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大学生になり一ヶ月が過ぎた。
校内の木々の緑が次第に濃く爽やかに色付いていくにつれて、私の気分は反対に鬱々となっている気がする。
時間に融通のきくスケジュールを組んだり授業内容を好きに選んだりできる、高校とは違う新しい環境。大学で出会った新しい人達。新しい校舎。新しい通学路。
そういったものに馴染めていないわけじゃないけれど、落ち着かない日々を過ごしている。
六月が、トト子さんの披露宴の日が、近付いている。
バレンタインデーに唐突に告げられたトト子さんの結婚の話は、私の心の底でくすぶり続けていた。
身も蓋もない言い方をしてしまえば最大の恋のライバルがいなくなる機会である。にも関わらず、私はその時が来るのをどこか恐れていた。
入学式から間もない頃に交番を訪れた際、チョロ松さん達にも披露宴への招待状が届いていたことを聞いてからは殊更。

「彼氏がいたことは知ってたけどね」

とうとう結婚かぁ、と感慨深そうに笑ったチョロ松さんの本当の心の内は分からない。
トト子さんなら分かるのだろうか。

「あと二ヶ月ですね」
「そうだね。聞いた?挙式は海外でやるらしいよ」
「えっ、すごい…!」
「トト子ちゃんのことだから披露宴も相当派手にやるんだろうけど、杏里ちゃんは出席する?」
「はい、そのつもりです。…チョロ松さんは?」
「僕らもみんな出席させてもらうよ」

その決断に迷いなんてなかったんだろうと思わせる、穏やかできっぱりした口調。
元恋人を晴れの場に呼ぶかどうかという話を友人とした時、「ナシでしょ」と即座に言われた記憶が蘇った。
本来、そういう場には異性の友人は呼ぶべきではない。相手や相手の親族に不安や疑念を起こさせることは避けるべき、とされていると。
でもそれが許されてしまう仲なのだ、トト子さんとチョロ松さん達は。
どうしようもなく羨ましくて、寂しさが募った。

「トト子さんのドレス姿、綺麗でしょうね」
「そうだろうね、トト子ちゃん昔から変わんないから」
「羨ましいです」
「杏里ちゃんはそんな予定ないの?」

まるで今日の天気について話すようにさりげなく添えられた質問に、私も笑って「あればいいですけど」と返した。
あれから胸の奥は軋んだまま、ついにトト子さんの披露宴の日を迎えようとしている。
招待状に記されている場所は、都内の有名ホテルの一番大きな宴会場。トト子さんのお家が裕福なことを考えてもかなり豪華なレベルだ。
慣れない場に緊張して受付を済ませ、会場に入り、新郎新婦の親族に手短に挨拶をする。「晴れ姿は直前まで秘密」とのことで、トト子さんと新郎の姿はなかった。
案内通りの席に向かうと、なんと一番前だった。隣のテーブルでは恐らく新郎側の会社関係の方が何人か談笑している。私、ここでいいんだろうか。
戸惑っていると、斜め後ろのテーブルから声がかかった。

「あっ杏里ちゃん!久しぶり〜!」
「わ、お久しぶりです」

手を振るトド松さんに、カラ松さんと一松さんが既に席についていた。
チョロ松さんよりも会う頻度は少ないので本当に久しぶりだ。皆違う職に就いているせいか、昔と比べて見た目の個性が強くなっている気がする。

「フッ…似合ってるぜ、そのドレス」
「さっそくセクハラしてんじゃねーよボケ」
「えっ、これセクハラになるのか…?」
「カラ松兄さん会社勤めじゃなくて良かったね〜」

相変わらずのやり取りに笑いをこぼしつつお礼を言うと、トド松さんが「でもほんとに似合ってるよ、すっかり大人になったね」と言ってくれた。

「ありがとうございます」
「そうそう、杏里ちゃんの席にはね、僕らの父さんと母さんも座る予定だよ。まだ来てないけど」
「え、そうなんですか…私あの席でいいんでしょうか」
「いいんじゃない?トト子ちゃんのことだから多分深く考えてないよ」
「てか何も考えてないと思う」
「だろうな」

トト子さんの人柄を考えると何となく納得できてしまう理由だ。
それにトト子さんはずっと実家のお手伝いをしていたから、直属の上司や先輩はいないはずだし。そう思うと少し気は楽になった。

「あとおそ松兄さんも来てんだけど、なんか探検してくるとか言ってどっか行っちゃった」
「こういう日ぐらい大人しくしてろっての…」
「あはは…あの、後のお二人は?」
「十四松兄さんは急患らしくてちょっと遅れるかもって。チョロ松兄さんはまだだね」
「そうですか…」

少しほっとした。
チョロ松さんが来る前に席についておきたい、と思っていると、運良くおじさんとおばさんが現れたので自然と席に戻ることができた。
大学の話などをしている内に会場に人は増え、斜め後ろのテーブルも騒がしくなってきた。おそ松さんがチョロ松さんを連れて帰ってきたようだった。心臓が疼く。

「…えっ、杏里ちゃん?」

背中にかけられる声にそっと息を吸ってから振り向いた。
見慣れない、普通のスーツ姿のチョロ松さん。

「うわー、後ろ姿で分かんなかったなぁ。大人っぽいね」
「…ありがとうございます」
「大人っぽいっつかもう大人だもんなぁ?」

おそ松さんが同意を求めるように他の三人へ問いかけると、揃って頷いた。

「だからそう言っただろ?」
「お前ってさー、昔から思ってたけどほんとバカだよな」
「は?何だよそれ」
「間に合った!?間に合ったー!?」
「またうるせーのが来た」
「十四松兄さん間に合ってるから、もうちょっと静かに!」

十四松さんの登場で私への注意がそれたのを心底ありがたく思った。自分のテーブルの方へ向き直って宴の始まりを待つ。
やがて場が静まり、会場が暗くなり、晴れやかな音楽が鳴った。

「新郎新婦の入場です。皆様、盛大な拍手でお迎えください」

会場の後ろのドアが開き、トト子さんと新郎の方が入ってきた。
純白のドレスとヴェールを身にまとい幸せそうに微笑むトト子さんは、想像していたよりもずっとずっと綺麗だった。
アイドルという言葉はこの人のためにあると思った。
祝福される二人がゆるりと一つ一つのテーブルを回っていく。
チョロ松さんの席と背中合わせで良かった。チョロ松さんがどんな顔でトト子さんを見ているか視界に入らなくて済むから。

私は、チョロ松さんとトト子さんが一緒にいるところを見たことがない。
トト子さんを「俺達のアイドル」と初めて紹介してくれたのはおそ松さんだった。
それから無意識に、あるいはわざと、チョロ松さんとトト子さんが二人でいるところを見ないように避けてきた。
昔から側で一緒に育ってきて、一時付き合って、別れて、晴れの舞台に堂々と顔を合わせられる仲。
私には分からない。昔も、今も、二人の間にどういう感情が交わされているのか。
二人とも私よりずっと大人で、私はいつまでも子供のままだ。
いつまでも、私はただの親戚の子供。

スポットライトが私の座るテーブルに近付いてきた。
すぐ近くで花の匂いがする。

「皆さん、来てくれてありがとうございます」

トト子さんが私に目を留める。

「杏里ちゃんてば、もう泣いてるの?」

胸元から出された真っ白なハンカチが私の目元に当てられた。

「……きれいです」

トト子さんがぱっと笑う。

「そうでしょ?」

私もこんな風に笑えるようになりたかった。
正面にしずしずと座るトト子さんを眺めながら、そんなことばかり考えていた。
ぼうっとしている間に宴は滞りなく進んでいき、お色直しをしたトト子さんが会場に姿を現す。綺麗な足を上品に露出させたドレスに、小さく華やかにまとめられたブーケ。
メインステージで可愛らしくお辞儀をする姿も様になっている。

「それでは、新婦のトト子さんより…」

司会の方が言い終わらない内に、トト子さんがまっすぐ私の方へ駆け寄ってきた。

「杏里ちゃん、受け取って」

差し出されたブーケ。
周りの拍手に押され、戸惑いながら立ち上がった。

「私が頂いてもいいんですか」
「ええ、もちろん」
「ブーケトスじゃ…」

小声で尋ねると、トト子さんはちらちらと周りを見て声を潜めた。

「だって今日来てる女の子、知らない子ばっかりなんだもん」
「えっ…」
「この幸せな姿見せつけたくて手当たり次第招待状送ったんだけど、私女の子の友達ほぼいないし勝手に幸せ見つけてろって感じ」

あっけらかんと笑顔で言い放つトト子さんに、何てことをと思いつつ吹き出してしまった。こういうことをいつでも正直に言えてしまうのがトト子さんを憎めない理由の一つだ。

「それに私、杏里ちゃんに幸せになってほしいから!」

まっすぐな言葉に胸がいっぱいになっていると、続けてさらに耳元で囁かれた言葉に思わず息が止まった。
そんな私の手にブーケを握らせ、トト子さんはウインクをして新郎の隣へ帰っていく。

「新婦によるブーケ贈呈でした」

また拍手が起こり、席にすとんと座る。
ブーケの花に埋もれて、小さなメッセージカードが半分顔を覗かせていた。そこには今こっそりと囁かれたのと同じ言葉。


『チョロ松くんをよろしくね』


…いつから、気付かれていたんだろう。
こっちに出てきてからは誰にも言ったことなかったのに、まさかトト子さんにこんなことを言われるなんて…
ブーケを胸でぎゅっと抱き締める。
不思議と沸き上がったのは怒りでも悔しさでもなく、微かな希望だった。
披露宴は感動のうちにお開きになり、この後二次会に行くらしい人達が次々と席を立っている。

「ニート達、二次会には行くの?」
「母さん、だから俺達もうニートじゃないんだけど」
「あらそうだったわね。つい癖で」
「誰か行く?」
「どうせ合コン状態になるだけだろ…」
「だねー」
「チョロ松は?」
「僕は明日早いからもう帰る」
「頑張れ公務員〜」
「杏里ちゃんは?」
「あっ、私も明日早いからこれで…」

元々行く予定ではなかったけど、急いで立ち上がった。ブーケはしっかり抱いたまま。

「じゃチョロ松送ってやんな。同じ方向だろ?」
「言われなくても」
「…ありがとうございます」

畳んだジャケットを取ったチョロ松さんに「行こっか」と促され、ホテルを後にした。
夏の気配を含ませた夕方の風がビル街を吹き抜けていく。陽はまだ少し高い。

「暑いなぁ」
「もうすぐ夏ですもんね」
「ほんとだね。あ、夏休み近いんでしょ?」
「はい。あと二週間ぐらいで」
「いいなあ」
「チョロ松さんは、お休みは?」
「今日有休が取れたからしばらくはないかな。今日一日平和で良かったよ」

引き出物の紙袋にジャケットをしまい込んだチョロ松さんが「いい披露宴だったね」と笑う。

「本当に。トト子さん、綺麗でした」
「杏里ちゃんもああいうの憧れる?」
「そうですね。ウェディングドレスは着てみたいです」
「絶対似合うよ」
「チョロ松さんの隣で」

手元のブーケを見ながら言った。
いつもの柔らかな口調で何か返してくるだろうと思ったら、一向に反応がない。
そっと隣を見上げれば、お箸を落とした時の顔をしていた。

「……私じゃ、だめですか」
「だ…だ、だめってわけじゃ…いや、その」

大いに慌てているらしいチョロ松さんは、袖で額をぬぐって息を吐いた。

「…まさか十年ぶりにその台詞を聞くとはね…」
「正確には十三年です」
「な、長いな…」
「長かったです」
「…そっか…」

忙しく視線をさ迷わせるチョロ松さんは、あの頃と変わらなかった。
懐かしさから来る笑みをブーケで隠すと、チョロ松さんにじっと見つめられた。

「いつの間にかそんな風に笑うようになってたんだね」

女の子の成長はすごいな、と目を細めるチョロ松さんに、今度はこっちの視線がおぼつかなくなる。

「そんな風って、どんなですか」
「もう子供じゃないんだなってことだよ」
「…私、まだ子供です」
「子供と思っていいの?」
「…………い、やです」

チョロ松さんがふっと笑って「あーあいつらに何て言おう」と天を仰いだ。

「…トト子さんには、後押しされたんですけど」
「え?」

メッセージカードが見える角度でブーケを渡せば、チョロ松さんが苦笑しながら「トト子ちゃん…」と呟いた。しかし、続けてカードを引き抜いたチョロ松さんの顔はみるみるうちに苦々しくなった。

「…トト子ちゃん…!」
「何ですか?」

メッセージカードを覗き込んだ私はまた吹き出しそうになった。
カードの下半分には、まだコメントが続いていた。


『女好きだからしっかり手綱握ってるのよ!』


「いつの話してんだよ…!」

頭を抱えるチョロ松さん。
二人が別れた理由はここにあるんだろうか。そういえばおそ松さんも昔そんなことを言っていたような。

「そうなんですか?」
「い、いやいや若気の至りっていうかね!?てか二股はしてないから!ちょっと調子乗ったっていうか浮わついたってか、そこはほんとに!今でも反省してるし!」
「ふふっ」
「過去の話だから本当、あー…最悪……」

ブーケを持っていない方の手で顔をごしごしと擦ったチョロ松さんが指の間から私を見つめる。

「…こんなこと言われるような男でいいの?」

私はブーケごとチョロ松さんの手を握る。
やっぱりチョロ松さんの手は大きい。けれど、掴めない大きさじゃない。

「それに対する答えも、十三年前に言いました」

そう言って見つめ返せば、チョロ松さんはもう困った顔をしていなかった。

「…ありがとう、杏里ちゃん」