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紙人形を拾った。
正確には動いて喋る十字型の概念である。
色は表が黄色で裏が灰色。名前を十四松と言う。プラスではなく十四松の『十』の形をしているのだとは本人から聞いた。

出会ったのは近所の公園にあるグラウンドのベンチだった。散歩をしてさて一休みと腰掛けようとした矢先、黄色の十字の紙らしきものが錆びた赤いベンチの背に干されているのを見つけたのだ。
大きい広告の一部が剥がれ落ちでもしたのだろうかと近付いて、「おなかすいた」と喋りだしたのにはびっくりした。辺りを見回しても人は私しかいない。

「喋るの?」
「ぼく十四松」

どうやらお腹が空きすぎて動けなくなっていたらしいので、散歩を切り上げ自宅に連れ帰った。
レトルトのものでカレーを作ってやれば、右の出っ張りに持ったスプーンで上の出っ張りの真ん中辺りへカレーライスを運んでいた。穴などない真っ平らな面へ、確実にカレーライスは吸い込まれていっていた。

「ごちそうさまでした!」

空のお皿を前に、恐らく腕である両横の出っ張りがしなやかにぱちんと合わされる。

「ちょっと聞いてもいい?」
「なーに?」
「君は何なの?」
「ぼく十四松」
「十四松ってこういう体をした生き物なの?」
「元は違うよ。人の形してた」
「人なんだ」
「うん。でも突き詰めたらこうなった」
「突き詰めた?」
「ぼくって何で十四松なんだろうって」

そういう名前を付けられたから、という答えを求めている疑問ではないのは何となく察した。
つまるところ自分とは何なのかを考えた末に辿り着いたのがこの体らしい。シンプルで身軽になれたのが気に入り、この体のままうろうろしていて風に飛ばされてしまったようだった。

「ぺらぺらしてるから軽いかなーって思ったら飛ばされちゃった。概念が一瞬変わっちゃったんだね」
「へえ」

おどけた口調とは裏腹に何やら難しいことを考えている。食後に出したシュークリームも跡形もなく平らげ、淡々と語るその姿に興味を覚えた。

「家はどこ?」
「赤塚台」
「ああ、あそこ。随分飛ばされたね」
「うん。飛ばされても十四松だった」
「十四松は十四松なんだね」
「そうみたい。ねえ君は?何て言うの?」
「杏里」
「杏里ちゃんも概念になる?すっげー身軽になれるよ」
「私はいいや」
「そっかー」
「赤塚台まで送って行こうか?」
「んー…今赤塚台も概念になってるから、行ったら杏里ちゃんも概念になっちゃうかも」
「そうなんだ。それはちょっと困るかもしれない」
「ねーねー、ぼくもうちょっとここにいてもいい?」

かくして十四松と私は同居することになった。

十四松は見た目以外は人間そのものである。
食べ物も趣味も習慣も人間の姿だった頃と変わらず生活しているようだった。家にあったおもちゃのバットで素振りのトレーニングをするのは欠かさなかったし、私のしまい忘れた洗濯物の下着を見つけてあたふたするぐらいには成人男子だった。

「十四松、買い物行くけど何食べたい?」
「あ、ぼくも行く」

「重さも概念に入れたから大丈夫だよ」とは言うものの、また飛ばされると私が怖いので手を繋いで歩いた。
先端を軽く丸めた十四松の左手は、不思議と人肌のような質感がある。前進するたびに笛付き靴を履いているような愉快な音もする。これも十四松の概念の内なのか。

「今日は何にしようかな。十四松ハンバーグ好き?」
「大好き!」
「決まり。ハンバーグ作るの手伝ってくれる?」
「うん」
「十四松の手はハンバーグ作りやすそうだね」
「フライ返しにもなるよ」
「火傷しちゃうよ」
「温度を感じないのも概念に入れたらたぶんいける」
「十四松は自分のあり方を自分で変えれるんだね」

十四松は「おおー」と感動したような声を出した。当然のようにやっておきながらはっきりとは自覚していなかったらしい。
繋いでいない方の黄色い手を黄色い顎に当てて、黄色い頭をひねりひねり思慮に耽り始めた。

「てことはぼくはやろうと思えば何でもできる…?うーんでも、何でもありなのがぼくだとするとそもそもの基本形が『十四松』である必要って何だろう」
「何でもありなのも『十四松』を構成する一つなんじゃない?」
「なるほどぉー。『十四松』に『何でもあり』が含まれてるってことだね。だけど『何でもあり』だからって『十四松』であるわけじゃない…」

薄い横顔がぺらりとこちらを向いた。

「杏里ちゃんといると新しい発見がある」
「それは良かった」
「ぼくって何でもありなんだ」
「十四松は難しいことを考えるね」
「杏里ちゃんは気にならない?」
「あんまり考えたことないな。そういうこと考えるから十四松なのかもね」
「おぉー…」

今尊敬の眼差しで見られている、というのは私の自意識過剰だろうか。
十四松はしばらく黙りこくって「それはそうかもしれない」と言った。

「兄さんたちはこういうこと言わないから」
「お兄さんがいたんだ」
「うん。兄さんは四人で弟が一人。ぼくら六つ子なんだ。ぼく五男って言うんだって」
「みんな同じ顔?」
「うん。父さんと母さんもよく間違えるよ」
「そんなに見分けつかないの」

なるほどと思った。自分と同じ顔が五人もいたら『自分とは何であるか』を深く考えるようにもなるだろう。

「でもトト子ちゃんは見分けられるんだ」
「トト子ちゃん?」
「ぼくらの幼なじみ。すっげー可愛いんだよ」
「トト子ちゃんに聞いてみたらいいかもね。どこで十四松って判断してるのか」
「そんなの思いつきもしなかった。杏里ちゃんってすごいね」

ほめられて少し得意になり、スーパーでは国産のいいお肉を選んだ。
にんじんのグラッセも作ろうと濃い橙色のにんじんを手に取った時、十四松の思考の世界ではこのにんじんはどういう姿になるだろうと想像したが全く思い浮かばなかった。
一方グラッセとは何なのかを説明してあげた十四松は嬉しそうに両腕を波打たせていた。人の姿だった頃からやっている、『触手』というギャグらしかった。十四松を突き詰めた姿がもしただの丸だとしたらこのギャグはできなかっただろう。名前の最初の一文字と言いつつ、実は理にかなった姿だったのか。
十四松と一緒に過ごすうちに、自分もいつの間にか哲学的な思考が芽生え始めている。多分十四松の考えていることには遠く及ばないだろうけれど。
「私が概念になったら何の形になるんだろうなあ」と言ったのは買い物を終えた帰り道だった。
十四松は荷物を頭に乗せてくれていた。厚さ一センチにも及ばない頭の上で玉ねぎやにんじんの入ったビニール袋がバランスを保ちながら「興味出てきた?」とこっちを向いた。

「なりたいとまではなってないけど」
「なんだー」
「考えてみれば十四松を突き詰めたら名前の一文字になるってすごいよね。私の名前の一文字を取っても、それだけで私だとはならなそう」
「じゃあ他の字かもしんないね。トト子ちゃんは魚だったから」
「トト子ちゃんも今概念になってるの?」
「そだよ」
「突き詰めると魚になるんだ」

一体どんな女の子なんだろう。頭に魚の帽子を被っている女の子を想像した私の横で十四松もまた思索していた。

「杏里ちゃんの概念…」

黙している十四松と私の横を、同じく買い物帰りらしき子連れの主婦や犬を散歩させている老人がすれ違う。至って平凡な平日の夕暮れ時の光景。

「ねえ、十四松ってすごいね」
「なにが?」
「十四松ってその姿でもほんとに十四松なんだね」
「そうだよ」
「街の人、みんな十四松を当たり前に受け入れてる」
「杏里ちゃんも受け入れてくれてる?」
「もちろん。これだけ人の見た目とかけ離れてても、十四松はちゃんと十四松として説得力のある存在なんだよ」
「…」
「私だったらこうはいかないだろうな。私じゃなくてもいいものを順番に削ぎ落としていったら何にも残んないかも。玉ねぎみたいに」

玉ねぎとにんじんががさがさと音を立てる下で見えない二つの目がじっと私を見つめている。

「十四松はきっと特別な概念を持ってるんだね」
「杏里ちゃんも特別だよ」

即答してくれたのが少し嬉しかった。向かいから強い風が吹き、十四松の手をぎゅっと握り締めると「もう飛ばないよ」と力強く巻き返された。男の人の手だ、と思った。

買い物の帰り道に話したことを私はただの雑談として忘れかけていたが、十四松はずっと心に留めていたらしい。
ある日十四松が留守番している家に帰ってくると、色々な文字や図形の描かれた紙が床に散らばっていた。「杏里ちゃんの概念考えてた」と振り向いた十四松は出会ってから変わらない黄色の十字の平面だったが、どことなく萎びていて元気が無さそうには見えた。

「いっぱい考えたけどどれもしっくり来ない」
「ありがとう。そろそろ切り上げてご飯にしない?」
「うーん……」

自らに課せられた使命とでも言わんばかりに真剣なのでそのままにさせておいてご飯を作った。今日は唐揚げだ。十四松も嫌いではないはずだけど、いつもなら十の字全身で喜びを表しながらテーブルの前に来る十四松は、文字通り床に貼り付いたままだった。

「もういいよ。ありがとう十四松。唐揚げ冷めるから食べて」

床から剥がれテーブルの前にしなしなと座った十四松はやはり元気が無いようだ。

「真剣に考えてくれたんだね」
「杏里ちゃんも特別だから何かにはなるんだよ、絶対」
「ありがとう。でも私、ちゃんとした概念にならなくても別にいいんだ」
「何で?」
「そうだなあ…色んなものでごちゃごちゃしてるのが私だからかな」

十四松の萎びた顔が少し上向きになった。

「色んなもの」
「うん。どれも私だし、あえてシンプルにならなくていいかなって」
「そっかぁ」
「ごめんね、いっぱい考えてくれたのに」
「ううん。そっかぁ。だからかぁ」

十四松が口に運んだ唐揚げの一部分が消え、輪郭に小さい膨らみが出来た。

「また何か分かった?」
「うん。杏里ちゃんは今のままが一番杏里ちゃんって感じがする。だからこれだ!ってものがなかったんだね」

唐揚げをテンポ良く消失させていく十四松は元気を取り戻したようだった。

「そっかぁ、そういうのもあるんだ」
「十四松は今の姿が一番自分らしいって思うの?」
「どーだろ?でも一番シンプルにぼくって感じ」
「もう人の姿には戻らないの?」
「何でもいいよ。ぼく十四松だから」
「十四松の人の姿見てみたかったな」
「これあんまり好きじゃない?」

十四松はお箸を持ったまま両腕を広げた。

「急に杏里ちゃんが全裸になってもすぐ隠してあげられるよ」
「そうなったらお願い」
「うん」
「でも興味あるよ。十四松ってどんな人なんだろうって」

黄色の十字から見た目を推測できるほど私の想像力は豊かではない。せいぜい野球好きだから日に焼けているだろうかぐらいのものである。
十四松はお漬け物のきゅうりをぽりぽり言わせながら「イケメンじゃないね」と言った。

「イケメンじゃなくてもいいよ」
「ほんとに?」
「うん。それにその姿のままだと都合の悪いこともありそう」
「そーかな?野球はできるよ」
「例えば好きな子が出来たらどうするの?」

肩にあたる部分が小さく波立ち、かじりかけのきゅうりがころんとテーブルに落ちた。

「え?」
「十四松に好きな子が出来て、結婚して、奥さんが赤ちゃん欲しいって言ったらその姿でどうやって子作りするの?」

単純に生物としての興味で聞いてみたのだが、十四松は輪郭が波打ち始めた。黄色の平面に水滴がぽつぽつと浮かび上がる。
重さや体感温度のように概念を追加してどうにかするのではと予想していたけれど、完全に思考の外だったようである。

「ど…どうしよう…」
「ごめん、そこまで深刻になるとは思わなかった」
「このままじゃやばい…」
「こんな話題で揺らぐとは思わなかった」
「杏里ちゃん、ぼく帰るね」

唐突な別れの言葉だった。十四松にとって愛する人との子供を作ることは重要事項だったようである。

「今日はもう遅いから明日にしたら?」
「そうする」
「私も赤塚台まで行こうかな。どんな街か見てみたい」
「今は文字ばっかりだよ」
「面白そう」
「でも杏里ちゃんはならないと思う。杏里ちゃんは杏里ちゃんのままって分かったから」
「もしかして街ごと概念にしたの十四松なの?」
「そーだよ!」

十四松は最後の唐揚げを頬張りながら得意気に胸を張っている。
私の頬張ったご飯はあまり味がしないような気がした。明日で十四松との同居生活が終わってしまうのが寂しいと思った。
しかしいい加減家族の元に帰った方がいいだろう。それに十四松は赤塚台に住んでいると言うし、会いに行こうと思えば行けない距離ではない。隙間の出来た心を納得させて床についた。

赤塚台へはバスと何本かの電車を乗り継いだ。長旅で疲れて寝ていた十四松を起こして駅を降りると、そこは文字だらけだった。こうして見ると確かに世界はシンプルに集約できるのかもしれない。
とは言え私の住む街で十四松が注目されなかったように、赤塚台での私も私として自然に認識されているようだった。

「杏里ちゃん、こっち」

車という字が行き交い電信柱という字が等間隔に立ち並ぶ風景の中に違和感なく溶け込んだ十四松が私の手を引く。
十四松に似合う街だとぼんやり考えていた私は慌てて歩調を合わせた。

「私は飛ばされないよ」

寂しさを紛らわせる為に叩いた軽口は、ひらりと振り向き様に言われた「ぼくが繋ぎたいだけ」という返事に閉口した。そういうことを言われると余計に別れが惜しくなってしまう。
交通量の多い道を過ぎ、家ばかりが並ぶ通りを歩いていると、十四松が「ぼく実験してたんだ」と言った。

「誰もぼくを知らないような所に行っても十四松なのかって実験。飛ばされたのは偶然だけど、ちょうどいいやって思って」
「十四松だったね」
「うん。十四松だった。何で十四松なのかっていうのは結局分かんなかったけど」
「何で自分は十四松なんだろうって考えてるから十四松なんじゃない?何で自分は杏里なんだろうって思わないでしょ」

赤い郵便マークの側で十四松は立ち止まり、私を振り返った。

「ぼく杏里ちゃんと別れたくないなぁ」
「また会えるよ」
「杏里ちゃんはぼくのこと分かんないかもしれないから、ぼくが探しに行くね」
「ありがとう。待ってるね」
「うん」

その時遠くから十四松を呼ぶ声が聞こえた。
十四松と二人その場に留まっていると、向かいから色とりどりの文字が五つ現れた。「兄さんたちだ」と十四松が言った。

「ああいたよ十四松、お前どこ行ってたんだよ」
「お前がいないから俺らずっとこのままなんだけど」
「動きやすいっちゃ動きやすいけどね〜」
「フッ、そこのレディーは誰なんだ?十四まぁつ?」
「お前概念になってもクソだな」

緑の『チ』と赤の『お』とピンクの『ト』と青の『カ』と紫の『一』が十四松と同じように文字を伸び縮みさせながら喋っていた。

「ほんとだ、え、どちら様なの十四松」
「杏里ちゃん!」
「答えのようで答えになってないんだけど」
「しばらく一緒に住んでた」
「「「「「はぁぁ!?」」」」」

見た目は違えどさすが六つ子といったリアクションだ。「しばらくお宅の十四松くんを預かってました」と頭を下げると、「あ、どうも…」と揃って文字の上部を折り曲げた。
風に飛ばされた十四松を拾って面倒を見ていたと詳しく話せば「どうりで見つからないわけだ」と納得していた。彼らの十四松の概念にもどうやら『何でもあり』が含まれていると感じた。

「すいませんね、弟が迷惑かけてませんでした?」
「いえ、楽しかったです」
「ならいいんですけど…色々とありがとうございました」
「こちらこそ」
「んじゃ帰るか。十四松、おねーさんにちゃんとお礼言った?」

十四松はじっと私を見つめ、繋いだぺらぺらの左手を熱のこもるぐらいにしっかりと握り直した。

「ありがとう、杏里ちゃん」
「どういたしまして」

ゆっくりと抜けていく十四松の跡にひやりとした風が入り込む。十四松はびくともしていなかった。本当の十四松は私が手を繋がなくてもちゃんと歩いていける人なのだ。
既に歩き出した兄弟を追って背を向けた十四松を思わず呼び止めた。

「十四松」

くるりと振り返った黄色の十字へキスをした。今の姿だからこそできることだ。人の姿を前にしたらこうはいかない。人肌の温度と柔らかな感触がしたので多分狙い通り頬にできたはずだ。

「ばいばい、元気でね。……十四松そんな色だったっけ」

十四松が兄弟に追いつくまで見送り、私も来た道を戻ろうと踵を返す。
遠ざかる後ろから「十四松、お兄ちゃんの色取らないでくんない?」と声が聞こえた。



十四松が家族の元へ帰ってしばらく経ち、つい二人分の食材を買ってしまうこともなくなった頃、赤塚台に行ってみようと思い立った。
あの文字だらけの街が今どうなっているか気になったからだ。十四松のことも。いや本当は十四松のことこそ気になって街は二の次なのだけれど。
十四松が言った『ぼくが探しに行く』という言葉を当てにしていないわけではないが、こちらから会いに行ってはいけないこともないだろう。
いそいそと最寄りの駅へ向かう途中、向かい側の歩道でやけに目を引く人を見つけた。十四松と同じ黄色の服を着ていたからで思わず遠目に見つめてしまったが、しかしそれは十四松だった。
隣の緑の服を着た同じ顔の人と話している。お兄さんだろう。声は届いてこないが間違いなく十四松だった。姿形は違っていても全身に纏う雰囲気は彼のものだった。
イケメンではないと言っていたけれど不細工でもない。今まで一度も見たことがないのに、黄色のパーカーの長く伸びた袖が十四松らしいと思った。目の前の横断歩道を渡れば会いに行ける。
ところが私の足は動かなかった。今になって別れ際にキスをしたことをふと思い出したのだ。どんな顔をして向かえばいいのだろうか。
青信号を前にして立ちすくむ私の耳に「あ!」と聞き覚えのある声が届いた。

「杏里ちゃん!」

概念の時とあまり変わらない黄色一色の腕をぶんぶん振った十四松は、ものすごいスピードで横断歩道を滑るように渡り、そのまま私を抱き締めた。
私の顔が押し付けられた肩は当然ながらぺらぺらの紙ではなくしっかり大人の男の体つきをしていたが、その体温は紛れもなく十四松だった。たしなめるお兄さんの声が十四松越しに遠く聞こえる。

「随分急だね」
「杏里ちゃんが急に全裸になりそうだったから!」
「それは助かった」

野球が趣味というそれなりに筋肉のついた腕が緩められ、十四松の顔が間近で見れた。これ以上ないほど十四松らしい笑顔だった。

「十四松だ」
「うん、ぼく十四松」
「知ってた」
「分かった?」
「十四松以外にないって感じがしたよ」
「…杏里ちゃん、」

何かを言いかける十四松の向こうでお兄さんが追い付いた声がする。

「十四松!お前な、急に」
「これでぼくたち子供作れるね!」
「おいィィ!!お前昼間から女の子に何言ってんだ!!」

お兄さんの叫びが響いた。
十四松があっさり人の姿に戻ろうとしたのは、もしかして。
一つの可能性に思い至った私が今概念になったとしたら、きっとあの時の十四松のような色になっていると思った。