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ゴールデンチケット1


屋根の上で手元の紙を見ては雲一つない空を仰ぎ、また手元の紙に目を落とす。ここ最近の悩みの種。
と言っても嫌な悩みじゃない。むしろ俺には贅沢すぎるぐらいの悩み。この紙は、一生ニートでいられる額の書かれた小切手や猫転換手術権と同じくらい価値のあるゴールデンチケットだ。
手描きの星と猫の絵に彩られた紙の中心には『この券で願い事を一つ叶えます』『一松くん専用』の文字が書かれている。杏里ちゃんの字。
俺は自分の名前をこんなに可愛く書かれたのを見たことがない。『一松』の『一』一つ取っても可愛い。
だからこの金券をただ眺めていたって問題なく暇が潰せるわけだが、この券を使った後でもその時間は失われはしないだろう。
というわけで、悩んでいる。
券が使えるのは一回限り。この奇跡レベルのチャンスに一体何を願おうか。
杏里ちゃんにして欲しいことが多すぎて絞りきれない。
一度ニート故の暇に任せて書き出してみたことがあったが、煩悩の数どころじゃなく、最終的に長い巻物になってしまい決められなかった。
杏里ちゃんが彼女になったことが既に奇跡だというのに己の欲深さときたら。嫌気が差したので巻物は親友達に細切れにしてもらって捨てた。
くだらない回想をため息と共に吐き捨て、雲の位置が微妙に変わっただけの空を仰ぎ見る。
あ、猫に見えるなあの雲。耳の形が薬局の側によくいる白猫に似てる。杏里ちゃん連れてまた会いに行こう。……杏里ちゃん今何してんのかな……杏里ちゃん………
突如背後からギターの音が聞こえ幸せな妄想がかき乱された。
振り返ると杏里ちゃんとは対極の存在がクソみたいな仕草でクソサングラスをずらしクソみたいな視線を送ってきた。妄想と直面している現実との落差が酷すぎて死ぬかと思った。

「だからお前も死ね」
「だからって何!?あっちょっ、ウェイトだ一松フレンズ…!」

呼んでもないのに親友が一匹やってきてクソサングラスを割った。いいぞ。
得意気にくわえてきたクソの破片をさっさと捨ててやり喉を撫でる。よくやった。杏里ちゃんの前でこういうことはしないし、こいつは本当に賢い。

「ええ…」
「チッ…まだいたのかよ」
「フフン、およそ五分前からいたぜブラザー?お前がサンシャインを浴びながら何かをシンキングしていたから、邪魔をしてはいけないと思って静かに見守っていた…フッ、シンキングタイムのBGMが入り用ならいつでも言ってくれ!」
「じゃ息止めといて」
「オーケイブラザー!任せ…え、息?」

どうやら勝手に死んでくれるらしいので放っておくとして、俺は今考えるべきことを真剣に考えなければ……
一瞬気がそれたのがいけなかったらしい。正面から吹いた微風に俺の手の中の希望がさらわれた。

「ア゛アッ!?」

ひらりと後ろへ流れた紙はクソ松の指に挟まれた。あああ危なかっ…

「フッ…安心しろブラザー、俺がしっかり受け止めてやったぜ…ンン?」

俺の杏里ちゃんが…!

「…お前…マジで…殺す…」
「えええ!?キャッチしたのにその形相!?というか何なんだこれ」
「あってめ、見んじゃねぇ…!」

急いで伸ばした手をひらりとかわされた。マジでこいつ殺す。

「…フッ…成る程、お前はこれで悩んでいたんだな」
「返して死ぬかすぐ死ぬかどっちか選べ」
「選択肢が死ぬしかない!?焦らなくともこれはお前に返すさ、ほら」

良かった、無事に帰ってきた。俺の杏里ちゃん。後でファブって陰干ししておこう。

「羨ましい話じゃないか…何を叶えてもらうんだ?」
「……まだ、決めてない」
「フッ、俺なら」
「聞いてない」
「永遠のラブを誓い合う」
「聞いてねぇっつってんのに…」

何が永遠のラブだ。つか永遠の愛ならとっくにあのブスと誓ってただろお前。あ?誓う前に枯れたっけ?どうでもいいか。
あークソ、どうでもいいこと思い出したせいでせっかくの杏里ちゃんの幻影がクソ松とブスで上塗りされてしまった。
あのわがまま放題はある意味クソ松とお似合いのカップルだったけど杏里ちゃんに比べたら月とすっぽんどころの話じゃ……はっ!
唐突に閃いた。券の使い道。
やべぇ。これだ。これしかない。天才。
一応カラ松のおかげで閃いたと言えなくもないから、前に十四松にもらってそのままになっていたポケットの中のドングリをあげたらえらく感激していた。橋本にゃーとかいうアイドルを前にしたチョロ松と同じくらいチョロい。
さて…そうと決まれば早速準備だ。
最近使い方を教えてもらったSNSアプリから、杏里ちゃんに空いてる日を聞く文章を打ち込む。できれば一日ずっと一緒にいれる日がいい。
しばらくして俺の送った文字の横に『既読』が出てきて、『来週の水曜日なら大丈夫』とメッセージが返ってきた。朝から約束を取り付けた。

『珍しいね!
一松くん早起きできる?』
『ニートの朝は早いから なめんな』
『ほんとかなぁ?って嘘だよー!
水曜日楽しみ!』

その後にキラキラした目の猫が笑っているイラストスタンプ。
多分杏里ちゃんも今スマホ見ながら笑ってんでしょうね。あー早く会いたい。会ってこの素晴らしい思いつきを早く実行に移したい。
ところでこの猫のスタンプはどうやって出すんだ…?後でトド松に聞こう。



待ちに待った水曜日、財布に券が入っているのを何度も確かめてから家を出た。
杏里ちゃんは待ち合わせ場所のカフェに近いらしく、『もう着きそう!』という一文がスタンプと共に送られてきた。
すかさず覚えたてのスタンプ機能を駆使し返信する。こんなの一生使わねえと思ってたのに今や絵だけで人とやり取りしているこの成長ぶり…いや絵で意志疎通図ってんのってむしろ古代人じゃねえの?どうでもいい。手を振る杏里ちゃんが店先に見える。

「一松くんおはよう!」
「おはよ」
「ふふ、ちゃんと起きれたね」
「は?余裕ですけど」
「朝ご飯食べた?」
「うん。杏里ちゃんは?」
「うーん、野菜ジュースだけ…」
「小食なの」
「そうだね。朝はあんまりお腹空かないんだ」
「ふーん。で昼にはお腹鳴るぐらい腹減るんでしょ」
「あっもう!何で覚えてるの!忘れてってばー!」

杏里ちゃんにとっては恥ずかしい思い出らしい。そういやその時も恥ずかしがってたような…?なぜか記憶が曖昧だ。
ともかく杏里ちゃんの恥じらう顔を凝視していたら、頬のふくれた顔で「もう」とお腹をつままれた。生きてて良かったし腹筋やめて良かった。
カフェに入った俺達は、窓際の四人掛けのテーブル席に案内された。朝の太陽が思い切り射し込んで来て干からびそうになる。
反対に、俺の向かいに座った杏里ちゃんはその柔らかそうな髪や頬や腕やらが光に包まれていて全体的に神々しい。まつ毛に光が溜まっていて瞬きする度に何かキラキラしたものを振りまいている気がする。そうかこれが星屑か。

「一松くん眩しくない?シェード下ろしてもらおうか?」
「どうぞそのままで…」
「日向ぼっこ中の猫みたいな顔してるよ、一松くん」

くすくす笑いながら杏里ちゃんがメニューを開いた。オレンジジュースを頼むらしい。今自然とクソ松思考になっていて危機を覚えた俺も適当に注文した。リア充御用達の店のメニューなんかよく分からないし。
まあ本音を言えばせっかくだしドリンクメニューの一番最後に乗ってたカップル専用ストローとか使いたかったけど。しかし券の使い所はそこじゃない。
運ばれてきたオレンジジュースを飲んでいる杏里ちゃんからは目を離さず、財布の中からそろそろと券を取り出した。
手汗で若干濡れた。最悪。

「…杏里ちゃん、これ」
「ん?あ!その券まだ持っててくれたんだ」
「いつ使おうか迷ってて…今日、使いたいんだけど」
「いいよ!一松くんの願い事は何ですか?」

オレンジジュースのストローをからりと回した杏里ちゃんへ、俺は満を持して口を開いた。

「今日一日、杏里ちゃんのわがまま何でも聞かせて」

これである。完璧。
カラ松のようにブスに顎で使われるのは死んでも御免だが、杏里ちゃんのわがままに付き合うとなるとわけが違う。
杏里ちゃんに合法的になぶられるという夢のような待遇を受けられる。杏里ちゃんは普通にしたいことを言ってくれればいいだけだから、大した負担にもならないだろう。
しかし杏里ちゃんは困ったように「え…?」と呟いた。

「それって、私だけが得になっちゃわない?」
「全然」
「一松くんへのお礼になるのかな…?」
「むしろ有り余るぐらい」
「有り余っちゃうの…?うーん、でも…」

杏里ちゃんは納得のいかない顔をしている。
杏里ちゃんにこき使われたいという俺の性癖を先に話しておくべきだっただろうか。
いや、万が一それで嫌われたら元も子もない。杏里ちゃんに罵倒されたりはしたいが完全に愛想を尽かされたいわけではないのだから。
何とか欲望の核は悟られずに誘導しなければ。

「…だって杏里ちゃん、わがまま言わないし。俺ニートだし、大して役に立たないどころか今も生き恥晒してるようなゴミだけど。でも、…か、彼女のわがままぐらい、聞いてやれないことないから」

杏里ちゃんは何とも言えない顔で俺を見ている。え…だめ…?
いやでもだって何でも願いを叶えてくれる券でしょこれ…もしかして高望みし過ぎた?底辺のクズが何一人前面してわがまま聞きたいっつってんだって?それそのまま言って下さい興奮するから。
すると杏里ちゃんは何も言わず席を立った。
思わぬ展開に心臓が止まりかけた俺をよそに、杏里ちゃんが俺の隣に移動してきて座る。あ、振られるとかじゃない…?よ、良かった…

「一松くん、私普段からけっこうわがまま言ってると思うんだけどな」
「…え、いつ?どれ?」
「……一松くんって本当に優しいよね」

杏里ちゃんが手汗まみれの俺の手をそっと握る。自分から滅多にこんなことしない杏里ちゃんが。心臓の動きが激しすぎて逆に死にかける。汗早く止まれ。体の水分よ枯渇しろ。
握られた手から湯気が立っているのも気にせず、杏里ちゃんが目の端を少し赤くして何かを言おうとしている。

「…わ、私ね、あの…その……い、一松くんがこうやって一緒にいてくれたりするだけですごく満足だから…だから一松くんに特別何かしてほしいとか、そんなに思わないんだけど、でもね、一松くんに何も期待してないからじゃないよ。もし不安にさせてたならごめんね。…でも、ちょっと遠慮してるとこはあったかも。自分勝手なこと言って、き、嫌われたくないもん……」
「へぁ」

よく分からない音が口から漏れた。
何?え?意味が分からない。可愛すぎて意味が分からない。可愛いなんてありふれた言葉では形容しきれない。俺の凡庸な頭には杏里ちゃんの尊さを表せる言葉がない。
いや多分そんな言葉今までこの世に存在してない。なぜなら杏里ちゃんの尊さに気付いたのは俺が歴史上初めてだからである。俺が杏里ちゃんの初彼氏だから。QED。
とりあえず自分を保つ為にテーブルに頭を何度か打ち付けた。「一松くん!?」という杏里ちゃんの声がまるで召される前の鐘の音のようだ。目の前が赤くなった。

「わああ一松くん血が出てるよ!ど、どうしよう…!」

俺の体を起こし俺を生き返らせおしぼりで俺の額を拭いてくれているこの素敵な女性を見て下さい。俺の彼女なんですよ。俺の。
無言で周りの客に念を飛ばしたがみんな遠巻きにしている。どうぞ二人きりの世界を楽しんで下さいってか。世界よありがとう。生まれて初めてこのクソみたいな世界に感謝した。

「あ、良かった、血止まったね…!」

ほっとした顔の杏里ちゃんの肩を両手でしっかり掴まえ真正面から見つめる。ちょっとびっくりしている。何だクソが可愛すぎかよクソが。いい加減にしろよクソが。

「杏里ちゃん急にそういうこと言わないで」
「え?…う、ごめん、重かった…?」
「全く。じゃなくて死ぬから。何か今まで味わったことのない幸福感に押し潰されて死にそうだったから。今」
「え、う、うん…」
「ちょっと罵倒して」
「ば、罵倒…?」
「底辺のクソ闇沼に浸りきってたのにいきなりカースト最上位かのような気分になって精神のバランス取れなくなったから。責任取って」
「前にもこんなことなかったっけ…」
「早く」
「えっと…一松くんの……えっと……く、クズっ」
「んなもんご褒美だろうが!!!!!自分の可愛さナメてんじゃねえぞアァ!!!??」
「一松くん怖い…」
「ごめんね死ぬからごめんね」

精神が真っ逆さまに暴落し無事元通りになったので杏里ちゃんから手を離し土下座した。俺にはこういうのがお似合いである。


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