授業に潜り込む遊びは?前におそ松くんたちと来てたよね」
「杏里ちゃんと一緒の授業なら」
「ふふ、そうだね。あ、学食も一緒に食べよう!」
「うん」
「そうだ、お花見も行きたいなぁ。海も行きたいし、お祭りとか、猫ちゃんたちとも一緒に紅葉狩りなんていいなぁ。お月見も……あれ?私けっこうわがままだね」
杏里ちゃんが盛り付けを終えた二人分のお皿を持ってリビングへ向かう。
俺も後を付いていく。
「…言ったでしょ、そういうのはわがままって言わない」
「そうかな」
例えばこの先もずっと俺みたいな社会のゴミを最優先してほしいとか、俺以外の男にはどうかなびかないでとか、そういうのがわがまま。
「じゃあ、これからもずっと構わせてね」
杏里ちゃんのわがままは俺の願いに近い。
「そんなのいつだって叶えてあげる」
*前 次#
戻る